異世界転生ファンタジー
Ag
第1話
満月。
真っ暗なはずの夜空を明るく照らし、白くぽっかりと空いた穴のようにも見える月の浮かぶある日。
黒々と茂る深い森のずぅっと奥深く。
何度払っても服にひっかかるような細い枝に隠されて、その洞窟は存在していた。
大人の男ひとりが少し背をかがめてようやっと通れるようなその入口の先は、森から入ってきた土が薄く積もっていた。
一歩踏み込めばそれがふわりと浮き上がって咳き込むことだろうそこには長い間、誰も、何も、訪れていない。
入口には密かに、ここを訪れたくない気持ちにさせる仕掛けが施されていて、ごく僅かな虫たち以外には、森の動物たちも滅多なことではここへ入ろうとはしないのだ。
迷いの森と呼ばれるこの中で、この入口にたどり着いた人間もまた、この洞窟が作られて以来存在しない。
そう、ここは作られた洞窟であった。
遥か昔に、とある人間たちによって作られた洞窟。
その洞窟の奥深く。
頭にかぶれば間違いなく憂鬱と苛立ちをよぶものの、見るだけならば誰もが美しいというだろう複雑なレース編みに仕上げられたマダムスパイダーの巣をいくつもくぐり、狭い岩の壁を横這いに抜けて…。
そうしてどんどん地下へ潜ったその先の、ぽっかりと広がった小さな家くらいならば入りそうなほどの空間にその『男』は封じられていた。
地下とは思えぬほどからりと乾いた人工的な広間であった。
まず目に入るのは視界いっぱいに広がる、真っ白なつるりとしたタイルのような質感の壁だった。
そこには複雑でいてどこか不気味な幾何学模様がとても細かに描かれている。
そして時折赤く、鼓動するように光るその模様の中心にその男が両手を大きく広げた状態で張り付けられているのだった。
胸に大きな剣が突き立っている。
くすんだ金と黒の柄。
幅広い刃の部分には蔦のような模様が黒々と這い回るように描かれ、いや、実際にそこから根のようにも見える蔦が伸びていた。
それが男に絡み付いて、壁に縫いつけているのだ。
その男はというと、埃と土にまみれてべたついた黒っぽい灰色の長い長い髪にほぼ隠されている。
青白い顔にも髪がはりつき、黒い腰布だけを身につけたその体には骨が浮いてやせ細っている。
だがしかし、その背は高く、やせ細ってはいるものの元の体格は良かったのだろう、どこか迫力のある雰囲気を纏っていた。
ふいにその男がぴくりと肩を揺らす。
そしてゆっくりとその顔を上げた。
彫りが深く落ち窪んだようにもみえる目は、この地下深くでは見えようはずのない空を見るように上をむいている。
その視線はそのやせ細った様からは想像できないほどしっかりと定まっており、どこか熱さを感じさせるほどだ。
鼻筋の通った整っていたであろう顔も、頬骨が浮かんで不気味さを感じさせるが、薄く開いた唇から発せられた声は驚くほどにしっとりと低く心地よい響きをもって広間に落ちる。
「主がお産まれになった…。戻られた…。ついに、主様が戻って来られたのだ…!」
うっすらと涙のはった瞳は黒に見えるほど深い藍色をしていた。
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