がんがまなんち

@carifa

第1話 まがいもの

 考えるまでもなく僕はまがいものな訳で、こうして公園のベンチに腰掛け日長一日砂場で遊ぶ子供達やその母親達を眺めるだけの生活を続けていると、生き物としての価値とか地球からみた必要順位なんてものが限りなく低位置にあるのかも知れないなと考えてしまったりする。

 

 それでも、手のひらの鱗や顎下のエラとかを人前に晒して生きていける程強い精神力なんてのも、持ち合わせてはいない。結局は、父や祖父がそうだったように、ひた隠しにしている自分の正体を理解できる人間が現れるまで待ち続けるしかない。

 

 僕には、それしか出来ないのだ。


「毎日……毎日、来てるよね?」


 背後から、突然声を掛けられ。僕は仰け反るようにして両手をジタバタと振り回した。バランスを失いかけた身体を立て直しベンチに座り直して平静を装う。


「そうですね。暇なんです」


「隣、いい?」


 平静を装う僕の顔を覗き込み、見るからに清廉潔白である筈の遺伝子の所有人たる男の人間が微笑みかける。年の頃は僕の外見と然程変わらない。短髪の髪にはワックスか何かが塗り込んであって触れてもいないのに指先が滑るような感じがした。


「中学生でしょ?」


 男が然も確信を獲たような微笑みかたを続けるので僕は仕方なく頷いた。


「制服からして、凰蓮?」


 続けて訊く男に更に頷く、僕は無意識の内に自分の長い髪を撫でていた。中学生になってから一度も切り落としたことのない髪。父からは酷く叱られるが、責任の所在を僕には向けたくないらしく、いつも最後に母に泣きすがるように「切らせなさい」と呟く。自分が得体の知れない化け物であった時代を忘れているのだ。


「学校、サボってるの?」


 男の更なる質問に僕は頷く。こんなやり取りに時間を消費するのは本来なら馬鹿げた事なのだが、なにぶん僕は砂場の子供達にも、それを見守る母親達にも飽き飽きしていた。男に強い興味等なくても自然に、話くらいは聞いてやってもいい気がしてくる。


「名前は?」


 僕は砂場の男の子が、小さなスコップで女の子のスカートに砂をかけるのを横目で眺めながら極力愛想なく答える。


「美羽」


「そっか、ミワか……俺は真樹生」


「まきお?」


「そっ、真っ直ぐに樹木は生きる。真樹生」


「まきお」 


 僕はもう一度、唇だけで「まきお」と呟く。真樹生が、それを見ていて「まきお」と、同じように呟く。僕は妙な気分になってしまって、もう一度。砂場の子供達に意識を集中させる。自分が化け物であることを自覚する為に健全で純粋無垢な象徴を目に焼き付ける。


「凰蓮ってレベル高いだろ? サボってても大丈夫ってことなら、お前って相当頭いいの? それとも逆?」


「僕は、勉強なんてしたことなんてないよ」


「勉強したことないって、凄いな。って、お前、自分のこと僕って呼ぶわけ? なに、それっていまだにやってる娘とかいたんだ? スゲッ」


 真樹生の無神経な言葉に腹が立った訳ではないけど、僕は僕なりのルールに基づいて生きていて。それを侵すものがいる場所へは行かないことにしている。相手から攻め込まれた時も同じだ。ひたすら距離を置いて自分の気持ちを落ち着かせる。


 それでないと、人間になりきれていない僕には堪えきれない。


「そう、僕は僕を『僕』と呼ぶ権利を所有している」


「権利。所有ね~」


「貴方が何を感じても、私に感じさせることは出来ない。それは、変わることのない現実なの。理解できた?」


 言って僕はベンチから立ち上がった。腕時計を眺める。3時を少し過ぎただけの時間。

 

 物書きが仕事の父も、それに甲斐甲斐しく世話を焼く母も、自宅でまったりとした時間を過ごしている頃だ。消費する時間を増やさなければ辻褄は合わない。僕は、そのまま歩き出してスカートのポケットに手を突っ込んだ。指先で財布の所在を探る。鞄は教室に置いたまま数日間放置している。教科書というダンベルを部屋から教室に、教室から部屋に運搬するといった肉体的トレニンーングは止めたのだ。


「待ってよ、怒ったの?」


 真樹生が言いながら追いかけて来るのを背中で感じた。それでも、振り返るつもりはなかった。僕のセイフティゾーンは誰にも侵せない。


 そう、思った時だった。


「お前! なにやってんだよ!」


 真樹生の怒鳴り声が聞こえた。続けて、幼い子供の悲鳴と母親達の絶叫が公園内に響き渡る。


 慌てて振り返ると、砂場で遊んでいた男の子が身体を丸めて倒れ込んでいた。


 その直ぐ隣で、先程までは気付きもしなかった長身の痩せた男が、女の子を羽交い締めにしていた。目玉がこぼれ落ちる程見開いた目が、異様な光を放っている。そして、女の子を捕らえた反対の腕を突き出して男が獣の咆哮のように何かを叫ぶ。その腕にはナイフが握られていて、手首の辺りまで真っ赤に染まっている。踞る男の子との位置から何が起こったのか想像したくもないのに、僕の頭の中には惨劇の映像が勝手に押し込まれる。


 僕は声にならない絶叫をあげて、その場に跪いた。


 真樹生が、間合いを詰めながら男に何かを叫ぶ。男の視線が真樹生に向かうと男の子に母親が駆け寄り、覆い被さるようにして更に絶叫した。

その声が、甲高い耳鳴りのになり頭の中で木霊する。そして、その木霊は鋭い痛みとなって僕の心臓の辺りを瞬間的に握り潰す。


 自分で呼吸を止めているのだと気付くのに数秒程掛かったのかも知れない。僕は喘ぐようにして息を吸い込んだ。そして、直ぐに叫んだ。


「助けて! 誰か助けて!」


 だけど、声が喉を駆け上がらない。僕だけでなく、この惨劇を目の当たりにしている筈の母親達も悲鳴をあげるだけで助けを求めるために公園の外へ駆け出す者は誰一人いない。突然起こった衝撃的な現実に向き合えていない。真樹生だけが、男に向かい合い何かを怒鳴り付けている。でも、その言葉も僕の耳には正確に飛び込んでこない。響き渡るのは母親の絶叫と、男の咆哮。


 僕は、耳を塞いで地面を睨み付ける。そして、見えない恐怖に堪えきれずに再び視線を男と真樹生に戻す。


 どのくらいの時間が過ぎたのか分からなかった。一時間のようにも感じたし、十秒くらいの短い時間のようにも感じた。ただ、僕には時間の流れる速さが公園の中だけ曖昧に進んでいるような気がした。


 突然、男は羽交い締めにしていた女の子を突き飛ばすと走り出した。その後を真樹生が追う。


 真樹生は直ぐに男に追い付き、その足元にタックルした。男の身体がつんのめり地面に強かに顔面を打ち付けたように僕からは見えた。真樹生もそう感じたに違いない。そのまま男に馬乗りになって真樹生が叫んだ。「テメー」とか「コラー」とか特に意味のない叫びに聞こえた。その隙に母親達が警察に連絡をしている。僕は少しだけ恐怖が薄らいで立ち上がった。


「邪魔するな!」


 立ち上がった僕を見て、男が叫んだような気がした。同時に金縛りのように身体の筋肉が硬直して身動きが取れなくなった。


「動くな!」


 真樹生も叫んだ。


「邪魔するなよ!」


 もう一度、男が叫んだ。


 そして、なぜか男の上から怒鳴っていた真樹生の身体が男に覆い被さるように崩れ落ちる。真樹生を跳ね退かして今度は男が真樹生の上になる。


 一瞬の出来事に何が起こっているの分からなかった。


 そして、母親達の絶叫が再度公園に響き渡る。今度は真樹生の絶叫もそれに混ざっていた。


「誰だよお前は! 死ねよ!」


 男が叫ぶ。良く見ると真樹生は腹部を手のひらで押さえて顔を歪めている。真樹生のその顔を睨み付けて更に男が叫ぶ。


「死ね! 死ね! 死ねよ!」


 男が繰り返し叫びながら拳で真樹生の腹部を殴る。男の腕から深紅の液体が噴き出しているように見える。叫びながら拳を振り上げ。それを、振り下ろす。真樹生は無反応に男に殴られ続けている。


 なぜ? 僕は抵抗しない真樹生の蒼白な顔面を見て直感する。そして、恐る恐る視線を真樹生の顔から、男の拳に移す。


 男の握り締めたナイフの鈍い光が、腕を振り上げる度に真樹生の身体から噴き出す深紅の液体が、ナイフから飛び散る強烈な悪意が、一瞬で僕の視覚を支配する。他に何も見えなくする。粘度の高い絡み付いた液体が真樹生の身体から奪われてナイフの切っ先から公園に撒き散らされる様子だけが僕の視界を支配する。


 僕は両腕で自分を抱き締めるようにして僕のセイフティゾーンを確認する。そして、真樹生に跨がる男が制服を着た警官達に取り抑えられるのを呆然と眺めながら、やっと叫び声を発した。


 人生って酷く馬鹿馬鹿しい。格好いい事に夢中になれる年数も限られていて定年者は次第に押し出される。直接的な説明も利益不利益の判断も「大人になれば理解できる」と大人は言うけれど、数年待てば若さ故の潤いなんて干からびてバキパキと剥がれ落ちるに決まっている。僕には真樹生が、ナゼ? 声を掛けてきたのかは分からないし、ナゼ? 突然、男に刺し殺されなければならなかったのかも理解できない。


 悲しいわけでもない。


 ただ、一日が無意味に流れているのは否定できなくて、誰かが裏切られたり、不意に死んだりすることも必然だと理解出来る。





  





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