或る主題、或る描写。
酉ノ余一
甘い
「できた」
僕がそういうと、彼女は雑誌をめくる手を止めて、こちらを向いた。
「ん、じゃあ試しましょうかね」
「どうぞ」
どれどれと、彼女は僕がつくったそれを吟味し始める。
「まずは見た目のチェックから……これはなかなかのモノですな。こんなに綺麗に作れるんだ?嫉妬するなあ」
どうやら見た目の評価は『良』らしい。ちょっとくやしそうにむくれている。
「まあ見た目だけはね。中身の方もチェックしてよ」
「よしよし、ではお姉さんがしかと判定してしんぜよう。見た目だけ良くても肝心の中身がダメダメじゃあ意味ないからね」
ふふふ、とわらいながら、箸を伸ばし、ちょうどいい量をつまむ。ゆっくりと口に投げ込む。もぐもぐ。咀嚼。もぐもぐ。
「どうかな」
ゆっくりとそれを吟味する彼女が飲み込むのをまたずに、意見をあおぐ。
まあまあと、手振りだけでもう少し待ってくれと伝えてくる。どうやらじっくり味わっているようだ。
もぐもぐ。もぐもぐ。ーーごっくん。
「……ずるい」
「は?」
食べ終わった彼女の第一声はそれだった。ずるいって。ちゃんと感想をいってよ。
「どうして君はこんなに優しい……まるでお母さんが作ったみたいな手料理が作れちゃうわけ? そんなのつくられちゃったら私の立場ないじゃない」
「いやそんなこといわれても……おいしかったの?」
「おいしい。もっと食べる」
そう言いながら残りにも手を付け始め、ぱくぱくと口に入れていった。その様子を見ると味に関しては『優良』なのだろう。
「僕としてはもっと厳し目に評価してほしかったんだけど……。まあいいんだけど。」
彼女の評価はいつも甘い気がする。少なくともこちらとしてはどうすればもっとおいしく作れるかを考える参考にしたいから忌憚のない意見が欲しいのに。
そんな僕の気持ちもしらずに、目の前の彼女はひたすら食べている。小さな口を大きく開けて、温かい料理を堪能するさまは、どうにも艶めかしく感じるものがある。彼女の艶やかな唇と料理からほのかにのぼる湯気とが扇情的なダンスをしている。
食事というものは実に原始的な欲求に基づいた行為だ。だからだろうか、別に性的な意味は全く無いはずなのに、上品さがある一定以上のラインを超えたところで、とたんにエロティックな雰囲気を醸し出し始める。
「ご馳走様でした」
そんなくだらないことを考えているうちに、彼女はぺろりと一皿平らげてしまった。二人分つくっておいたのに、僕の分は一口も残ることなく一皿なくなってしまった。
「お粗末さまでした」
返す言葉で決まり文句をいうと、何故か彼女はむっとした表情になった。
「これがお粗末だったら私がつくったものなんかは劣悪品だね」
「あーはいはい」
こうなると彼女は面倒だ。意味のない言葉にすら噛み付いてくるものだから、下手に言葉をかけたりしないほうがいい。適当にあしらって洗いものでもするのが一番だ。ほおっておけば勝手にまた雑誌でも読み始めて忘れてくれる。
そう思っていたのだが、今日はいつもとはパターンが違うようだった。
「ねえ、これ作り方にコツがあるの? レシピ自体はすごい簡単なのにここまで私がつくったものと差がでるのが納得いかない」
びっくりした。むっとしていたのかと思ったら、そんなことを考えていたのか。ちょっと驚いたけど、そうやって向上心をもってもらえるのはなんとなく嬉しい。嬉しいので洗いものを一度中断して彼女の方に顔を向けた。
「逆だよ。レシピ自体が簡単だから少しのことで差が出ちゃうんだ。ポイントはね……」
どんなことでもそうなのだが、簡単そうに見えることほど実は難しかったり、あるいは少しの手間を追加することで質を格段に上げることができるようになる。
仕事柄いろいろな人をみてきたけれど、優秀な人のほとんどはそういった細かなところまで気を使ったりするのが得意だし、逆にちょっとこの人はダメだな、と思うような人はたいていが楽をしようとして目に見えにくいところで手を抜いたりしている。最終的な成果物はパッと見ではそこまで変わらないのに、よくよく吟味していくとボロがではじめて結果的にトータルでかかる手間が増えていたりする。
自分に甘くしている人ほどうまくいかないのがこの世の中の常なのだ。
「というわけで、大事なのは温度管理と何回かにわけて投入することだよ」
そんなこんなで彼女にひとしきり注意点と細かな手順の説明を終えた。
「はー、なるほどねえ。そんなことあんまり気にせずドバっとやっちゃってたよ。確かに火の通り方とかがだいぶ変わってくるもんだ」
説明を聞いた彼女はだいぶ感心したようで、早速ならった手順をちゃんと覚えるために作り始めていた。
さっき一皿食べたばかりなのにそのつくったものはどうするんだろう、と思ったけど言わないことにした。食べそこねたことだし余ったのなら僕が食べればいいしね。
「ん、できた」
待っているとどうやら完成したらしく、目の前に皿が置かれた。どうやら食べろということらしい。
「見た目はよさそうだね。では早速いただきます」
手を合わせて箸を伸ばす。もぐもぐ。もぐもぐ。ごくん。
「うん、いいんじゃないかな。完璧とは言えないけれど、前に出されたものと比べたら格段によくなってる。これなら僕が作る必要もなさそうだ。自分でも食べてみなよ」
「なんか馬鹿にされてる気がするなあ」
そう言いながら、彼女も箸をのばす。さっき一皿食べたのにまだ食べられるんだな。
「うん、たしかにこれは我ながらよくできてるかも。君がつくったものとくらべるとなんかちょっと物足りないけど、十分いいできた。さすが私。天才」
「天才ではないかな、僕が教えたわけだし」
「そんなこと言う人にはもうあげません!!」
からかってやると彼女はまたむっとしたらしく、皿を取り上げられてしまった。そしてひょいひょいと一気に口に運び、またしても一皿平らげてしまった。僕が一口食べているとはいえ、ほぼ一皿だ。本当によく食べるなあ。
「ところでひとつ気になったことがあるんだけどいいかな」
食べ終わって一段落したので皿洗いをしていたら、隣に並んだ彼女がふいに尋ねてきた。
「ん、なにかな」
「すごく甘くなかった?」
「そりゃ卵焼きだからね。卵焼きは甘いものに限る」
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