第六話「オークの大きな――」

「こう、自然の豊かさにちょっとだけ心が癒されるな」


 空の青、木々の緑、人の居る世界である痕跡を誰かが通ったからこそできた道に見出さなければ、人間の住まぬ地球以外の惑星と説明されても納得してしまいそうな景色に口元を微かに緩めた和人が息を漏らす。


「ささくれ立った心が……ううん、またすぐにささくれ立ちそうだけどさ」

「はぁ、はぁ、はぁ、ま、待ってくれーっ! もう四つん這いになって物欲しそうな目で見るのは室内で二人きりだけの時にするから、置いていかないでくれーっ!」


 荒い呼吸に続き全力変態発言をしながら追いかけてくる少女のせいで頭を振っての独言はいきなり予言として成就するようだ。


「うあああっ」


 猛烈に頭を掻きむしりたい衝動と追いかけてくる変態を殴り飛ばしたい衝動を堪えつつ自分でも意味不明な叫びをあげ、和人は頭を抱えた。


「たぶん、付近に通行人は居ないんだろうけどさ」


 あの少女とて自分の変態発言を何も知らぬ通りすがりの旅人やら行商人に聞かせるつもりはないぐらい分別はあると和人は思う。もし、意図的に聞かせて既成事実を狙っているなら、何らかの報復をすることも考えなくてはとも思っていたが。


「逆に言うと、『聞かれる恐れが無い』って確信するぐらい村まで距離があるってことかな……」


 かなり嫌な状況予測でげんなりしつつも、歩みを止めれば変態が追い付くのが早まるだけである。


「と言うか、村にたどり着くのも遅くなるしなぁ」


 痴的発言ばかりする変態が今晩は村に一泊すると言う趣旨の発言をしていたので、少なくとも明日の朝日が出るまで歩いても村に付かないことはないと和人は踏んでいた。だが痴女は、日が沈むまでに到着するとは言っていないことも覚えていた。


「説明が終わってればボクだけで送り出されたわけだから、緊急時を鑑みて明りぐらいは持たせてくれてると思うけど……あのゴブリンみたいな敵性生物とエンカウントするかもしれない見知らぬ土地で明りを頼りに道をたどるとかは勘弁してほしいよね」


 暗いというのはそれだけで厄介だ。明りがあるうちは視界が狭まる程度だが、何らかの理由で明りを失くしてしまえば、少し先に何があるかさえわからない、まさに一寸先は闇と言った状況に置かれることもありうる。


「闇はいろんなものを覆い隠すし。草とかで明りを遮られた先に穴とかがあって、それに気づかず、落ちるなんてことだってありそうだもんなぁ。あれはゲームだったけど」


 テレビ画面の前でコントローラーを握っている時には最悪でも自分の操るキャラクターがー命を落とすだけ、リカバリーも効くが、ここが現実である以上、落命するのは和人自身である。


「あれだよね、それこそお話なんかだとご都合主義っていうかとんとん拍子に話が進んだりするけど、いざ同じような立場に置かれてみると、上手くいくって保証はないし、バッドエンドの可能性も残されてるわけで……うん」


 おそらくは、村に近づいているという実感に乏しいこともあるのだろう。顔を曇らせ、ちらりと後方を一瞥し。


「こう、不安になってどんどんネガティブな方に考えちゃうって言うか……ん、一応後ろからここに携帯電話があったなら今すぐにでも通報したくなるような変態さんが居るから、一応最悪の事態に陥るってことはないのかもしれないんだけど」


 和人には躊躇われた。


「……そんなことより、あとどれぐらいなの、村まで?」


 などと自分を追ってくる痴女に問うことは。質問と言う形でも頼ることが癪だったのだ。話しかけたら増長しそうというのもある。


「……もう少し歩くペースを早めようかなぁ? 目的地までの距離がわからないからペース配分にちょっと不安が残るけど」


 和人からすれば、ちょっと無理をしてヘロヘロになる方がいつ危険な生物と出くわすかわからない薄暗い道を行くよりもよほどマシだった。


「変態さんに借りを作るとかよりも、ね」


 そもそも不本意な立ち位置を押し付けられることとなったとはいえ、オリジナルのほぼ女体化複製品である和人に選べるのは、男に戻る方法を探しながら生き続けるか、人生をあきらめるかの二択なのだ。割り切って今の体のまま生きると言う選択肢は、当人として有って無きが如しなのだから。


「これぐらいで弱音を吐いてちゃ、この先やっていけないだろうし」


 もう一つ、歩みを速める理由も和人にはある。と言うか、今しがた思い至った。


(まだ大丈夫だけどさ、こう、おしっことかしたくなったら――)


 そう、トイレの問題である。


(っていうか、トイレだけじゃないよね? 剣と魔法な世界って文明的に元の世界と比べて低い事が多いからお風呂とか普及してるかわかんないけどさ、それでも水浴びとか体をきれいにする手段はある訳で……)


 和人からすれば無縁だった筈の性転換しちゃった創作モノの登場人物がぶち当たる大問題が順番待ちしながらそびえていることに今更ながらに気付いたのだ。


(ただでさえ正確には男でも女でもない立場なのに……)


 沐浴など人には見せられぬ身でありながら、少し前まで男だったという感覚が自分の体を洗おうとする時に邪魔をするであろうことは想像に難くない。


(どうしよう……や、割り切る以外の選択肢がほぼ皆無なのはわかってるんだけど、ボクにも心の準備が)


 タイムリミットは、早ければ今晩訪れる。


(うぅ、まごついたり変な反応すれば後ろの変態に感づかれるだろ……ん? うしろ の へんたい?)


 ハッと顔を上げると、和人は凍り付く。和人にしても唯一の男だった名残さえなければ見た目は女性騎士だ。そして、後ろからついてくる痴女は、性別を間違えることがあり得ないほど大きな胸をしている。


「私はこの方の従者です」


 とか、初対面の村人にまっとうな人間のふりをして言い放ち、同性だし主の体を洗うのは従者の役目と主張されたら、どうなるか。


(見た目普通に同性だし、言われた方は問題ないって思うよね?)


 実際そこに和人にとっての貞操の危機が存在するなどとは全く思わずに。


(さっさと覚悟を決めろってことじゃないかーっ!)


 できなければ、自分の体を狙う痴女との混浴がほぼ確定コースだ。


(違う、覚悟を決めてもあの変態さんが欲望一直線でやらかすことを前提にして対策を練っておかなきゃ)


 ロクでもない状況に置かれていることを思い知った和人は声に出さず、何でボクがこんな目にと自分の不幸を嘆いた。


「どうした、和人くん? ほら、オークだぞ」


 だというのに、諸悪の根源は和人の苦悩など知らず、能天気に声をかけてきて前方を指さす。


「誰のせいだと……って、オーク?」

「そう、オークだ。オークの巨木。一本樫とも呼ばれていて、あの樹が見えたら村まではもうすぐと言う目印らしい。この先にある村は樫の木の加工品が名産で、別称をオークの村と呼ばれているらしい」


 振り返ってから、すぐさま前を見る和人に頷きうんちくを語りだした創造主の複製品はトドメに爆弾を投げる。


「しかも、この村、温泉も湧いているということで、そう、オーク材の浴槽が村の家全てに完備されてるそうだよ。ちなみに、温泉文化は君の先輩達が伝えたらしい。いやぁ、本当にいい仕事をする人だとは思わないか?」


 同意を求める形ではあったが、目は語っていた。


「一緒にお風呂入ろうよ」

 と。


「体を洗わせて」

 かもしれないが、和人にとってはどうでもよく。


「一刻も早く、先輩に会わなきゃ」


 最優先で果たさなければいけないのは、まさにそれ。


(一度や二度なら後頭部に鈍器とかの解決方法で何とかなるかもしれないけど、根本的な解決にはならないし)


 先人と相談して力になってもらう。何とも他力本願な話ではあるものの、切羽詰まった和人はもはや藁にもすがって溺れている人のようなものだったのだ。手段を選んでる余裕もなければ、すぐ用意できる代案もない。


「和人くん?」


 訝しげに自分を呼ぶ変態の声を聞き流し、すでに歩き始めていた和人は天を突くようにたたずむ樫の木へと、正確にはその脇に伸びた道の先へと向かう。


「きっと、あれよりは――」


 まだ見ぬ先輩がまともな人間だと信じて。

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