豚の国

第八話 開戦

野良たちの隠れ家として十五年のあいだ子供たちを育んできた地下倉庫。

そこに黒髪の野良がたたずんでいる。

「準備は済んだか、壁外がここよりも安全という保証はないぞ」

ジキに向かって、女性で唯一皆伝を得ているミキが声をかけた。

そして自己完結する。

「――いや、おまえには無用の心配か」

相手は仲間うちで最強の剣士だ。

他の者はすでに地上に放たれておりミキも準備は整っているが、長女である彼女は全員の背を見送ってから出るつもりだった。

姉貴分の言葉にジキは答えない。

「おい、そう不貞腐れるな！」

ミキは無気力な弟分の背中をひっぱたく。

「──おまえは自分の使命をはたせ！」

ジキはほかとは異なる任務を与えられていた。

それはオサの功績を後世に残すこと、最強の弟子は最高の剣を託され旅立つことを命じられた。

「なんで俺なんだ……」

不平を唱えるジキをミキは「適任だ」と宥めた。

ジキは伝承者にもっとも相応しいのはイチキだと提案したが、祖父の最後に付き合うと言われたら引き下がるしかなかった。

皆伝を得たとは言ってもヨキは気性的に不向きであり、イツツキはあまりに若輩だ。

ミキにもその資格は十分にある、しかし最強をさしおいて選抜されることを唯一の女性であるがゆえに侮辱ととらえるだろう。

代わりはなく、オサの功績を残すこと重責を軽視できない。

これから一人で王都を出て樹海を越えるジキに対して、ミキは何かしら心構えを説こうとする。

しかし彼女が彼より勝るものはもはや一つ上の年齢くらいだと思い止まった。

ジキはあらためて確認する。

「死ぬのか？」

ミキは即答する。

「死ぬさ」

選ばれし人鬼のなかにそれをおそれる者はいない。

それどころかこの日のために積み上げ、待ちわびてすらいた。

「恨むからな！」

最大戦力である自分が決戦から外された、これではなんのために強くなったのか分からない。

語気を荒げたジキに対照的にミキは冷静で、すこし悲しげだ。

「意地悪を言うな……」

ジキも理解はしている。

死を求めている訳じゃなく本懐を遂げることに意味がある。

使命が無ければ迷いもなく地上で剣を振るっていたに違いない。

正直、皆と共に散る事の方が、皆を見捨てて独りで生き残る事よりもずっと気が楽だった。

「今夜、奴らを数百と殺して。だが、数日後には元の数だ。そんな戦いに意味があるかよっ！！」

「ある！！」と、ミキは怒鳴った。

　その声があまりにも至近距離で発せられたので、ジキは面食らっていた。

　悪態をつくジキの胸に顔を埋め、ミキは両手を彼の背に回し、すぅと深く息をついた。

「……おい？」

　ジキはその意図が分からず困惑する。

　こんなことは初めてだった。

　長い年月を共に切磋琢磨し、研鑽を重ねて来た二人だ。

　お互いに気を張り続けていて、抱擁どころか手を握ったことも無い。

　特にミキは、ジキにとっては監視役の様な存在だ。

　敬愛する野良長に対して、憎悪を剥き出しにしていた幼いジキを嫌悪していたし、警戒して見張っていた。

　ジキが長を憎むに足る理由はあったが、幼いミキには関係がなかった。

　理屈じゃない、愛する者の味方であっただけ。

　思い返せば喧嘩ばかりの毎日だった。

「すまない」ミキの唐突な謝罪に、「は？」っとジキは疑問を発する。

「お前が仲間に加わった日、長にはお前の姉になるように頼まれた。しかし、私は役目を果たすことが出来なかったな……」

　ミキのしおらしい態度に、ジキは意気消沈してしまう。

　思えば地下に来て以来、こうやって人の温もりを感じることは稀だ。

　ましてや、あのミキの体温に諭される事がある等と、ジキには思いもよらなかった。

　只、懐かしい。

　オーク達が人々を惨殺する中、手を引いて導き、抱きしめて恐怖を和らげてくれた姉の事が思い出される。

「そうでもないさ、お前なりの姉貴だったよ」

　ジキは、腕の中のミキの背をポンポンと叩く。

　出会った頃は大きく見えたが、いつの間にかずいぶんと小さくなったなと思った。

　地上で爆発音が轟く。衝撃がアジトの天井を揺らした。

　開戦の狼煙が上がったのだ。

「――さて、出遅れてしまったな」

　開始の合図を受け、ミキはジキを押しのける。

　先程まで顔を埋めていた胸板に拳をグイと押し当てた。

「さらばだ、良い家族だった」

　仏頂面で見慣れてしまったミキが笑顔を見せる。

　たったそれだけが余韻だ。それだけを告げると、ミキはすぐに背を向け、アジトを後に戦場へと駆け出して行った。　

　迷いのない背中を、ジキはただ見送るだけだった。

――地上。

「二十二ッ――おおっ！？」

　長身、ツリ目の野良が、オークの喉に刃を貫通させる。

　絶命を確認し、刃を引き抜くと同時に、作戦開始の合図が轟く。

　ヨキは開始の合図を待たずに行動を開始していた。

　仕留めた獲物は既に二十二匹にも達し、律儀に合図を待つ仲間たちに大きく差を付けていた。

「うっせっ！！　やり過ぎだろ、明らかにッ！！」

　独り、遥か彼方の合図担当に悪態をついた。

　爆心地の方角的には、王都の中心に近い。

　離れた仲間達にも聞こえるようにという配慮もあるが、その必要もない程の衝撃が駆け巡る。

　爆発は彼の想定よりも、遥かに大規模なものだった。

　残して置いても仕方が無いので、せっせと作って溜め込んできた爆薬を一斉に使ったのだ。

　まお、景気は良いな。と、昂揚する自分を心地よく感じていた。

「どんどん行くぜぇ！」

　ヨキは休む間もなく、標的を求めて駆け出した。

　ゲリラ活動慣れした彼等には、夜間の方が行動し易い。

　だからといって寝静まったオークの家を一件一件襲撃していては、あっという間に夜が明けてしまう。

　それは今までもやってきた事だ。毎晩、四、五十と殺してもまったくの焼け石に水だった。

　だから爆発は野良へ向けた合図だけではない。

　オーク達を叩き起こし、屋内から外へとおびき出す為の＜目覚まし＞だ。

　爆発の正体を確かめるべく、遠くへと意識を巡らせるオークを発見。

　一気に駆け寄り、反応の間を与えずにその頭部を砕く。

「二十三ッ！」

　同族の死を目の当たりにし、硬直していたもう一頭を、返す刃で仕留める。

「二十四ッ！」

　ヨキの武器は長柄の槍だ。

　槍というよりかは、長い柄を持つ大剣といった形状で、穂先が幅広の両刃になっている。

　これにより、長い間合いを活かした刺突に加え、長い柄に力を伝えての撫で斬りにも適した武器になっている。

　野良において最長のリーチを誇るヨキが扱う事によって、それは射程、威力において最大に達する。

　長柄武器ではどうせヨキには叶わないと、他の者が使用を断念する程、圧倒的な適正があった。

　二十五匹目の得物を求め、ヨキは駆ける。

　そして飛び出した街道の先に、オークの群れを発見した。

「おお、いるじゃねぇか。ちゃっちゃか行こうぜ。時間がねぇからなぁ……！」

　ヨキは無謀にも、オークの群れへと単身飛び込んで行く。

　力の充足を感じていた。今夜はこれまでのどの夜よりも調子が良い。

　今日の自分が今までで、一番強いと感じられた。

　これなら、他の連中の分を多めに肩代わりしてやっても良い。

　オークを殺しながらヨキは思った。

　こいつらを全滅させるのに、自分のノルマは何匹だろうかと。

――王城付近の裏路地。

　爆音が鳴ると、どこもかしこも大騒ぎだ。

　オーク達は各々に原因を考えたが、外界から孤立した樹海の王国で、これほどの爆音に前例は無かった。

　戦争か？　しかし、外壁の先に軍隊は無く、燃え盛るのは都の中心部。

　ならば事故か？　或いは中央広場の晒し者を野良達が奪還しに来た。と、考える豚もいる。

　中央広場には既に、十分な軍隊が配備されている。

　加えて、爆発に煽られた王城からも、現場へと出向して行く部隊があった。

　数だけは過剰に余っている。

　野良長は物陰に腰を落ち着け、しばらく身を潜めていた。

　王城から都市へと出撃していく大軍を見送ると、のんびりと立ち上がる。

「さて――」

　其処は既に城の敷地内だ。かつて王国軍専属の職人として活躍した長にとって、王城は職場の一つ。

　出入りは馴れたもので、此処まで大した妨害にも合わずに侵入を果たしていた。

　野良長と国王は親友と呼べる間柄だった。

　長は貴族ではなく、平民の職人でしかなかったが、王は彼の天才的な腕前を尊敬し、よく重用した。

　その為、野良長の王に対する忠義は厚い物だった。

　敵の本陣に単身で乗り込む。

　無謀以外に無いが、死に場所を決める段になればそんなものは関係が無かった。

「死ぬ前に、もう一度だけ観ときてぇったらよぉ――」

　野良長は王城を見上げ、その先の玉座の間を思い出す。

「――此処しかねぇんだよな」

　重い足腰を引きずりながら、野良長は城門を潜って行った。

　去った後には、いつの間に片付けられたのか、門番の死体が四つ地面に転がっていた。

　　第十話、『命を懸けて』に続く。