第六話 続・彼女の風景


家畜のロッコは今日も主人に連れられ街を徘徊させられる、外を歩けばオークたちの目を引いた。


「うらやましい。ああ、とても羨ましい。その雌、こっちに譲ってくれよ」


今日も見知らぬオークがたかってくる。


「相場の十倍もって来い、機嫌が良ければ考えてやるよ」


散歩とは名ばかりの連れ回し、その目的は高級品の自慢でしかない。


邪険に扱われた雄は「傷物の癖に」と、悪態をついて去って行った。


目玉の一つが無くてもまだまだ市場価値は衰えない。


過去、自分たちに隷属を強いてきた人間を飼育する行為はオークたちにとって最高にステータスだ。


「さあ、こっちに来るんだ!」


豚が人間の首にかけたリードを操作する。


いつもとおなじ風景、昨日まで疑問を抱くこともなかった日常、だのにロッコの歩調は重かった。


世界がちがって見えるのは左側の視界がせまくなったせいか。


不快感は怪我に誘発される頭痛のせいか。



市場は昨日と同様に二足羊の解体ショーで賑わっている。


「おいっ、見てみろ! あの人だかりを!」


豚の指示にロッコは「はい」と言って従った。


どんなときでも家畜に許された反応は一律だ。


相手が誰でも、どこでも、どんな指示にもおなじように反応する。


オークの見分けなんてつかないし、いまの主人が何匹目かもおぼえていない。


誰が誰ともわからない、明確なのはあちらが上でこちらが下ということだけ。


それがなぜかなんて考えたこともない、そんなぼんやりとした人生だ。


なんとなく生きて、なんとなく死ぬだけ。


石版に押し付けられた少年の瞳が語っている。


生きててもおなじ、死んでもおなじ──。


つぎの瞬間、頭蓋を割る音が小気味よく空に響き渡った。


豚たちは皆、この音を楽しみにして集まる。


これが爽やかな一日の始まり。


流れ作業で頭部を粉砕され息絶えていく同族を見ていると、それがとても地下の野良たちとおなじ種だとは思えない。


あらためて彼らの意志をたたえた強い眼差し、真っ直ぐに伸びた立ち姿を思いかえす。


自分で決めろ! 意思を、言葉にして示せ!


魂が宿った言葉、その美しい意志の力が頭のなかを満たした。


頭部をくだかれた同族が、その場で四肢を切り分けられていく。


昨日まではなんでもなかった風景に、今日にかぎって吐き気をおぼえる。


──見たくない、通り過ぎてしまいたい。


その異常を豚にさとられてはいけないと思い、ロッコは平静を装っていた。


それでも止めようもなく脂汗が額に浮かぶ。


豚はロッコの歩調に異変を感じていたが、巻き付けた布の下でつぶした眼球が痛んででもいるのだろうと気にとめることはなかった。



今日も一日、ロッコはただ無心に指示に従った。


じっとしていること、賛同すること、なるべく失敗をしないこと、うまくすれば与えられる苦痛が軽減される。


──それであと数年は生きることができる。


そう思った直後、おどろくべき新発見とばかりにロッコは天を仰いだ。


生きることができる。だなんて、いままではそんな発想すらなかった。


百年生きても一秒後に死んでもかまわない、そう考えて死を恐れたことは一度もない。


怖かったのは理不尽に振るわれる暴力による痛みだけ。


死を恐れたと言えないこともないけれど、それは反射でしかなく思考した結論ではなかった。



ロッコは便所に付き従い、豚が用を足し終わるのを眺めて待った。


終わると豚が尻を突き出してロッコが舌で掃除するのを待ち構える。


体に染み付いた作業だ、不手際の起きようもなかったはずがロッコはうわの空だった。


「…………」


便のこびり付いた肛門を眼前に、ほうと虚空を眺めていた。


――死に、たい。


生きることが出来る。という自覚を得て、出た結論は『生きる』ではなく『死にたい』だった。


――いま、死にたい。いますぐ死にたい。


本来の自分たちは野良たちのように美しく舞える種族だった。


けれど、自分はちがう。


このまま石版のうえでくだかれた家畜とおなじ道をたどるだけの存在だ。


目頭が一瞬で熱くなり、ホロホロと涙がこぼれ落ちる。


オークは異変に気付くと立ち上がってロッコを殴った。


彼女の頭蓋骨ほどもある拳の一撃は強烈で、壁にたたきつけられて崩れ落ちる。


「ボケっとするな、舐めろ!!」


たとえ理解できていなくても、不可能でも、間違っていても、問いかけには『はい』と返事をする。


そういう決まりだ。


二足羊はそういうふうにできている。


ロッコは裂けた唇を動かして返事をしぼりだす。


「いやだ……」


その言葉を発したのは、この世に生を受けてはじめてのことだ。


オークが二足羊からその言葉を聞いたこともない。


オークの拳はふたたび彼女にむかって拳を叩きつけた。


危うく殺していたがロッコはまだ生きている。


「食えっ!」


オークはいま出した便を素手で掴みあげロッコの口へと押し付けた。


「いやだ……ッ!」


ロッコは首をふって拒絶する。


オークはパニックを起こしていた。


これが我が子ならば怒りにまかせて殺しているところだが相手は家畜、『何故』という疑問が先に立つ。


それほど二足羊が逆らう姿は異常な光景だった。


「食えぇぇぇッ!!」


「いやだッ!!」


オークはロッコを床に押し倒し、馬乗りになるとムキになって大便をねじ込もうとした。


ロッコは必死になって抵抗する。


家畜の抵抗に、しかしオークは怒りを凌駕する興奮を覚えていた。


フフと笑いがこぼれ、次第に高笑いへと変わる。


オークにとって人間の家畜化、蹂躙は自分たちを下等と定めた種への復讐だった。


それにより最大限の愉悦と快楽を、豚共は感受することができていた。


さらなる逆転を封じるため革命以前の大人を皆殺しにし、成人まで生かさないことで完全な勝利を手に入れた。


同時に彼らは張り合いを無くしてしまったのだ。


敵対種族の淘汰はいつの間にかただの人形遊びに成り果ててしまった。


抵抗するロッコはそんなオークにとっては求めていた刺激だった。


ただ大人しくされるままだった昨日までとは違う、アクションに対してリアクションがある。


嫌がる相手を無理矢理に組み伏せ、意のままにするのは格別だった。


対象は非力で圧倒的に自分に部があることが嗜虐心をくすぐる。


少女の悲鳴はご馳走だ。


オークの荒い鼻息はロッコの髪をなびかせ、バケツ一杯あるだろう粘度の高い唾液がロッコに浴びせられた。


興奮のあまひオークは言語を失い、獣そのものの咆哮をあげてロッコのうえで体を激しく揺さぶった。


まるでそれが本来の姿と言わんばかりに言語を手放しいななく姿がお似合いだ。


理性のタガがはずれ完全な獣へと変貌していた。


下腹部に与えられる快感に、欲望の解放に全意識をさかれた豚。


そのせいで気づかない、ロッコの冷静かつ冷酷な反撃に反応することができない。


ロッコは左手でオークの顔面に触れる。


そして人差し指と中指を迷いなく眼球に滑り込ませると、スプーンで果実から果肉をすくいだそうとするように刺し込んだ。


その動作があまりにすみやかで静かだったため明確な攻撃であることを察知できたのは、ロッコの指が眼球をしっかりと握ったときだ。


激痛を感じると同時にオークの右目は頭部を離れ、床に叩き付けられて破裂した。


その手段を彼女に教えたのは他ならぬこのオークだ。


「プギィイイイッ!!!」


オークは豚さながらの絶叫を上げた。


その隙をついてロッコは豚の腹の下から這い出す。


ついにロッコは自らの意思でオークを振り払い逃げ出した。


逃げ出したがすぐに転倒する。


左足首を襲う鈍痛が踏ん張りを効かなくし床を蹴れなかった。


圧倒的な体重差の相手と揉み合うことで彼女も無事では済まなかった。


すぐに立ち上がろうとするも叶わず、転倒したロッコの体を追い付いたオークの影が塗り潰す。


片目を失った豚がロッコを見下ろしている。


痛手を負ったことで冷静さを取り戻し、不用意に顔を近付けたりはしない。


ふたたび噛み付かれて残りの視力を奪われては堪らない。


ドンと重い音が鳴ってロッコが痛みにうめく。


「ああアッ!!」


逃げ出そうとするロッコの負傷箇所を踏みつけてオークが逃走を妨害している。


オークは視界からロッコをはずさずに呼吸を整えるように努めた。


──なぜたったの一日でこの家畜が変貌したのか。


冷静になってその事に思いを巡らせていた。


「……おまえ、なにかあったな。あの忌々しい野良が逃げ込んできたときに懐柔されたな?」


だとして、根切りをした二足羊がこんなにも簡単に主体性をとりもどし反抗するなんてことは想定外だった。


主人は軍部に所属する一頭で、このことから潜伏する強力な敵が戦力を容易に拡大できると想像するに至る。


「……おまえを殺処分しなければならない」


現実にはロッコは懐柔されるどころか受け入れられずに追い返され、寿命のちかいリーダーを抱える野良たちが長期的な計画を企ているわけでも無い。


「──ヤツらについて知っているかぎりを吐いて、おまえは死ななければならない」


オークはすぐに事態を共有し、ロッコを吊るしあげると軍隊を動かした。


そして三日後、この国からロッコとすべての野良がいなくなる──。


脅威は排除され、オークの王国は以降十年の繁栄を謳歌した。



 

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