第十一章 転進
救急車と消防車のサイレンが夜の街に木霊し、喧噪が拡大していくのを見ながら、かすみ、治子、留美子は現場であるカフェから離れていった。その場に留まる事によって、被害がより拡大する可能性と敵が増援を送り込んで来た時、対処できない危険性があったので、森石章太郎の判断で三人は店を出た。
「あの男、今度あったら絶対に許さない」
治子は激高していた。その怒りの大きさに留美子はビクビクしている。一番冷静なのは、かすみだった。彼女は罠を仕掛けた結果、関係ない人達を巻き込んでしまったという罪悪感を抱いてはいたが、敵の正体が掴めたのをよしとしようと前向きに考えていた。
「勿論私もです。あの男は力を楽しんで使っているように見えました。その考えは断じて許せません」
かすみは治子を見て言った。治子は楕円形の黒縁眼鏡を忙しなく上げながら、
「最初に会った時もそうだったわ。異常よ、あいつは」
治子はその
「只、あの男を潰してしまっては、背後にいる連中を割り出せなくなるから、手足を折るくらいにしておいてね、留美子」
治子の怒りに同調したのか、留美子の
「はい、治子さん」
顔を赤らめて応じた。かすみはそんな二人のやり取りを羨ましそうに見ていた。すると治子が、
「貴女も私や留美子にとって、かけがえのない親友よ、かすみさん。そんな風に思わないでね」
かすみは治子に心を読まれたのでハッとした。
「私達、誤解されているようだけど、そういう関係ではないわよ。ね、留美子?」
治子が微笑んで留美子を見る。留美子は自分の考えを治子に知られたのを恥じたのか、
「は、はい」
俯いて顔を真っ赤にした。
チャーリーは自分がヘマをした事に気づき、普段はあまり帰らない寝るためだけに借りているアパートに戻り、頭を抱えて床にしゃがみ込んでいた。きっと蒲生千紘は激怒している。もう二度と抱く事はできない。チャーリーは何よりもそれを残念に思っていた。千紘の正体がばれた事など気にも留めていないのだ。
「まあ、いっか。千紘ももう下り坂だ。今度はあのツンとした眼鏡の女を抱けばいいんだよな」
万事がそれのチャーリーだったが、携帯が鳴ったのでビクッとした。着メロで誰からかわかるからだ。
「はい」
サッと立ち上がり、緊張の面持ちで通話を開始した。
「不手際だな、チャーリー」
それは天翔学園の理事長というおもての顔を持つ小藤弘だった。チャーリーの顔に一気に汗が噴き出した。
「千紘を宥めるのに大変だった。実に無駄な時間を過ごした。お前にはその責任をきっちりと果たしてもらうぞ」
何の前触れもなく、チャーリーの左腕が何かの力を受けて捻られた。
「ぐう……」
チャーリーはそれが小藤の力だと承知していた。
「何としても森石を始末しろ。それができなければ、今度はその首が三百六十度回るぞ」
右腕にかかっていた力が消え、チャーリーはそのままドサッと床に仰向けに倒れた。
小藤は理事長室で携帯を切り、漆黒の机の上に置いて大きな回転椅子に身を沈めた。
「どうしますか、ボス? 道明寺に私の正体を知られてしまいましたが?」
黒革のソファに座っている千紘は何故か黒のブラジャーとパンティしか身に着けていない。
「構わんさ。この敷地に入れば、またリセットされる」
小藤は全く動揺していない。千紘は彼の能力の底知れなさを感じ、顔を引きつらせた。だが、ニコッとして立ち上がり、
「さすがボスですわ。中里満智子を取り込むまでもなかったですね」
小藤の背後に回り込み、その背中に抱きついた。小藤は右手で千紘の右頬を撫で、
「いや、当初のお前の提案通り、あの女を操れ。あいつは翔子の仇でもある。徹底的に利用しろ」
そう言って、軽く叩いた。千紘はその手を猫のように舐め、
「わかりました、ボス」
狡猾な笑みを浮かべた。小藤は千紘を膝の上に載せ、その唇を貪った。
「私の力を知れば、道明寺かすみは己の無力を思い知るだろう。だが、すぐに屈服させては翔子の弔いにはならん。だから、とことん追いつめてから、メディアナに引き渡すさ」
メディアナとは、国際テロリストのトップである。
「そして何よりも、翔子の窮地に助けに来られなかった私の懺悔も込めているからな」
そう言いながらブラを剥ぎ取り、乳房を揉みしだく小藤の真意がどこにあるのか、千紘は気になっていた。
事件後二時間経って、森石章太郎はようやく落ち着きを取り戻した店内を見渡し、消防と所轄署に挨拶をするとその場を離れた。
(あのヤロウはとことんいかれてやがる)
あまり感情的にならない森石だったが、チャーリーの情け容赦のない攻撃には腹を立てていた。
「森石さん、ですよね?」
下を向いて歩いていたので、声をかけて来たのが誰かわからなかった森石は、反射的にそちらを見た。
「お久しぶりです。天翔学園高等部養護教諭の中里満智子です」
はにかんだ笑顔で言われ、一瞬だが
(そう言えばこの人の私服姿、初めて見たな)
中里は白衣のイメージが強かったが、その時の彼女はローズレッドのノースリーブのワンピースを着ていた。長身の彼女にはそれは見事にはまっており、ピンヒールも似合っている。髪も普段の豪快にまとめたポニーテールではなく、フワッとまとめて顔の右側に下ろして編み込みを交えている。魅力の一つである厚めの唇はいつもよりツヤツヤとしたルージュが引かれていた。
(あれ、可愛いぞ……)
森石はキュンとしてしまった。
「食事は?」
思わず口説こうとしている自分に驚いてしまう。すると中里は頬を朱に染めて、
「まだです」
「では、ご一緒に如何ですか?」
森石が言うと、中里はまたはにかんだ笑顔で、
「はい」
そう応じ、差し出された森石の左腕に自分の腕を絡ませた。
(おお、先生、案外巨乳じゃん)
腕に当たる柔らかいものにすっかり興奮している森石は、完全に千紘の術中だった。付き合っているはずの新堂みずほに見られたら修羅場になるなどとは少しも頭の中に浮かばない状態だ。
「もっと油断しろよ、アンチサイキックの兄ちゃん。天国から地獄に突き落としてやるからよ」
それを近くのビルの屋上からチャーリーが見ていた。
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