第二章 狙われた横山

 天翔学園高等部の敷地からそれ程離れていない場所で、ロイドとチャーリーの戦いが繰り広げられたにも関わらず、かすみは全くそれを感知できないでいた。

「あれ、珍しい……」

 かすみは窓の外に見える校庭にある女子がいるのに気づいた。手塚治子。かつて死闘を繰り広げたが、今はお互いを信頼している友である。長い黒髪を腰まで伸ばして楕円形の黒縁眼鏡をかけている。高等部は卒業したので、着ているのはチャコールグレーのタイトスカートと白のブラウスである。

(どうしたのかしら?)

 治子には千里眼クレヤボヤンスの能力がある。彼女は天翔学園大学に進学したので、今は別の場所に通学しているのだ。にも関わらず、高等部に姿を見せたのは、何か大事な用があるという事になる。かすみはそう判断し、教室を出た。

(手塚治子……。余計な動きをしてくれるね)

 高等部の数学の教師であるとはとても思えない挑発的な網タイツを履き、ブラウンのショートカットで、白のブラウスと黒革のミニスカートという出立ちの蒲生千紘が職員室の窓から治子を睨んでいた。

(だが、お前如きがどう足掻こうとも、あの方のご計画を邪魔する事はできない)

 敵意に満ちた目から哀れみを帯びた目になり、千紘は自分の席に戻った。

(蒲生先生は何を見ていたのかしら?)

 まだ大学生のような雰囲気が抜け切っていない新堂みずほは、異能者ではないにも関わらず、目敏めざとく千紘の行動に気づいていた。

「あ……」

 そして、みずほも治子に気づいた。

(手塚さん、どうしたのかしら? 学校を間違えたのかな?)

 そんな天然系の思考も健在のみずほである。


「お久しぶりです、治子さん。今日はどうされたんですか?」

 かすみは辺りを警戒しながら治子に近づき、微笑んで尋ねた。

「お久しぶりね、かすみさん。どうやら貴女は気づいていないようね」

 治子も微笑み返したが、すぐに真顔になった。かすみは治子の表情の変化と言葉にギクッとした。

「麻痺させられているのよ。しばらくぶりにこの敷地に足を踏み入れると、はっきりわかるわ」

 かすみは眉をひそめた。

「麻痺? どういう事ですか?」

 治子はかすみを見て、

「今日、森石さんと会うんでしょ? 私も参加させて。それから」

 かすみの後ろに視線を移してまた微笑み、

「留美子もね」

 かすみは治子の視線の先に立っている三つ編みの女子を見た。

「片橋留美子さん?」

 印象が違ったのは、以前かけていた丸眼鏡をやめたからのようだ。

「隣のクラスなのに全然顔を合わせないものね。かすみさん、しばらく」

 留美子も以前はかすみと戦ったサイキックだが、今では友であり、同志である。

「ホントね。留美子さんは隣のクラスだったんだ」

 かすみはその事実にまたハッとした。治子はかすみを見て、

「わかった? 留美子が隣のクラスなのも気づかない程、貴女の力はセーブされているのよ、かすみさん」

 かすみの額を汗が流れ落ちた。

「森石さんがコンタクトをとって来たから、何かあるとは思っていましたが、想像以上の事が起ころうとしているようですね」

 かすみは治子と留美子を交互に見ながら言った。治子は頷き、

「これ以上話をしていると危険だから、私は行くわね。じゃあ、また夜に会いましょう」


 治子は警戒していたが、敵はその後も何も仕掛けて来なかった。そして、何もないまま、放課後になった。

「かっすみちゃあん、一緒に帰ろうねえ」

 お調子者の横山照光が現れた。

「横山、お前今日は蒲生先生の補修があるんじゃないのか?」

 かすみと同じクラスの風間勇太が半目で告げた。横山はハッとして、

「ごっめええん、かっすみちゃあん。今日は一緒に帰れないや。許してね」

 両手を合わせて片目を閉じた。

「かすみさんがお前を許す事は今後一切ない!」

 そこへ五十嵐美由子がやって来て、すっかり恒例になった鞄の角の攻撃をした。

「ぐへ!」

 横山は完全に油断していたらしく、頭を押さえてうずくまった。

「大丈夫か、横山?」

 勇太は言葉では心配したフリをしているが、顔は笑っている。横山は涙目で美由子を睨み、

「ちっくしょう、お前が殴ってばかりいるから、俺はドンドンバカになって、補修を受けなきゃならないんだぞ! どうしてくれるんだよ、ゴリラ女!」

 横山は、「ブス」と言うとかすみに叱られるので美由子を「ゴリラ女」とか「メスゴリラ」とか渾名で呼んでいる。

「お前のバカは生まれつきだ、エロガッパ!」

 美由子は今度は拳骨で頭頂部を殴る。

「ぐうう!」

 横山はまた踞った。かすみはそれを唖然として見ていたが、

「あらあらあ。横山君はあ、そんなに私の補修を受けるのが嫌なのお?」

 おっとり口調で千紘が現れた。すると横山は突然復活し、

「いえ、そんな事はありませんです、千紘先生! いつでも発進できます!」

 意味不明な返しをした。かすみ、勇太、美由子が揃って半目になった。

「じゃあ、行きましょうかあ、横山くうん」

 千紘はニコッとして、廊下を歩いていく。

「はいはあい」

 横山は太鼓持ちのようなリアクションで嬉しそうに千紘を追いかけた。

「あの底なしエロ妖怪が!」

 美由子は仁王立ちで腕組みをし、廊下を去って行く千紘と横山を睨みつけた。

「かすみさん」

 そこへ勇太の幼馴染みの桜小路あやねが現れた。かすみはあやねに視線を移し微笑む。

「何、あやねさん?」

 すると何故かあやねはかすみの手を取って勇太達から離れた。

「何だ?」

 残された勇太と美由子は思わず顔を見合わせてしまった。

「ずっと訊きそびれていたんだけど、かすみさんて、森石っていう男の人、知ってる?」

 あやねは声を低くして言った。かすみは森石から事情を聞いているので、あやねがどうして彼の名前を知っているのか承知していた。

「ええ、知っているわ。以前、助けた事があるの」

 かすみはニコッとして答えた。あやねはその反応にホッとして、

「そうなんだ。ストーカーかと思ったので、ちょっと心配しちゃった」

「そうなんだ」

 かすみは苦笑いした。

(確かにある意味ストーカーよね、森石さんて)

 かすみは森石が自分に近づくのは、恩義を感じているからだと思っている。確かにそうなのだが、森石がかすみに近づく理由の半分は、彼女の胸と太腿にあるのをかすみは知らない。森石は反異能者アンチサイキックなので、治子の千里眼を以てしてもその心を覗く事はできないのだ。

「ちょっと怪しい雰囲気だけど、悪い人じゃないよ、森石さんは。あやねさんには優しいと思うよ」

 かすみは更に微笑んで告げた。あやねはキョトンとして、

「どうして?」

「森石さんは可愛い女の子が大好きだから」

 かすみにそう言われて、あやねは顔が火照るのを感じた。

(私よりずっと可愛いかすみさんにそんな事を言われると恥ずかしい……)

 あやねはドキドキしていた。

(やだ、私、何を考えているのかしら?)

 あやねは何故かかすみと睦み合っている自分を想像してしまった。それもまた千紘の言う「あの方」の力の影響なのだ。

「一緒に帰ろうか、かすみちゃん」

 勇太が二人を追いかけて来て言った。あやねは自分の妄想が恥ずかしくて、勇太の声が耳に入っていない。

「ごめん、勇太君。今日は約束があるんだ。また今度ね」

 かすみはそう言うと、廊下で待っていた留美子と一緒に玄関へと歩き出した。

「誰だ、あの子?」

 雰囲気の変わった留美子に少しだけ時めいてしまった勇太は、慌ててあやねを見たが、あやねはまだボンヤリしていた。 


 その頃、横山と千紘は誰もいない教室で二人きりの補修を始めていた。

「さあ、横山くうん、始めるわよお」

 千紘は横山の膝の上に座っていた。横山の目は虚ろで、何も見ていないようだ。

「貴方には私の忠実なるしもべになってもらうわねえ」

 千紘はそう言うと、横山の口に吸い付き、激しいキスを始めた。それでも横山は無反応だった。千紘の右手が横山の学ランを脱がせる。

「若いっていいわねえ、横山くうん」

 千紘は再び横山の唇をむさぼった。

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