出世寿司

北風 嵐

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 梅沢君は握り寿司が大好きだった。彼は大学の寮の食務部長をしている。寮は自治寮である。入寮者を面接して入れる権限は学生が持つ。親が満足な仕送りもできない時代、大学の寮は貴重な存在で、入寮は競争率が高かった。

 自治である。賄いスタッフの人件費や光熱費は学校が持つが、食材の調達は寮生が払う食事代で賄われる。食務部長は業者の選定、仕入れに悩む。乏しい予算の中でいかに寮生が満足のいく食べ物が提供できるか、部長の責任は重大である。


 梅沢君と一緒に街を歩いていると、足を止める。大根の値段を見ているのである。魚屋の前でも同じである。下手な主婦より値段に詳しい。寮では朝晩2食が提供される。昼は学食を使う。1ヶ月の食券が売り出される。それを買えば2食が保障される。しかし、家からの仕送りもなく、アルバイトが切れたということもある。そんな時は、1ヶ月に限り、つけで食券が手に入る。しかし次月は2ヶ月分がいる。


 欠食は2日前に届けを出せば、払い戻される。滅多にないが、今日彼女に誘われて一緒に食事になった時などは、寮に電話を入れ、一番困窮しているらしきものに渡される。これで食いつないでいるものも何人かはいた。

 そんな訳で、「寮長に逆らっても、食務部長には逆らえない」のである。毎日の食べることである。食務部長には寮長よりも責任感の強い者が選ばれる。よって、梅沢君は責任感が強いのである。


 梅沢君は、いつも赤い薄手のジャンパーを着ている。夏は袖をたくし上げ、冬は中にボロセーターを着込む。1年中同じジャンパーを着て不潔と思ってはいけない。彼の部屋にはもう一着同じジャンパーが架かっている。キャンパスで遠くから赤いジャンパーを見つけたら、彼である。僕は、彼はオシャレだと思った。


 梅沢君は背が小さいが、声は大きい。酔うと議論好きである。少しシツコイのが欠点である。「でもサー・・」と言って、前髪がパラリと、顔に落ちれば警戒警報である。でも普段はあっさり竹を割ったような気性である。

 その梅沢君に寿司を誘われた。そんなもの、家に帰ったときしか食べられない。親父は、外食は贅沢と言っているし、めったに食えたものでない。誘われても勘定は多分割り勘だろう。食務部長には逆らえない。

 久しぶりに食べた寿司は美味かった。マグロなどは舌の中で幸せに溶けるようであった。梅沢君が誘ったのは、1貫を分けて食べれば色々注文できるからだ。さすが寿司好きの彼である。安くて旨い店を知っている。


 余りにも美味しかったから、1ヶ月後にバイトのお金が入ったので、一人でその店に出かけた。好物の、イカを喰った。次はアナゴ、

「トロに、ウニに、アワビ・・」とつぶやいた。

「ヘーイ、握るんですか」と寿司屋の亭主が云った。

亭主と云えば女房だ、前も、今日も見ない。下働きの女も見ない。小さな店だから一人でいいのだろうと思った。

「イヤ、食えたらいいなぁーと、思っただけ」と云うと、

「何を情けない、末は大臣か博士だろう」

「そんなええもんにはなれませんよ」と、僕。

「一応国立だろう、出世寿司だ」(一応がついた)と云って、その三つを半貫ずつ握って出してくれた。勿論勘定には入らない。

 僕は亭主の温情に涙して味わった。何と美味しかったこと・・ (´;ω;`)。


 その寿司屋の亭主の温情に何とか応えようと思った。寮の親しい仲間の卒業コンパがある。座敷があるかと訊いたら、なんなら2階を使ったら良いと答えて「卒業かい、それはおめでとう。女房をお酌に出すよ」と言ってくれた。

 これを帰って梅沢君に話したら、

「そら、良かったね。お前を出世する顔と見たんだろうよ。それともよっぽど哀れに思ったのかも知れないなぁー」と彼は言った。勿論、僕の顔は後者の方であったろう。「でも、奥さんをお酌になんて凄いサービスだ」と続けて言った。


 梅沢君が凄いサービスと云うのは、なんでも、奥さんは売れっ子の芸者さんで、惚れた亭主が拝み倒して嫁さんにしたらしい。最初は店を手伝ったが、言い寄る男もあって亭主は店に出さなくなった。奥に大事に仕舞っているということである。チラッと見たことがあるが、美人だと梅沢君は云った。


8人ほどで行ったと思う。勿論、梅沢君もメンバーに入っている。2階を使わして貰う礼を言って2階に上がった。既に料理の用意は出来ていて、奥さんたる女性は白い割烹着を着て甲斐甲斐しく働いていた。亭主が拝み倒しという話はまんざら嘘ではないと思った。

 奥さんは階段を忙しく上がり降りをしたが、お酒の燗を運んで座敷についた。

「卒業ですって、おめでとうございます」と、一人ずつにお酌をして回った。そこは昔取った杵柄とかなんとかで、座敷は大いに盛り上がった。久しぶりの接客に張り切ったのか、若い僕らの魅力がそうさせたのか、『野球拳』をやることになった。もっとも、上手に乗せたのは「おーい!中村くん」でありまして、彼は下宿をしていた頃、下宿の女将とその娘の親子丼をしたぐらいで、女のあしらいに長けていた。


 あまりの、2階の楽しそうなのと騒がしいのとで、亭主は「何ごと?」と思ったのか様子を見に上がってきた。丁度最後で、赤い腰巻を脱がせばいいとこで、僕らは足音に気をいくところでなかった。その後どうなった・・?

私の面子はさておき、梅沢君の面子を潰し彼には悪いことをしたと思った。8人、畳に頭を何度も擦り付けて、亭主に平謝りに謝ったことだけは憶えている。



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