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三
窓ガラスに切り取られた雪庭には月灯りがしとしとと降り注いで、今にも手元の書物を濡らさんばかりであった。
その書物を私が手に入れた経緯を語るのは少し込み入ったものになる。強いて手短に言えば、私が師から譲り受けた師自身の著作であるのだが、恩師はとある事情の所以に途中で筆を折ったため、結局世に出なかった未完の書物なのだ。
中身は至って平凡な田舎村の怪異の覚書。若かりし頃の恩師が直接その村に赴いて、記録の精読や聞き取り調査によってまとめ、完成すれば画期的ではなくとも貴重な民俗学の資料となるはずであった。
しかしそれは完成しなかった。その理由として当初、私は半信半疑であったのだが、恩師はこう語った。
村が消えてしまった。
近頃は村ごとの住民登録も進み、軍事目的の土地でない限りはかなり正確な地理が記されているが、当時は戦後間もなくのためか、あまり信頼のおけない記録も多い。
されど私の調べた限りであれば、確かにその村はちょうど恩師が赴いていたと思われる時期以降、その場所に住むものはおらず、ただ廃墟が幾つか残るのみであるらしい。
こう語るとまるで出来損ないの怪談のようで愉快ですらあるが、事実は味気ないものだ。
まずひとつにはその村というのがすでに人口二桁足らずであったこと。そしてそれらの人々はほとんどが互いに血族であり家長の一言で全員が一度に都市部へ引っ越してしまったこと。
それだけである。
師の調査がよほどはた迷惑なものであったのかと邪推もするが真相は知れず。兎にも角にもそのような理由で師の研究は続行不可能と相成った。そのようないわくのある記録書物であるが、中身はやはりよく出来ている。
その村での社を中心とした信仰体系は元より、独自の神話と無理のない解釈。村の歴史から一族の由来までを網羅されてある。されど最も大幅に項を費やしているのは、その村にしかない珍しい怪異の記録である。
例えば次のようなものがある。
ある男が娘の首を絞めて殺してしまった。仲の良かった父娘だけに周りの者も訝しんでいると、カギツネサマの験でその娘殺しは因果によるものでありその男はカギツネサマの縁に従ったに過ぎないとわかる。かくして村人は捕えていた男を解き、娘を手厚く葬って、元通りに暮らし始めた。また、その男は二度と人を殺すこともなく死ぬまで善行を積んだ。
ここでいうカギツネサマとは一種の神格で特殊な方法によって村に験を与え、その時々に村の悩まされている重要な物事を解決するらしい。師はこの怪異を原始的な裁判システムと捉えており、カギツネサマの名のもとに村の有力者が有意に手打ちを行っていたものと推察する。
されどここで注目すべきはその事例の量と新しさである。記録に残っているだけで似たような怪異がいくつも起こっており、またそれが当時までも生まれ続けていたという。
天気の話をするような呑気さで、カギツネサマにお供えをしたところ老父の病状が良くなったというような話から、家の中で失くしたものをカギツネサマが持っていかれたというように表現し、諍いの種を事前に解消していたようである。
師がこの独特な信仰の何処に惹かれて、研究対象と定めたのかは知れない。されど未完とはいえかくたるまで尽力して記録を残したのであれば、当時調査を断念せざるを得ない事情に行き当たった時分はさぞかし無念であったろうと推察される。
正気を失ったのも仕方のないことであろう。
恩師はその言動を知る人が口を揃えて変わり者だと認める稀有な人物である。普段から狐の面を被り、何もない場所に訥々と語りかけたかと思えば、次の瞬間には猛烈な勢いで論文の執筆を始め、二日は飲まず食わずで部屋から出てこない。そのようでありながら、なまじその論考の視点は鋭く後進への教育にも熱心であったので、とうとう追い出されることもなく定年まで教授職を務め上げ、お年を召されてからもご自宅で研究を続けている。
かくいう私は師の末弟子にあたる。学生の時分、彼の研究室に通いその学識にあやかるばかりでは飽きたらず、恥知らずにも師の退職後はその屋敷に泊まりこんで教えを請うた。
心酔していたといえばその通りであろうし、今尚、言動はともかくその秀でた知能に感嘆するばかりである。かくも厚かましい学生を可愛がっていただいた恩は容易に返しきれるものでもない。
されど、そう。
私はその恩に罪を返した。
長らく書き物の手が止まり、思念に没頭していたことに気が付き嘆息した。ランプの灯りが揺れる時計盤の数字をひとつふたつと数えてみれば、そろそろ夜明けも近い時分である。あのあと目当ての本を自室に持ち帰った私は師の書物を捲りつつ、学生らに読ませる要旨を拾ってはノートの端に写し書きをしていた。しかし一向にその手が進まず、代わりにあの頃の記憶ばかりがまざまざと蘇ってくる。
散らすように宙を掻きむしり、床に就くことにする。考えがまとまらぬ時は考えぬが宜しい。下手に無理をすれば自身の罪を思い返してそのまま圧し潰されるであろう。
ふと見下ろした自筆にその文字を認めた。
禍狐。
カギツネサマと呼ばれたその名への当て字である。この字は恩師が村人らの語る由来から考察して当てた。禍を引き連れる妖狐。堕ちたものには災禍を与え、平穏に暮らすものからは災禍を取り去るという。
しかしはたと私は違和感を覚えた。
『禍狐』の由縁については師の故意であるのか、詳細は曖昧である。具体的な怪異の事例を見ていっても、災禍の事柄以上に断罪的な意味合いの方が多く強調されているように思われる。
すなわちこれらの事例にはカギツネサマが用いられる必然性がないのだ。天罰だという言い方でも因果応報という言い方でも説明のつくところを村人らは無理にカギツネサマを用いて説明を試みたために、カギツネサマそのものの特性が忘れ去られているような節さえ見られる。
じっと考えこんでしまう。思えば思うほど不自然だ。
当たり前のことであるが怪異において重要なのは、その名を持つ神格の特性である。語られることによって存在する怪異は他と区別がつかなくなれば簡単に混じり合い、次第にもっと有力な怪異と置き換わってしまう。つまるところ必然性がないのである。カギツネサマという怪異が生き残り、語り継がれるだけの必然性が。
その不可思議な自体に恩師が気づいていなかったはずもあるまいが、しかしそのことについて触れられた箇所はない。一度気になるとどうにも落ち着かない。何よりその不合理について師がどのような解釈を行ったのかを拝聞したかった。
久々に師の家に参上しようかと思った。実に私が学生として住み込んでいた時分以来である。長い年月かの屋敷には近寄りさえしなかったのだから。
それは私に仕える若い女中の言葉を思い出したからである。
私の罪など取るに足らないらしい。
気になってしまったのだ。
あの女はまだ生きているのだろうか。
私の子を孕んだに違いないあの少女は。
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