隣の席の高梨さんの死体

言無人夢

1


僕の隣の席には高梨さんがいた。

彼女は人気者で、色んな人に愛されていた。

勉強やスポーツもできて、それを必要以上に自慢することも、他人に威張り散らすようなこともしなかったため、みんな彼女のことが好きだった。

結構、前のことだけど。

高梨さんは自分の席で首を吊った。

天井の梁に縄を器用に通して、彼女の席の真上で。

彼女がどうして自殺してしまったのかも、どうして自分の席だったのかも誰にもわからなかった。いや、彼女のことを僕以上に知っている人は知っていたのかもしれないけど誰もそれを説明してくれなかったし、何より彼女は死んでしまったのだ。理由も説明もたいしたことじゃなかった。でもあえて想像するなら彼女はとても大きな力。それは僕らが何の気なしに少しずつ差し出してしまった力の塊がふとした拍子に彼女の内部に漏れて、彼女はその内側からの大きな力に負けてしまったのだ。

僕らは悲しがった。戸惑った。明日からどう生きていけばいいのかもわからなかった。

でも不思議なことに明日はやってきた。僕らは高梨さんがいなくなったにも関わらず高梨さんがいたときと変わらない世界を生きることになった。想うべき高梨さんがいなくても、目標にするべき高梨さんがいなくても僕らの命は続いた。続いてしまった。

さらに奇妙なことに、高梨さんの首吊り死体は僕の席の隣で首を吊り続けていた。その死体は当然のことながら高梨さんなんだけど、それは当然のように高梨さんではなかった。高梨さんは僕が登校してきても笑いかけておはようと言ってくれなくなったし、授業中に盗み見ても、無表情に首を吊ったままノートをとる様子もなかった。噂では高梨さんは王族だから、たとえ死んでいても政治的な理由から、この学校のこの席に在籍する必要があって、家族はこの死体をこの席の真上に吊るしておく事を学校側にお金を積んで頼んだのだとか。

まぁ事情はどうあれ、僕らの奇妙な日常はこうして始まった。僕らは高梨さんじゃない高梨さんとそれなりにうまくやってきた。高梨さんの死体を見上げてはため息を吐きつつ昔は良かったなんてつぶやいてみたり、生きてた頃の高梨さんを知らない新しく入ってくる下級生に高梨さんの死体の下で話をしてみたり、あるいは高梨さんは死んでないと思い込んで目標にし続けたり、見つかるはずのない後継者を探してみたり。ここまでがずっと前の話。

そしてこれからの話。

僕らはある日担任の先生からとんでもないことを知らされる。

高梨さんが転校することになったそうだ。これまた高梨さんは王族だから、死体であっても別の学校に転校することで色々な利益を産むのだろう。それで急なことだけど、明日業者さんが来て、高梨さんを『転校させる』のだと担任は僕らに告げた。

僕らはどうしたものかと途方に暮れた。元々死んでしまっているのだし、今更いなくなっても大したことはないような気もする。お別れ会でもひとつ開くとしても、主賓になるはずの高梨さんはすでに死んでいる。僕らのうちの誰も、何か特別なことをしようと言い出す人はいなくて、みな授業中休み時間関わらず、ちらちらと高梨さんを盗み見ては、明日からこの景色が見られなくなるということを必死に理解しようとしていた。僕もその一人だった。

すぐに放課後になっても、みな中々帰ろうとはせず、仕舞った教科書を意味なくかばんからもう一度出してみたり、友人と途切れがちな世間話をしたりしていた。

その時突然、ひとりの男の子が何かを決意した顔で立ち上がり、高梨さんの方へ向かった。ぱたりと雑談が止み、教室中の視線が彼に集まった。彼は高梨さんに向かって手を伸ばし、高梨さんのお尻に触ろうとした。あえて弁護するなら彼も気が動転していたんだと思う。明日からいなくなる高梨さんへの気持ちが変な方向に向いてしまったのだ。当然僕らはその手が高梨さんに触れる前に彼を引っ掴み、教室の隅でボコボコになるまで蹴りつけた。彼は泣きながらごめんごめんと謝ったけど僕らの誰一人そんな声を聞いていなかった。ただひたすらに高梨さんが汚された思いで最後には彼を窓から突き落とした。今思えば彼のあのごめんごめんという言葉には混乱や自分への嫌悪、高梨さんへの謝罪まで含まれていたような気がするけど、結局彼は全治二ヶ月の怪我を負ったし、それでぜんぶ精算されたのだと思うことにする。

そのあとは特に高梨さんに近づこうと考えるやつもいなくて、少しずつみな帰っていった。気付けば最後に残ったのは僕と高梨さんだけだった。僕は高梨さんの死体に何か声をかけるべきか考えたけど自分の中を探してもうまく言葉が見つからなくて、そもそも今まで何も言わなかったのに今日突然に何かを語りかけるのも奇妙だと思って、結局は何も言わずに見上げて、視線を外して、帰った。

そして明日が来た。

高梨さんは業者のおじさん達の丁寧な手つきで、天井から降ろされた。首についた赤い縄の跡は生きていた頃の高梨さんにはついていなかったものだ。彼らは高梨さんを傷付けたり不敬に当たらないように慎重に運びだした。それだけだった。

高梨さんは転校した。

あの日。

高梨さんが自殺したあの日と同じように。

高梨さんがいなくなっても、僕らの日常は終わらなかった。

何事もなかったかのように授業が始まる。

でも僕はそれどころじゃなかった。高梨さんがいなくなった空席が気になって仕方なかったのだ。自分でもわけがわからず、胸に溢れだした感情の名前を知ろう必死だった。それは僕だけではなく、教室中。いや、学校中のみながそうであるようだった。おかしい。こんなの絶対におかしい。

僕は気付けば立ち上がっていた。駆け出す足。止まらない。教師の呼び止める声。聞こえない。たどり着いたのは放送室だ。マイクのスイッチを入れる。

「高梨さんが転校した。僕は苦しくて仕方がない。虚しくて仕方がない」

名乗りもせずに始める。

「そりゃもちろん高梨さんはずっと死んでいたし、今更死体がいなくなったところで僕らには関係ない。そう思っていた」

考えもしないで言葉がするすると口から出てきた。

「でも違うんだ。違うんだよ。高梨さんの死体が死体であってもあそこにあの場所に吊るされていたのはきっと意味があったんだ。大人たちの事情なんかのことじゃない、僕らの事情だ。高梨さんは死んだあともあの場所に居続けたんだ。きっと僕らのために。でも今日、高梨さんは再び失われた。僕らは今度こそ本当の意味で高梨さんを失ってしまったんだ。これはきっと高梨さんのあるべきあり方ではない。だって僕らには例え死体であってもあの場所に高梨さんが必要だったのだから。二度と戻ってこないとわかっていても高梨さんを僕らは覚えていないといけなかったんだから。僕が言いたいのはつまりこういうことだ。


僕らは高梨さんの死体を取り戻さないといけない。


どこに転校させられたのかも知らないし、どうやって取り戻すのかもわからない。だけど僕らは高梨さんを取り戻さないと、求め続けないといけない。それはきっと苦しいだろうし惨めだろうし死ぬまで終わらないと思う。でもそれだけ高梨さんは僕らにとって大事なものだったんだ。


戦え。


社会がなんだ正義がなんだ王族がなんだ。僕は本当に大切なものだけは間違えたくない。今すぐ出発だ。一緒に高梨さんの死体を取り戻しに行こう」

何一つ不安はなかった。そうなるだろうと知っていた。そしてその通り、校舎全体から賛同する生徒たちの歓声が溢れだすように響きわたり、かすかに建物を揺らす。

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