アカイヤイバ

さいころまま

第1話





「悪いが、俺は抜ける。もう終わりだ」





 テオドール・ツァイスは少しも悪いと思っていないような、不機嫌な顔でそう言った。

 眠たげな瞳を精一杯に見開いて、ファラフナーズは呆然と問い返す。

「…今、なんと言いマシタか」

「聞こえただろう。抜けると言ったんだ。バルムンクも計画も」

 うんざりした表情で、テオドールは繰り返す。焦茶色の隻眼に、苛立ちが滲んだ。

 計画を、ぬける。テオドールが。――信じられない言葉を聞いて、紫髪の妖女はただ凍りついた。



 神竜王セフィロスを斬ることが、邪神の御子を殺す事が、彼の――テオドールの最大の望みであったはずだ。

 それを覆したものは何か。だが――それ以上に。



 テオの振るう剣が見られなくなる事、その事実がファラフナーズを打ちのめした。

 彼女は、テオドールの剣を愛していた。正確には、その剣が振るわれたときに撒き散らされる血と破壊を。

 強者の集まるセインにも、彼ほどに魔を憎み屠るものはなかった。

“斬魔卿”の名前もかくやというほどに容赦なく剣を振るう姿を、彼女はこよなく愛した。

 魔族のいないアルディオンに来て、その剣が見られなくなるのかと落胆もした。

 だが、彼の弟分たるレイルズが剣を学ぶことを切望した為に、その危機は去った。

 そして。そのレイルズを魔族の襲撃によって失った時に、テオドールは再び“斬魔卿”の名を取り戻した。

 レイルズの死を無為なものとしないために。魔族を滅するために。邪神の御子と、それを封ずる神竜王を斬る事を望んだテオドール。

 ともにバルムンクにあってその剣を見る事ができると知った時、ファラフナーズは銀の輪の精霊に感謝さえした。



「……我々を捨てて、どうすると言うのデス? 神竜王と邪神の御子、それを斬るのがアナタの望みだったハズでは?」

 一瞬の放心から何とか抜け出して、妖女は剣聖の望みを再確認する。微かに、声が震えているのは絶望の証だろうか。

「…………………」

 テオドールは答えを返さない。ただ、苛立ちを滲ませた隻眼をこちらに向けているだけだ。

 かすかな焦りとともに、ファラフナーズは目の前の男に切り札を突きつけた。

「―――レイルズを、無駄死ににするのデスか? ソレをさせないためにセインを抜けたアナタが?」

 その名を出せば、いかなテオドールとて冷静ではいられまい。そう信じて放った言葉に、返ってきた反応は――

「ああ、確かにな。だがそれは―――家族を斬っていい理由にはならねえ」

「かぞ……く?」

 苦々しい笑みとともに吐き捨てられた言葉の意味をはかりかね、ファラフナーズは呆然と呟いた。

 レイルズを喪って八百年。テオドールにはもとより妻も子もなく、家族と呼べるものはいないはずだ。

 ――――しかし、ひとり。

「ソレは……あの『荷物』の事、デスか?」

 十年程前、大きな町に立ち寄ったあとから、テオドールについてきた人間の子ども。

 剣聖の弟子入りを志願したというその子どもは、程なく放り出されるだろうとファラフナーズは思っていた。

 百年にも満たぬ寿命を生きるただの人間、しかもその一割をやっと生きたばかりのただの子どもなど、荷物でしかない。

 実際――今日の呼び出しとともに『荷物は捨ててきてクダサイね』とテオドールに告げたとき、彼は事も無げに頷いたはずだ。

 戸惑う妖女の前で、隻眼の剣聖は微かに息を吐き、いびつな笑みを口元に乗せた。

「……『荷物』、か。そう思い込めていりゃあ、違ったんだろうがな」

「事実デショウ。あの子どもが、荷物以外の何だというのデス?」

 子どもはテオドールについて回るうちに少年となり、剣技も少しは覚えているようだった。

 ――――それでも、荷物である事には変わりない。それも、余分な。

 ファラフナーズの反論に、テオドールは――組んでいた腕を解き、彼女の前に突き出して見せた。

 丸太のような豪腕。それと相反するような、繊細とさえ言える絶技を繰り出す掌。

 それらが――震えていた。見る影もないほどに、頼りなく。

「………アイツを斬ってからずっと、このザマだ。どのみち役には立たねえだろうさ」

 嘲りを含んだ笑みとともに、隻眼の剣聖は吐き捨てる。確かに、剣をとることすらできそうにない。

 それをもたらしたのがちっぽけな、ただの人間の少年であると―――そう告げるテオドールの姿に、妖女は愕然と声を上げた。

「……なぜ、デス? ただの荷物に、何故そんなにも肩入れを……?」

「――荷物じゃねえ。アイツは家族だ。俺の弟子だ。…気づいたのは斬ってからなんて、馬鹿げた話だがな」

 冷めた声でそういうと、テオドールは震える腕を懐に差し入れ―――

「ついでだ、こいつも持っていけ。俺には重たくてかなわん」

 ファラフナーズに投げて寄越したのは、紅に脈動する小さな石。

 ―――竜輝石。唾棄すべき神々の力を宿すそれは、バルムンクに属するものが集める目的の一つ。

 呆然と受け止めた妖女の前で、テオドールは無言のまま背を向ける。


 ―――行ってしまう。あの剣が撒き散らす血と憎悪が見られなくなる。


 ―――たった一人の、ちっぽけな人間の為に。誇り高きセイン、“斬魔卿”が剣を捨てる。


 ―――そんなことは……許されない。


 …気づいた時。ファラフナーズは虚空より愛用の黒い大剣を取り出し、振り上げていた。

 衝動のままに、剣聖の背中に振り下ろす――よりも速く。

 音もなく疾った銀の光が、細身の胴を薙ぐ。溢れ出すのは、鮮やかな紅。

 先ほどまでは震えていた腕に銀の長剣を握り、テオドールは身をひねるようにして振り返っていた。

「………何を考えてる、ファラ。報復のつもりか?」

 両断されなかったのはただ、テオドールが手加減したためだと――膝をつきながら、ファラフナーズは確信する。

 テオドールにしてみれば、長年の朋友への最後の優しさだったのかもしれない。だがそれは、侮辱だ。

「急所は外してる。そのくらいでくたばるお前じゃねえだろう―――じゃあな」

 暗くかすむ視界の向こうで、草を踏みしめる足音とともに―――素っ気無い別れの言葉が、かすかな風に消えた。

 取り落とした大剣を拾うこともできぬまま、草地に倒れこむ。そのまま、意識は暗闇に落ちて――



※    ※    ※



「………ひどい有様だね、“十字剣クレイモア”。今の私の体が神官だった事に、感謝するといい」

 小ばかにしたような声とともに、意識が覚醒する。気づけば、幾人もの気配がそこにあった。

「だから、とっとと殺しちゃえばよかったのさ。ただの剣術馬鹿なんて、めんどくさいだけじゃないか」

「そういうが、では他の誰に神竜王が斬れる。“斬魔卿”の名は伊達ではあるまい」

 少年めいたふてくされた声に、冷静な声が答える。そこに集うのは、バルムンク――それも比較的高位のものばかり。

 瞼を開いたファラフナーズの前に、神官服姿のおとなしそうな青年が膝をついていた。

「…一応、お礼を言わないといけマセンね。ありがとうございマス、“銃剣ベイオネット”」

 治癒魔法が成功したと見ると、青年は立ち上がり邪悪な笑みを浮かべる。

「なに、君にまで抜けられると困るからね。さて、どうする? すでにみんな集まっているが」

 立ち上がってみれば、確かに――主だった“二つ名”持ちの面々が揃っている。今回の任務は本来、竜輝石の奪取と――――

「………目標を、変えマショウ。竜輝石はココにありマス。ならバ――」

 きしるような声で告げた内容に、大きな斧を持った男が頷き、不敵に笑った。

「…そういう事ならば。以前より手合わせをしてみたいと思っていた」

「じゃあ、あたしのお人形もいーっぱい試せるね★ “ソードブレイカー”も、頑張るんだゾ♪」

「わかっている―――」

 痩せこけた青年が生真面目に礼をすると、神官―――の身体を借りたベイオネットも、喉の奥で笑い声を上げた。

「私の力も、試してみることにしよう。さて、どれくらい遊べるものかな?」

 邪悪なる企みを背に聞きながら―――流れる血の色に耽溺して、ファラフナーズは凄絶な笑みを浮かべた。



※    ※    ※



 ファラフナーズをその場に置き去りにして、テオドールはひとり森を歩いていた。

 秋の月が冴え冴えと、中天にかかっている。足元に落ちる黒い影を見るともなしに見て――剣聖は足を止めた。

「……ずいぶんな人数で追っかけてきやがったな。さっさと出て来い」

 その言葉を合図にして、足音が響く。よく訓練された兵士の足音が、いくつも。

 白竜に雪の象徴――グラスウェルズの紋章を刻んだ鎧。大軍勢と呼んでも良いほどの数の兵士が、ずらりと隻眼の剣聖を取り囲む。

 その中の一人、何の変哲のない鎧を身につけた男がテオドールの前に進み出た。

「久しぶりだね、“滅竜剣グラム”。我らがバルムンクを抜けるつもりだそうじゃないか?」

「…てめえか。その名前で呼ぶんじゃねえよ」

 顔をしかめ、不機嫌な声で唸るテオドールの様子も意に介さぬ様子で、男――ベイオネットは声を上げて笑った。

「つれない事を言うものだね。何でも、人を斬るのが嫌になったとか―――まったく面白い。“血塗られた聖人”ともあろう男が」

 相手を見下し、貶める笑いを浮かべたベイオネットの姿に、テオドールの手が背に負った長剣に伸びる。

 それを見たベイオネットは大仰に両手を広げ、おどけた様子であとずさった。

「おおっと、怖い怖い。今のこの身体はただの一般兵士だからね、君に斬られればひとたまりもないよ。我々だって、ただで見送るほど薄情じゃない。君のために別れの宴を催そうじゃないか」

「宴―――だと?」

 眉をひそめるテオドールの様子に、ベイオネットの唇が邪悪につり上がる。

「そうとも。ここにいるグラスウェルズ王国白竜騎士団ドールセント方面軍、七大隊全てをかいくぐることができるかな? もちろん彼らはただの人間だ、我々も特に援護はしない。果たしてどれだけ斬らずにいられるか、見物だね」

「……趣味の悪い野郎だな、てめえは」

「なんとでも言ってくれたまえ―――さあ、始めようか」

 地の底から聞こえるような低い唸りにも反応せず、ベイオネットは芝居がかった仕草で合図を送る。すぐに、指揮官の鎧を身に纏った男が進み出た。

「仰せのままに―――」

 そういう指揮官の目はどこか遠くを見ているようで、口元だけが捻じ曲がったような笑みを浮かべている。

 恐らくは操られているのだろうと、テオドールが推測した時―――指揮官の手がすいとあがった。

「目標、“滅竜剣グラム”テオドール・ツァイス……全軍、かかれ!!」

 指揮官の命令に、同じように異様な光を目に宿した兵士達が手にした武器を掲げる。

 一斉に上がった鬨の声は怒号へと変わり、空にかかる月を落とさんばかりに響いた。



※    ※    ※



 同時に繰り出された四本の剣を余裕ある態度で避け切って、テオドールは何度目かの音高い舌打ちをした。

 何人いようが、殺す気で来ていようが、一般兵士などテオドールにとって物の数ではない。ただ、数が多いから面倒だというだけだ。

 足元を狙って繰り出された槍を避けて地を蹴り、着地間際を狙った剣先を首を振るだけでかわす。

 本当に――面倒なことこの上ない。剣を取り、打ち据えるだけで兵士達は昏倒するだろう。だが――――


 ―――黒い雨の中、はかなく微笑んで事切れたレイルズの姿が。


 ―――月の光の下、己の体から流れ出た血の上に倒れ伏すアルの姿が。


 剣の柄に手を伸ばすたびに、目の前に浮かんで消える。おさまっていた震えがぶり返す。

「ちっ―――――」

 舌打ちとともに震えを押さえ込み身をひねると、眼前を厚刃の両手剣が行きすぎた。

 このまま避けつづけていれば、面倒ではあっても囲いを突破することができるだろう。そう考えた矢先、テオドールの足元に氷の柱が突き立った。

「つまんないなぁ。剣術馬鹿が剣を使わなかったら、ただの馬鹿じゃないか」

 せせら笑う声は少年のもの。視線を上げれば、大きな竜の後ろに巨大な鎌を携えた影がある。

「……モンドーラか。援護はしねえんじゃなかったか?」

「援護はしないさ。コイツらなんて、巻き込んでも構うもんか。さあ、竜よ―――」

 邪悪な紅眼を歪んだ喜びに燃やして、モンドーラは竜に向かって手を上げる。氷竜が大きく息を吸い、吹雪を吐き出そうとしたその時―――


 銀の光が鱗に包まれた竜の首を落とした。


「――――ハ、ハハハハッ!! そうこなくっちゃ!! もう少し遊んでやるよ、人殺しの英雄!!」 

 哄笑するモンドーラの周囲に、いくつもの召喚円が浮き上がった。現れる魔獣を警戒して、テオドールが剣を構え―――

 ―――そこに、白竜騎士団の兵達が飛び込んでくる。

「…………っ!?」

 慌てて剣を引く剣聖の首を、心臓を狙って、幾本もの槍が突き出される。危なげなく避けきったところへ、魔獣の爪が伸びる。

「あははははははっ!! やっちゃえぇ、モンドーラくーん!!」

 癇に障る笑い声とともに雪崩れ込んでくるのは、ドラム缶めいた体のエクスマキナ達。

 冗談のような風貌に似合わず、その身体には凶悪な武器が据え付けられていた。――それらを蹴り一発でなぎ倒して、テオドールは一旦距離を取る。

 その頭上に、きらめく星が降る。―――比喩でなく。

 金属のはじけ飛ぶような音とともに飛来した星を、テオドールはとっさに振るった剣で払う。それは、砕かれた剣の刃――

「…外したか。さすがは英雄」

 男の声が呟くのを、駆け込んだ兵士達の足音がかき消す。

 剣が、槍が、斧が、テオドールの命を狙う。召喚された魔獣が、機械仕掛けの兵士が、兵もろともテオドールを襲う。

 まさに四面楚歌―――避けることに集中し、身をかわしつづける剣聖の目に。

 ―――ほんの一瞬先の光景。轟と迫る半月斧が映った。

「――――――っ!!」

 細身の銀の剣で受けきると、斧を振るった男がにやりと太い笑みを浮かべた。

「流石だな、“斬魔卿”よ。貴様とは一度戦ってみたかった―――」

「―――ディーン、だったな。悪いがお前と遊んでる暇はねえ」

 剣を持つ手に力をこめて受け止めた斧を浮かせ、態勢が僅かに崩れたところに胴を薙ぐ。

「その程度、効かんっ!!」

 相手も受けようと構えを変えた斧刃にテオドールはわざと剣を当て、その勢いで間合いを開ける。

 その、僅かな隙間に―――再び兵達が雪崩れ込む。慌てて剣を引き、いなそうとした時――――


 テオドールの胸に、黒い刃が突き通った。


 背中から己を貫く、禍々しい黒い刀身。見慣れたそれに、テオドールはなぜか得心したように呟いた。

「…………ファラ、か」

「―――――アナタが悪いのデスよ、テオドール。ワタシたちから逃げようとするカラ――――」

 きしるような声に、普段以上にアクセントの崩れた口調で。狂気の笑みを浮かべながら、紫髪の妖女は剣聖の顔を覗き込んだ。

 体勢の崩れたテオドールを背後から抱きしめ――まるで仲睦まじい恋人のように。

「今なら、マダ。戻してあげることも、できマスよ…?」

 刃を伝う、テオドールの血。それに指を濡らして、ファラフナーズは剣聖の頬を優しく撫でた。紅の線が、所有印のように男の頬に刻まれる。

 底光りする昏い瞳に、テオドールは優しく笑みを返し―――

「………ごめんだな。もう、お前ら、とは―――」

「―――――――そう、デスか」

 慈愛の笑みを浮かべたファラフナーズが――黒い大剣を抉りぬく。穿たれた傷から、目もくらむような紅が溢れ出す。

「………………、……………―――」

 テオドールの唇がかすかに動き、誰かの名を――紡ぎかけて消える。それすらも目に入らぬまま、妖女は流れる血に酔いしれていた。

「――――済んだようだね。さて、後始末はどうするかね?」

 楽しげに微笑みながら、歩み寄ってくるベイオネットの声に―――

「……………決まっていマス。もう少し―――遊びマショウ?」

 蠱惑的な笑みを浮かべ、まるでダンスの誘いをするように。ファラフナーズは血塗れの掌を差し出して―――



※    ※    ※



 グラスウェルズ王国、公式の記録に曰く。

 帝紀八〇九年十月六日夜半、テオドール・ツァイスは山中にて直弟子の少年を斬り伏せ、近隣の村を襲う。

 一人生き延びた村人の要請により、演習を行っていた白竜騎士団ドールセント方面軍の七部隊が急行。

 テオドールは指揮官の降伏勧告を無視、一晩に及んだ戦いの末に討ち取られた。

 被害は村人ほぼ全て、そして出撃した部隊の三分の二。


 この日より、テオドール・ツァイスの名は―――“堕ちた剣聖”として語り継がれることとなる。


 唯一の直弟子にして、テオドールに斬られながら生き延びた少年、アル・イーズデイルが全ての真実を知るのは、もう少し先のこと――――

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