第269話

ごしゃりと音を立てて2番主砲の砲身が脱落する、比叡は敗北しつつある。


「砲撃やめさせて!」


「既にしておりまーす!」


艦橋から脱出し、そそくさと後部艦橋へ向かう艦長が素早く停止、敬礼、スズに返答して去っていく。それを悠々と無表情で歩いて追う高水中将にはカノンが手をぶんぶん振り、無視するかと思いきや意外にも右手をひらひら振り返した。カノンの引きずる大剣の音を響かせながら左舷上甲板を前方向へ、甲板はヨルムンガンドの噴いた血で真っ赤となっており、大剣のガリガリという音に加えてぱしゃぱしゃと水音が立つ。


「どうやって頭叩く?」


「とりあえず私が囮になろう。それで駄目ならどこでもいいから殴ってみ、あれだけボコボコならすぐダウンするでしょ」


長大な柄のハンマーを両手で握り、槌部分を右後方へ向けた、剣でいうところの脇構えを整えた。斃(たお)すべき相手は2番主砲塔を執拗に攻撃していたが、さすがに防楯の破壊はできず、飽きて顔を上げ、そこで2人の接近を感知した。至る所から血を流しつつこちらを見据え、カノンが眉を寄せ呻くも「行くぞ」と先行、スズはその後を追従する。


「オラオラかかってこいや図体でかいだけのクソヘビがよぉぉぉぉああああぃやああああっ!!?」


ズン!と船体を揺らして頭部が落着、危うく口の中に消えかけたカノンが叫びながらダイブ回避した。大剣を手放しつつ血液まみれの甲板に両手をついて前転、流れるように全速退避を行う。そこに飛び込んだスズ、持ち上がる前の頭部へ狙いを定め、右から左へ振り抜いた。


「づッ!?」


アマノムラクモとは質の違う一撃である、向こうが純粋な衝撃波、発生源周囲のあらゆるものを無差別かつ徹底的に吹き飛ばすのに対し意外や意外、外観から想像できないほどピンポイントで、しかし辛辣な攻撃をこのハンマーは行った。接触した物体だけに全出力を集中させたのだ、殴打した左頰の装甲が一瞬にして崩壊し、35.6cm砲弾の直撃よりも大きく仰け反った。同じくスズもとんでもない反動を受けて吹っ飛ばされ、転倒だけは避けたものの、宙に浮いて着地して停止した時には折れた艦橋より後方まで移動していた。柄を握る両手が痺れて感覚が無くなったのをどうにかしている間、あれだけぶちまけてまだよく残っていたなという量の血液を噴いたヨルムンガンドは2番主砲塔に顎を乗せて一時沈黙。わたわたとハシゴを登ったカノンがなんか叫びながら装甲のなくなった部分に一撃加えたが何も起きず、頭部が持ち上がるのに合わせて砲塔から飛び降りる。


「おおっ…?」


「ちょっと待った逃げようとしてね!?」


ほぼ静止状態にあった比叡が急に前進した、ヨルムンガンドが退いたようだ。突き刺さった艦首をそのままに留めるべく比叡は全力運転を継続しようとするも、そこでとうとうタービンが音を上げた。歯車が割れたような音が響き、途端にがくりと力強さを失ってしまう。続いてガリガリと艦首は引き抜かれ始め、合わせて甲板は大きく振動。


「ど…!」


「投げろぉ!!」


走り寄っていては間に合わない、唯一間に合う位置にある比叡1番主砲は威力不足、いや直径35.6cm重量635kg、マッハ2で射出される金属塊を威力不足にする生物とか訳がわからないが事実なので仕方ない、離脱を数秒遅らせるのが精々であろう。取り逃がす、と思ったのも一瞬、カノンの叫ぶ通りそもそもミョルニルは投擲武器である。ヨルムンガンドを目標としてしっかり認識し、体ごと1回転する事で大雑把に放り投げた。10m飛べば良い方、といった具合の速度で宙を舞ったそれはしかし、見る見るうち速度を増し、回転を速め、一度ヨルムンガンドを通り越した後ブーメランよろしく背中に命中するというトンデモ軌道を描いた。引き抜こうとしていた艦首が逆にもっと深く食い込み、もしヘビに声帯があったら最大限の絶叫をしていただろう、天に向かって大口を開け、そしてまた頭を甲板に叩きつける。投げたミョルニルは命中の直後に運動エネルギーを使い切っていたが、そこからまた再加速してスズの手元へ。走り込み、跳び上がりつつ柄をキャッチ、勢いを殺さず上段へ移動させ、落下と同時にヨルムンガンドへ振り落とす。


「2発目ぇ!!」


さすが北欧神話、脳筋の祭典なだけはある。武器ひとつとっても東洋の土着神話とは比べ物にならない、というかズルい。比叡甲板を一切傷付けず大蛇の脳天のみを潰したミョルニルの反動で例によって吹っ飛びつつ、血まみれの巨体が完全沈黙するのを確認。落ち着いて着地して、とりあえず駆け寄ったがそれがもう動き出す事はなく、満足げな顔のカノンが大剣で何度も頭部をつつく。いや本人はいたって本気なのだが、いかんせん何度斬っても何も起きないものだからつっつく以外の何物にも見えず、やがて諦めてスズへ手招きしてきた。


「で、この後どうなんの?」


「それはちょっとわかんない、ガリポリの戦いを模したこの階層ではあるけどコイツのせいでしっちゃかめっちゃかになったからねぇ。もう1発殴れば終わるかもしれないし、でも終わらなくともイスタンブールまで集団ドライブするだけだ、大した違いはないよ」


だからほら、さあ、さあ、などと急かすカノンの為にヨルムンガンドの前へ立ち、もう一度ミョルニルを構える。真上に大きく振りかぶって、後は落とすだけであるが、落とした途端にまた吹っ飛ぶのが目に見えているので、躊躇ってカノンを見ると彼女はスズの腰にしがみつく。抑えつけようとしているのだろうが、そのくらいでなんとかなるならそもそも宙を舞ったりしない訳で、このままだと間違いなくただの道連れに。


ま、いいか。


「だぁぁえぇぇぇぇぃっ!!」


振り下ろされるミョルニル、大きく跳ねる大蛇、打ち上がるスズ、何故か楽しそうについてくるカノン。事が終わったと見て後部艦橋から出てきた中将の前へ2人同時に転がって、なんか可哀想なものを見る目をされる。


「わかっています」


いや絶対わかってねえ。


「やべやっべ!捕まえろ!!」


「なにもう忙しいんだけど!」


どでかい全身から霧を噴いて消え出したヨルムンガンドを見、慌ててカノンは駆け戻る。辿り着いたかどうかのところでぺったんこの頭部から何か光を反射する物体が浮き上がり、それは上空へ向け加速しようとしたが、逃げる前にカノンが飛びついた。

事前情報通り大ぶりのリンゴか、大型柑橘類くらいの水晶玉である。ほぼ完全な球形で、胸に抱えて捕獲しようとするカノンを振り回すくらい暴れている。ただ中心部は空洞とのことだったが、現在そこには紫色の霧が詰まっており、排出させようとしているのか元気が無くなってきたのを見計らってぶんぶん振り回され出した。


「くぬやろ!くぬやろ!出てけ出てけ!よぉーし出た!!…っとおぉ!?」


やがて噴出、水晶玉が透明になった代わりにカノンが霧に襲われる。ミョルニルを手放し、その瞬間に元の姿へ戻った鏡を置いて夢幻真改の鞘を右手で掴む。素早く照準、左手で柄を掴み、抜刀と同時に斬撃を見舞う。霧へ刀身が突入するや衝撃波が起こり、それで霧はかき消えた。


「おおおおぅ……助かったわ…」


やっている間に大蛇も消滅を見ていて、残ったのは水晶玉1個。大切そうに抱えられ、傷が無いか確認されている。


「何に使うものなの?」


「これ自体に特定の使い方は無いよ、ただの容れ物だからね。これで後顧の憂いは無くなった、後はキミを送り届けるだけだ」


うまくはぐらかされたというか、実際のところどうして欲しがっていたのかはやはり教えてくれず、やがて水晶玉は謎空間に格納され消えてしまう。「さて」なんて言いつつ辺りを見回し始めたカノンから一度目を離し背後、悠々と歩く高水へ。「終わったよ」と言うと僅かに頷いた。


「戦争と平和についてあの武者に聞いていましたな」


「なんで知ってるの?」


「見ていたのでね」


陸の方からボートのエンジン音が響いてくる、ちらりと見れば内火艇の上で武川が手を振っていた。簡単に振り返し、すぐ目を戻す。


「軍隊とは抑止力です、戦う為の存在でありながら、有るだけで戦争を止めるのです。故に我らは戦いに備え、一切の反抗を許さなかった。世界中を燃やし尽くすよりはマシだと、そう信じていたからです」


「それは……」


「ええそうだ、結局、机上の空論でしかなかったのは貴女も知っている通り。この先で待つ者達は我々の理念を真っ向から否定するでしょう、そうする資格があります。もう一度聞いてみるといい、本当に世界を燃やした後だからこそ答えられるものがあるのか、それとも、人は人である限り戦い続けるのか」


言い終えた彼はすぐ背を向けた、同時に下方から武川の声が上がり、さらに同時にカノンが叫ぶ。


「面食い!どこに行ってやがった!」


『いやあんまりにもやる事がないから、居なくても変わらないかなと思って…寝てた……待った待った待った悪かったって!!』

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