第202話

暴力は憎しみを増すだけである。憎しみはそのまま残る。暴力に対して暴力を持って報いれば、暴力は増加するだけである。

ーマーティン・ルーサー・キング・ジュニア




















駐屯地に留まるストライカー旅団は既にほとんどの建物から引き上げていた。今すぐにでも出撃可能、という状態である。


「この奥?」


僅かに残った施設の内ひとつの前にスズ、シオン、フェルトと、エドワード少佐は立つ。隠れ家からの道中に戦闘やトラブルは発生しなかった、「シャワー浴びる前に翡翠の刀投げるのはルーティーンか何かなの?」などと聞かれた程度。


「ああ。完璧に心が折れてる、弱気な発言しかしないからそのつもりで……待て、何も持ってないよな、”布と水”とか」


「臆病風吹かせてるだけの人にCIA式の尋問施すわきゃねーでしょうが、何もないよ何も」


「あ、何も道具がない時はねぇ、体の末端にある骨から」


「フェルト?我々の目的は尋問じゃない、話聞いてました?」


ドアに手をかけ、少佐は3人を内部へ招き入れる。ごく普通の民家はそのまま従来の機能を保っており、通信機が置かれている他には何もいじられていない。ここは指揮官のプライベートスペース、というか隔離所であり、クレイグという名前の中佐が寝室で引きこもっている。ストライカー旅団の指揮官は本来なら大佐が務めるのだが、その大佐が戦死した今、副官であった彼が指揮権を持っており、すべての行動は彼に承認を得なければならない。実際に指揮を執るのはエドワード少佐であるものの、別に全権委任されてる訳ではなく、事あるごとに口先八丁でだまくらかして承認させていたのだ。しかしそれもここまで、残存する全戦力を攻撃に使うと聞かされた時、中佐殿は決して首を縦には振らなかったという。


「なんで、少佐さんにぜんぶ任せないの?」


「臆病だからですよ。あなたみたく心の芯から優しさを大放出してる方には理解できないでしょうが、そのへんは本人の口から言わせましょう。よし、突入」


戦いたくないなら降りてしまえばいいのにと、聞いてみても返ってきたのはそういう返答。その後人のいる気配がまるでしない寝室の前に立ち、シオンはスズに向かってドアを指し示す。


「え、なに?」


「優しく静かにお上品に、中の人間を驚かせないよう、このドアを開けてください、あの時みたいなご令嬢ボイスでね。その為に連れてきたんです」


「ふふはは……」


んで、そんな事をおっしゃった。


「いや、あのね、うんいいけど、やるけど、でも覚えて、アレとんでもなく疲れるのよ、新卒の就職面接くらい」


「わかる、社交マナーとか学ぼうと思った事すらねーですけどそれはわかる、糖分が欠乏するだろうなって」


「わかってくれた?ならいいんだ、じゃあ行こう」


シオンの顔にずいと寄って、僅かばかし会話して、そしてスズはドアの前に立つ。まずドアノブの位置を確認、右側に付いている。本来なら被り物をしたままなど厳禁であるが、このフードを下ろしたら大混乱が巻き起こるのでそのまま。右手を緩く握り、中指の第二関節のみを少し突き出して、その部分でトントントンと手首を使ったノックを行う。「なんだ……」という聞き取れたら奇跡レベルの小声をどうにか聞き取ったのち、右側にあるドアノブを左手で掴む。


「失礼致します」


可能な限りノイズを排した、歌うかの如き声と口調で言いながらドアを押し開ける。途端に背後の3人が漏らした「おぉ……」なんてので水を差されながらも、やや目を細めた、はたから見るとどこか眠たげに見える微笑を作りつつ、外側のドアノブを左手で握っていたのを右手で内側に持ち替え、背中を見せないようにしながら3人の入室を待つ。全員が通り終えたら閉める、音を立てないようドアノブを回したまま、ゆっくり押して、最後に手放す。それを終えたら改めてシンプルで装飾の無い部屋の一番奥、ベッドに座る人物の前に立ち、体の前で手を揃える。


「初めまして、名乗る程の者ではありませんけれど、皆様と共に戦う許可を頂きたく思い参りました。急な訪問、無礼な事と存じておりますが、あまり猶予があるようには見えませんので、つきましては……」


「帰れ」


ん?なんだ?

もしかしてこれは軍官が初対面の相手に対して必ず言わなければならないこの時代のルールなのか?


「よぉーしスズ、バトンタッチだ、言ってるこた同じだがコイツは恐らくあの変態よりタチが悪い」


ギリギリ笑顔を留めたままひくりひくりと頬を震わせるスズの肩を叩いてシオンは前に出る。話題の中佐殿は軍人らしくかなり短いスポーツ刈りながら、無精髭を蓄え、迷彩服はシワだらけと、全体的にくたびれてしまっていた。こちらから見て体の正面は左を向き、ベッドの端に腰掛け、両足太ももに前膝をそれぞれ乗せた前屈みのまま、生気の無い両目だけをスズに向けている。


「どうも、OGAからやってきましたシオンです、とでも言うのが普通ですが、ここは誠意を見せてちゃんと名乗りましょう。アメリカ中央情報局所属、リタ・ラフベルク、クラスはパラミリ、私的理由によりこの戦闘区域への介入を行っています」


「帰れ」


「クレイグ陸軍中佐、貴方に対する我々の要求はひとつです、指揮下にあるストライカー旅団を前進させてください。どのような方法でもいい、このエドワード少佐にすべて任せても、その胸についてる階級章を引っぺがしてもいい。もちろん、貴方が指揮を執っても」


「帰れ」


「怖いのも恐ろしいのもわかります、死の恐怖を克服できるのは一部の人外のみなのですから。しかし貴方とて軍人でしょう、状況の打破に尽力する義務がある」


「帰れ」


ありゃあ駄目だ、だって話が噛み合わない。その後もいくつか諭すような、しかし淡々とした口調での言葉を投げかけ続けるも、絶望してしまっている彼に対して、シオンがやっているような押し付ける感じの言葉ではどうにも拒絶しかしてくれず。やがて肩を竦めて諦めのポーズ、「つーかこれで説得できんならとっくに立ち直ってんだなぁ」などと呟いた。クレイグ中佐はシオンの後退を見届けるや目線を下にやってしまい、真っ白に燃え尽きたポーズとなって、そのままピクリとも動かなくなる。


「駄目そう?」


「見ての通りっすよ、完璧に鬱病だアレ」


「じゃあ、ちょっといーい?」


「ご自由にどう…うぇっ…?」


シオンとしては万一に備えた護衛として連れてきたのだろう、この場で何かさせようとは思っていなかった筈だ。だからにっこり笑うフェルトが足取り軽やかに彼へ向かっていくのを見て我が目を疑い、次に汗を一筋流す。


「まずい…?皆の衆、止める準備をするんだ、3人がかりなら取り押さえるくらいはできる、きっと」


「何だよ、一体何が起こるんだ?」


「そこは察して。乾いた感じに『ふっ……』とか笑ったら合図です、一斉に飛びかかってください」


「でも道具は何も……」


「拷問技術A+ですよ奴は、素手のが残酷な時もある」


ぼそぼそと3人で話し込む中、中佐の足元に達したフェルトがそこで両膝を床につく。優しく穏やかに微笑む彼女が片手を彼の太ももに乗せたのをじっと眺め、「……大丈夫そう?」なんてスズは漏らす。


「こんにちは。ん…こんばんは?」


「…………」


「帰りたいの?」


「……帰りたい…」


絶句である、たった二言、驚異的な速度で沈黙と「帰れ」以外のセリフを喋らせる事に成功した。スズの皇室スマイルとは笑顔が違うのか、シオンの言葉とは口調が違うのか、はたまた接触しながらがいいのか。嗚咽を漏らすような声に笑みを深め、足に触れる手を僅かに動かす。


「今から帰る?」


「指揮権を放棄したら…批難される……」


「怒られるのは嫌?」


「嫌だ……」


「じゃあ、怒られないように戦うのは?」


「嫌だ……!」


もしかして女神が舞い降りたのだろうか、頭ごなしに励ます事も否定する事もせず、いつも通りのふんわりした声で質問を続けるフェルトは後ろから眺めているだけでも慈愛を大放出しており、まさかつい昨日に似たような中年男性を電動ドリ、いやいや、知らないわからない。


「どうしたいの?」


「1人でいたい…誰からも何も言われずに……」


「うーん…ここに1人でいたら死んじゃうよ?敵が来て、ひどい事されるかも。それでもいい?」


「…死にたくない…帰りたい……!」


とはいえ、やっている事自体は思考の誘導である。違う質問をいくつも並べ、プラス思考に繋がる部分があればそこから導いて引っ張り上げる。死ぬのが嫌ならただじっとしている訳にはいかない、戦うか、指揮権を放棄して逃げるしかない。


だがちょっと、そのへんに違和感を覚えた。シオンは彼を鬱病と言ったが、鬱病患者に漏れなく共通する症状として、自らの無価値感と強烈な自殺願望がある。

いや自殺願望と一言にいっても程度の違いやら色々ある訳で、そのへんの判断には慎重を期す必要はあるが、死にたくないと、今彼ははっきり言った。


「だから、ね?ここじゃなくて、お家に帰ってからじゃないといけないから。ちゃんとお仕事終わらせれば、みんなが喜んで迎えてくれて、好きな事を好きなだけ、できると思わない?」


「嫌だ…!出たら死ぬ…!死にたくない…!」


「大丈夫だよ?みんなで守るから」


「なら守ってくれ…!お前ら全員俺の部下だろ…!俺のこの場所を保障しろよぉ…!」


「ああぅ……」


「いいから出てってくれ…!」


太ももに乗っていたフェルトの手を振り払い、頭を抱えて彼はうずくまってしまった。その後は絞り出すように「死にたくない」と繰り返すのみで、困り果てたフェルトが「駄目だったょ…」とばかりにこっちを向く。それを受けシオンとエドワードは小声で次手の相談、いいとこまではいったのに、説得が不可能となると、かなり強引な手段を取るしか無くなる。例えば精神疾患により指揮能力を喪失したため、とか、流れ弾を受けて、とか。


ただ一連の様子を見ていて、スズだけは、なんかこれ違うな、鬱病じゃないなと、そう思ってしまった訳で。


「ごめんね、ちょっと交代してね」


「ふぇ?」


なので、スズはフェルトを立ち上がらせる。


「スズちゃん?」


「大丈夫、大丈夫だから任せて、下がってて」


鬱病患者の思考は大部分が自虐的なものだ、自分は生きてる価値が無いとか、他人に迷惑をかけるから閉じこもっていようor死んでしまおうとか、そういうのが鬱病の症状だ。他人に奉仕を強制させつつ自分は何もしない、というのはスネかじりニートの考えである。であれば、彼を立ち直らせる為に必要なのはひとつだけ。


まず畳んだ膝に頭乗せて丸まってるのを両手で押し開ける。

次に胸ぐらを掴む。


「え…!?」


「ふぁっ…!?」


そうしたら後は、いきなりの事態を飲み込めず唖然とするそいつを引き寄せ、息を吸う、肺いっぱいになるまで吸う。

そして吐く。


「ふざけているのか貴様はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」


「ひぃぃぃ!!?」


最初の一発を叩き込んだ瞬間、そいつは恐れおののいて後ずさろうとし、ついでに背後でどたどたどたんと人間が尻餅つく音が3人分ばかし鳴る。


「そのザマは何だ!!仮にも佐官まで登りつめた者がたかが孤立した程度で真っ先に戦いを放棄するだと!?貴様は士官学校で何を覚えてきた!!給与を受け取る方法だけとでも言うつもりか!!」


「うなっ!?なにっ…はぁ…!?」


「呻くな立てぇッ!!」


「はいぃぃ!!!!」


気持ちよく床を踏みつけて身長170cm後半の彼が起立、うずくまっていた体勢から一転し、直立不動へ移行する。掴まれたままの迷彩服は伸び、その上の顔はさっきまでとは違う方向で泣きそうな。


「外を見ろ!!誰も彼もが抗っている!!迷いもせずに戦おうとしている!!だというのに貴様はどうだ!!一番の目上だけが諦め閉じこもるなどと!!」


「はい!!羞恥の極みであります!!」


力の限り叫ぶ、彼も叫ぶ。騒ぎを聞きつけたのか建物の外で人の気配がし始めた、何が起きたと覗き込んできた米兵は、とんでもない剣幕で指揮官を説教する女の子に目ん玉ひん剥いてすぐ退がってしまったが。


「自分の頭で考えろ!!貴様の義務は何だ!!」


「部下を生きて帰す事です!!」


「今の状況は!!」


「敵軍中枢目前にて我が旅団は孤立!!撤退は絶望的ながらあと1歩踏み出せば火砲が届く位置にあります!!」


「辿り着く見込みのない内地に向かって逃げる事と突き進んで戦争を終わらせる事どちらが現実的だ!!」


「攻める方が遥かに成功率が高いと思われます!!」


「だったら今すぐ行けぇぇぇぇぇぇッ!!!!」


「はいぃぃぃぃ!!クレイグ・サイモン中佐!!ストライカー旅団を前進させますぅ!!」


で、胸ぐら掴んだ手を離せばあれだけ嫌がっていた外へ飛び出していった。完全復活した彼の背中を見届け、溜息をつくと同時に見開いていた目を伏せ、その後、込み上がってきた喉の痛みにげほげほとむせこむ。


「あ゛ぅ…焼けた……。ねぇ元気出たけど?これでいいの?」


「…………」


「ん…?」


口元に手を当てながらようやく振り返る。背後にはシオンとフェルトと、あとエドワード少佐がいた筈だが、首を回しただけでは姿を視界に捉えられず。

次いで目線を下に向けてみれば、シオンは体を横に向け、両手を床について、曲げた両足を揃えた姿勢で。フェルトは壁際まで転がってってその場で丸まり、目を潤ませ。エドワードは仰向けに寝て足は畳み、両手は何かを押しのけるかの如く顔の前で掲げ。それぞれ一様に恐怖で表情を染めながら沈黙していた。


「あ…いや、大丈夫、終わったから、怒ってないから」


「………………」


「もう…ほら、一回戻るんでしょ?行こ?」


「はっ……イエスマム!!エドワード・マッコール少佐!!車両を手配します!!」


「うおっ……」


まず立ち上がったのはエドワードである、手足をピンと伸ばした全力敬礼をスズに見せて中佐の後を追う。


「シオン工作員!!運転します!!」


「護衛に付きます!!」


「いやちょ……」


更にその後をシオンとフェルトが、どたんばたんドアを押し開けて出ていった。残されたのはスズ1人、後はまぁ、引きこもってた指揮官代理の急な復活に戸惑う米兵達の喧騒がする程度。


「あぁ面倒な事になりそ……」


とぼとぼと歩きながらスズも続く。

仕方のない、というか、言うまでもない事であるが、この後数時間、スズは他の全員から”軍曹(サージ)”の敬称を付けられる羽目となった。

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