第198話

勝利は目的ではなく、目的に達するひとつの段階であり、邪魔を除去することにすぎない。目標を見失えば、勝利も空しいそれである。

ージャワハルラール・ネルー




















「スズ、見えますか?」


隠れ家や米軍キャンプ、中国軍総司令部のある一帯から見て北西に位置するロシア軍勢力圏の、その中でも西側にあるそこは、青でも灰色でもなく、赤色の空を背負っていた。


「距離的にはまだまだありますが、この先でエウロパという天体と地球が衝突しました。もっとも向こうは一部の残骸のみですけど」


「あの、宇宙から降ってきたっていうの?」


夕焼けや朝焼けといった健康的な現象とは違う、噴き出たマグマによって照らされた赤色だ。そこ自体は地平線の向こうに隠れてしまっている為見る事はできないが、あまりの衝撃に連鎖反応を起こしてしまったのか、森の隣に連なる山脈は数ヶ所のピークから真っ黒な溶岩の筋を垂れ下がらせ、一部はまだ熱を保って赤く発光している。最後の噴火からそう時間は経っていないらしく、停車したトレーラーのドアを開ければ、途端に砂っぽい空気と、異臭が飛び込んできた。


「あの赤い空の下がその現場、落ちてきた残骸がマントルを突き破り、液状の外核が流出しているんです。裂け目は今も拡大しながら地盤を沈下させ続けていて、このまま止まらないなら」


「陸地が無くなる」


火山灰の積もる地面に降り立つと、まず膝をついて俯くムーンライトの確認をする。直線主体で構成されたつや消しブラックのボディは、初めて見た時と比べ明らかに汚く、傷だらけだ。この子がいなければスズはここにいなかったし、彼女らも実際同じだろう。そう思うと妙に愛情めいたものが湧いてきて、しかしコクピットは空っぽであるものの、下手に刺激すると暴れ出すというのでお触り厳禁とのこと。


「その通り。地殻とマントルは急速に崩壊しつつある、このユーラシア大陸のみならずアフリカ大陸でも既に火山の一斉噴火が発生しています、おそらく南北アメリカ大陸もただでは済まないでしょう。……なんでしょうかね、核ミサイルごときで何をすったもんだしてんのか」


「やめよ?どっちにしろとか、そういうのは」


「ああ…すいません」


運転席から降りたシオンがコンテナを叩けば扉が開いてメルとフェルトも降りてくる。乗っている最中ずっと下準備をしていたらしい、フェルトはピアノ線をくくり付けたテント設営用の杭を、メルは全員から集めた各種手榴弾を脇に抱え、ヒナとフェイのものらしき足跡を辿っていく。


「よぅし!ブービートラップの時間だ!設置場所を確認するぞ!第1に見つからない所!第2に相手が通りたがりそうな所!そして第3にキマったら楽しくなる所だ!それを終えたらいい感じに盛り上がってる丘を探せ!」


「暑ぅぅいぃ……」


「あ、駄目だ、茹だってる」


ついさっきまで太陽光を失った大気、及び雪からの冷気によって氷点下まで冷えた世界と戦っていたのだ、脈絡が無さ過ぎるいきなりの猛暑に分厚い生地のフリースジャケットとカーゴパンツは着ている者へ牙を剥き、全身からの発汗を強要する。しかし火山によって熱せられた一帯以外は変わらず雪まみれである為、溶けた雪の水蒸気は湿度を跳ね上げ、汗の蒸発を妨げていた。下がらない体温にそれでも汗を噴き出し続ける体、脱水症状を起こすまではそう時間がかからなそうだ。


「おかしいよこの世界…丁度いいところが無いじゃん……」


「確かに急変しすぎなのは認めますけど、天災とはそういうものです、水のがぶ飲みでどうにかしましょうや。スズも注意してください、気ぃ抜いてると敵に殺される前に熱に殺されます」


「うん、わかってる。でもこの感じだと…そんなに騒ぐほど?まだ30℃くらいでしょ?」


「「まださんじゅうど!?」」


日本の天気予報において気温25℃を越えれば夏日、30℃以上で真夏日、35℃以上で猛暑日と判定される。シオンとメルは「暑さで頭イカれてしもうたん?」とでも言いたげに驚愕の表情を見せるものの、普通に考えたってまだ上はあるし、何より温暖化の進行した海しかない世界の住人を甘く見ないで欲しい。30℃超えなど当たり前、素肌晒したら火傷するレベルになってからが本番である、この程度で慌てるなど片腹痛い。


「確かに日本の夏はじっとりしてて半端ねぇですが…30超えたら危険信号ってのは万国共通だと……いや、日本人だからか?高音多湿の状況下でも普通に生存できてついでに肌も白く保てる遺伝子が日本人にはあるんすか!?もしそうならわたしゃDNA研究に手出しますけどどうなんすか!?ねぇきりりん氏!?」


『バカじゃないの……』


「おおぅ、あまりの暑さにイラついてらっしゃる」


紫外線浴びて白いままだったらそれはアルビノっつー色素異常だとか、もし脱水に勝てる人間がいたらそいつは生物じゃないとか、普段なら詳しく淡々とした説明が入る所。暑い暑い言いながら杭を打つメルや、もはや一言も発さずとぼとぼ歩くフェルトと同じく、通信機の向こうにいるフェイ、本名|桐乃(きりの)はたった一言でそれを済ませ、そして声だけで判断できるほど汗だくだった。全力で走った直後のような、吐息を伴うそれはどこか艶めかしい。とはいってもそう感じるのは声だけだからだ、今頃本人は酷い顔をしているであろう。


「大丈夫なの?コレから降ろしちゃって。本職じゃないんでしょ?」


「あなたが言いますかねそれを、まぁ役に立っちゃってるんで何も言えませんが。フェイに関しては大丈夫です、最低限の訓練は受けてるし、どうすればいいか”知って”ますから」


言って、シオンは自分のリュックサックからオリーブドラブ色のショルダーバッグらしきものを取り出した。収納されていたのは板、いや緑色で湾曲した板状の地上設置式対人地雷だ。地面に突き刺す為の脚と、信管を挿し込む穴が付き、起爆は有線リモコンで行う。ひとたび爆発すれば700個ばかし詰め込まれたベアリング玉が前方60度の範囲にぶちまけられ、有効射程は50mに達する。うまく使えば10人以上を殺傷できるもので、ひとつのバッグに本体ふたつ。


「知ってるだけって言いますけど、実際その通りで、勉強した訳でも体験した訳でもない。詳しくは本人から聞いて頂きたいんですが、脳をアレコレする研究に関わってたもんで。多いみたいですよ、身に覚えのない記憶」


傷がついてたり、電線が切れてたりしない事を確認して、すぐ設置に移れるよう肩に提げる。次いでブービートラップ設置を手伝うべくフェルトへ近付き、なんかもう泣きそうな彼女から杭とピアノ線を受け取った。

|間抜けの罠(ブービートラップ)とは良く言ったもので、決まった形は無く、工夫次第でどのような形にもなるが、用意したのは今見せた対人地雷のような凝ったものではなく、2ヶ所に杭を打ち、間にピアノ線を張って、片方を手榴弾の安全ピンに繋いだだけのものだ。ピアノ線が引っ張られる、すなわち足を引っかければその力で安全ピンは解除され、手榴弾は爆発する。注意深く観察すれば気付ける程度の罠であり、これにやられる奴は間抜け、という訳だ。ただし重要なのは”注意深く観察しなければならない”点で、ドアノブに手榴弾が引っかけてあるかもしれない、落ちてる武器や死体に触ったら爆発するかもしれない、牛糞まぶした棘付きの落とし穴があるかもしれない、地雷が設置されてるかもしれない、地雷を除去したらその下に重ねられてる地雷が爆発するかもしれない、もしかしたら地雷は3段重ねかもしれない、等々etcetc…どこに何が仕掛けられてるか疑い出したらそれこそ本っ当にキリが無く、このように簡単なワイヤートラップを一ヶ所に集中配置し、先頭の1人を犠牲にしてやれば、相手に重大なストレスと移動速度の低下を強要できるのである。人道的か非人道的か、でいえば思いっきり非人道的行為に慨するが、うまく決まれば心底楽しいらしいし、それに信じられないほどコストパフォーマンスが高い。


『見つけた。こちらヒナ、パッケージ・ユニコーンを捕捉』


「そのコードネームマジで使うんすか……」


『白髪混じりの黒髪、頰に火傷の痕、胸に赤い星。秘匿されたテントから出てきて……ああもう、車両に向かってる、どっか出かける気よ。今すぐ撃つけど大丈夫?』


と、急に入ってきた通信に、茹でダコ同然だったメルとフェルト含め、全員の顔が引き締まる。木の影から木の影へピアノ線を張り、片方にフラグやスタンやスモーク等持っている手榴弾すべてをトラップ化する作業を急ぎ、それが終わればわざとらしく大量の足跡を残して、ロシア軍陣地中心部へと足を向けた。


「そちらからパッケージへの距離は?」


『1420メートル』


「え゛っ……当たりますか?338ラプアの有効射程ギリギリだ」


『これ以上はさすがに近付けない、それにできるだけ遠くって言ったのはアンタでしょ』


走りながらシオンは地図を確認、2人を逃す為に布陣する場所を探す。必要なのは急な高低差だ、1.4km先を見通せるならヒナとフェイはかなり高い位置にいるだろうが、狙撃地点と同じ場所ではいけない、撃った直後に砲弾をぶち込まれる可能性もあるし、何より追撃部隊を誘導する足跡を残さなければならない。求めているのは狙撃地点からブービートラップ設置場所の間、逃走ルート上のどこかだ。崖でもあれば完璧である。


「オーケー、先生の腕を信じます。一度切りますよ、撃ち終わったら報告を」


『はいよ』


「よぉーし急ぐぞ野郎ども!目的地は2キロ先!」


2km、メルとフェルトが顔をしかめる。しかし辿り着かねばならない、あっちの2人が逃げてくる前に。

サブマシンガンを握り締め、灰まみれの地面を踏みつけ、スズは一歩先行する。

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