第180話

戦争は小銃の偶発から始めることができる。しかし戦争を終結させることは、経験豊かな国家指導者でさえ容易な事ではない。流血をとどめるのは、ただ理性だけである。

ーニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ



















「今この隠れ家にいる生きた人間は6人、いや正確には5人と1体かな。そんでね、信じられないかもしれないけど全員女の子なんだ、戦うための集団なのに」


「大丈夫、似たようなとこをひとつ知ってる」


考えてみればスズも日依も雪音も女性、ありえないなんてことはありえなかった。扉の先はすぐ階段で、格納庫エレベーターの高低差よりは小さく、登りきってもまだ地下のようだったが、メルと名乗った少女の誘導に従い通路を先に進んでいく。一定間隔で並ぶ天井の照明はおよそ半数がおそらく振動が原因で割れ、壁にも亀裂が走り、この基地の受けた攻撃がいかに凄まじいものだったかを物語っていた。それでも100%の機能を喪失しなかったのは必要最低限の設備が地下に置いてあるからであり、逆に言えば、その地下でさえここまでのダメージを負っているという事は地上施設は絶望的な被害を被っているに違いない。


「生き残ってる米軍部隊は他にもいるけど、ほとんどすべてが包囲されてたり補給路断絶で機能不全。私は民間軍事企業の人間だからよくは知らないけど、早いとこ救援が来ないとまずいだろうねぇ」


「来ない」


「へ?」


「本国から救援は来ない、現状私達は見捨てられた状況にある」


やがて目的地、ひとつの扉の前で3人は立ち止まる。それを開く前にフェイがぽつりと言ったためメルの動きは止まってしまい、「いやまぁ…私は軍属じゃないし口出しできないけど」とは言うも、顔色ひとつ変えないフェイに対して明らかに表情を曇らせた。


「でもじゃあ、これどうするの?てかどうなるの?まだ勝つつもりがあるならここに残った戦力は絶対必要、一から再編成する余力なんてどこにもない。まぁ手段を選ばないっていうならまだ……いや、ちょっと待って、そういうこと?冗談のつもりだったんだけど、本気で言ってるんなら逃げないと」


「まだ確定はしてない、アリエスの調査待ち」


ならまぁ、話はそれが終わってからにしようと、曇った表情を首をぶんぶん振る事で吹っ飛ばし、改めてメルは扉を目に入れる。知らぬ間に不安げな顔となっていたようで、少し離れた位置にいたスズも「大丈夫」と言われながら入室するべく距離を詰めた。しかし違和感がある、部屋の前でこんな話をしても室内からは物音ひとつせず、人の気配がまったく感じられない。考えているうちにドアノブは捻られて、戦闘指揮所の内部が現れる。

大きな薄暗い部屋にたくさんのパソコンが並べられ、オペレーターが無言でキーボードを叩く中、壁の巨大モニターをしかめっ面のおっさんが見つめている、指揮所司令部といったらそういうものをイメージする人が多いだろう。ここも現役当時はイメージ通りの空間だったらしく、4面の壁すべてにデスクとパソコンを張り付け、中央にビリヤード台くらいの何かすごくメカメカしいテーブルを置き、巨大モニターは出入り口がある壁以外の3面にひとつずつ。ただ、いくら豪華な指揮所だろうと基地自体があの有様では何の意味もなく、実際1台のパソコン以外はすべて沈黙、照明は光量を上げられ普通の明るさ、基地中から集めてきた無事な物資が至る所に積み上げられ、投げ捨てられたように数組の布団が敷かれている。中央テーブルにはまな板と包丁、炊飯器、カセットコンロと、それに乗る鍋があり、取り囲むように調味料の瓶やジャガイモ、タマネギ、ニンジン、スパム缶が置かれて、鍋口からは立ち上る湯気と、並々入った茶色い液体が見える。


で、そんな室内に散らばって、テーブルに突っ伏したり、パソコンデスクにもたれかかったり、それぞれ思い思いの姿勢でぶっ倒れる3人の女性がいた。


「やっぱり駄目だったか……」


室内の惨状にまったく動じずメルは中央テーブルへ歩み寄っていく。3人の特徴を簡潔にまとめると、まずスズが見間違えられたのはこの人物だろう、明るい茶色のボブカットという髪型をした、どうしてこうなった的な姿でうつ伏せに転がる白地に赤いボタンのコート。テーブルの反対側で真っ白に燃え尽きたぜって感じにもたれかかる銀髪はその髪を後頭部下のうなじのあたりでふたつに分けたツインテールで、服装は黒い長袖の、ストレッチ性に富んで体のラインが浮き出るシャツに、スズとほぼ同じデニムのショートパンツを組み合わせている。最後に中央テーブルで突っ伏すベージュのワンピースだが、こちらは雪音並みに長く長い見事な空色の髪をひとつに纏めて編んだ大きな三つ編み。床に膝をつき、頭はテーブルに叩きつけ、両手を伸ばしたクランク道路みたいな体勢で、右手人差し指に付着させた鍋の中の茶色い液体を用いてテーブル表面に”カレー”とのメッセージを遺していた。


「…………何この状況?」


「うーん…別にたいした事じゃないんだけどねぇ…ターメリックの代わりにピーナッツバター使ったのが敗因かなー……」


ピクリとも動かない彼女らの一切を無視してメルは鍋に入ったカレーをおたまでかき混ぜる。未だ入り口近くにいるスズにすら甘ったるい、それでいてピリッとした感じもする匂いは伝わってきて、顔を引きつらせるスズをも無視して本日二度目の「まぁいいや」を発言、その後鍋から離れボブカットコート、黒シャツツインテール、三つ編みワンピースを順番に指差す。


「そこで背伸びした高いコート着て倒れてるのがヒナ、あのスタイルの良さ見せびらかしてる銀髪がシオン。そんでこの一番ちっちゃいのがフェルトで、まず第一、滅多な事じゃあ怒らないけどもし怒らせちゃったら”その時点ですべてを諦めること”」


たったそれだけで紹介を終わらせ、室内に散乱する木箱や弾薬缶、ダンボール箱の中から灰色のビニールパックを取り出した。ポテトチップスと同サイズの包装に”自熱食品”との文字が添えられ、手渡されてみると中身がみっちり詰まったかの如く重い。裏側に書かれてる事を信じるならこれは長期保存処理されたチャーハンとパン、及び豚肉辛味噌焼きのようで、しかし触った形状から言えば米食品が入っているとは思い難い、硬くて薄い塊である。


「戦闘糧食(レーション)食べたことある?外装破って中のパウチに水入れて15分」


「う、うん……」


それだけで再加熱が終わるってどういう原理だと、相変わらず室内の惨状を気にしつつまじまじ見つめ、その後ひとまず顔を上げると、背後にいた筈のフェイがいつの間にかテーブルまで移動していた。おたまで謎カレーをすくい上げアルミカップへ移し、それにスプーンを添えてメルのもとへ。


「全部食べると1000キロカロリー超えるけど、そのカッコで外歩いてきたならそれくらい消費してるはず、体重の減少傾向は死の足音と同義だからね…………何?」


「止める義務があなたにはあった」


「ちょちょちょ!無理だって!フェルトが『あ゛っ……』とか言った時には手遅れだったもん!」


この厳しい環境の中貴重な食糧を無駄遣いしてこんなわけわからん錬金術をとか、そういう事ではなくもっと純粋に「お前らのせいでマトモな食事に全然ありつけない!」みたいな感じでメルの口にスプーンを突っ込もうとすったもんだするフェイ。その妙ちきりんなノリについていけず引きつった顔のまま立ち尽くしていたスズだったが、不意に背後からピッチの早い足音が聞こえてきて、出入り口の方を振り返ると最後の1人、白い髪と白い肌を持つ少女が戦闘指揮所へ駆け込んでくる所だった。


「うっわ何ですかこの有様!」


聞き慣れた、非常に聞き慣れた、つい数時間前まで聞いていた声である。性格に起因するトーンの違いは圧倒的ながら、ノイズのまったく乗らない透き通り切った声質はまったく変わらず、146cmの身長もそれに見合った体格も見続けてきた通り。オフィスレディのようなワイシャツと黒のタイトスカートであいにく服まで白で統一してはいなかったが、いきなり現れ、持っていた板状の機械をそこらのデスクに置き、すべての元凶にそろそろ近付く少女は明らかに、間違いようが無く。


「お母さん!」


「お母さん!?」


無意識にレーションとやらを握り締め叫ぶ。また変なの連れてきたなぁみたく彼女はスズに目を向け、兎にも角にも劇物と判断したらしき謎カレー入りの鍋に蓋をした。

予想だにしない出来事に混乱が収まらない、これは幻かと。


「スズちゃんは学校で先生に向かってお母さんって言っちゃう人だったの?」


「え…どうだろ…学校と名のつくものに通ったことないし……」


「おおぅ、なんかすごい親近感湧いてきたよ、仲良くなれそうだねぇ」


「えい」


「むぐっ……うっぎゃああああああぁぁぁぁぁぁっ!!ピーナッツバターだけじゃないなコレ!!?」


隙を見せたメルが倒れ伏して床をどすどす叩く中、最低限封印を終えた彼女はスズの前に笑顔で立つ。初めて見る笑顔だった、いやリコと戯れてる最中を観察し続ければ一瞬くらいは見せてたかもしれないが。


「はじめまして、声だけならもう聞いてましたよね。私は主にムーンライトの遠隔調整と情報支援を担当しています、アリエスとお呼びください」


「あ、あぁ……あ、そうか。機械だもんね、同じ顔の別人って事…?」


「え、よくわかりましたね。確かに私は機械、バトルドールです。でも私は試作機なので、この顔と、XHBD-2という形式番号を持つ個体は世界中どこ探しても私だけですよ」


そして確定する、これは本人だ。

再起動したあの時、記憶領域に紛れ込んだエラーや破損データがあまりに多過ぎた為に初期化するしかなかったと彼女は言っていた、だから初期化以前の記憶は一切残っていないと。つまりもし初期化がされていなかったら、今もこの性格で。


『ああ、合致した、時間遡行に干渉していたのはこの子だね。そういう形の縁もある、という事だろう』


「なるほど…これが最終形態、いや、いや……育て方を間違えたのか……」


「似たようなの育ててるの?」


「昔流行った携帯ゲームみたいな言い方しないでくださいよ……」


オーケー、幻じゃない、現実は受け入れた、今と性格が違い過ぎるなどとはまかり間違ってもスズが言ってはいけないし。この横道十二星座牡羊座の名を冠する、そして詳しくはぽつぽつ呟き始めたニニギに聞かねばならないが、数万年、下手をすれば数十万年ののちにアリシアと呼ばれる事になるだろうアンドロイドは簡単な自己紹介を済ませ、フェイに顔をしかめながら言い、よーうやく倒れる3人への処置を始めた。その間にスズは息を吐き出し、もうこれ以上驚く事は無いだろうと、気を抜いて頭のキャスケット帽を上げ手櫛で髪を整える。


「ん?」


そうすると途端に、その場のあらゆる視線がスズに集中し始めた。横にいたフェイは当然、悶絶していたメルも、ヒナというらしい人物を移動させるアリエスも、気絶していたその3人でさえいきなり目を覚ましてスズの頭部を凝視、ひたすら凝視。


「…………あ」


そうだ、完璧に忘れていた。

帽子の下にあるのは狐耳だ。


「待って何それめっちゃかわいい!!ヘアバンド!?ウィッグ的な!?」


「どきなされい!おい、おいおいおいマジかよ本物じゃねぇっすか!!」


「ちょっと…!そんな触…!」


「モフモフ!すごいやらかい!カシミヤっぽい!」


「私も…!私も…!」


「駄目だって寄ってたかって…!でぇぇい触るなぁぁぁぁいぃ!!!!」


嬉々として揉みくちゃにする連中を押しのけ

そして室内は衝撃波に見舞われる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る