第133話

そしたら後はいかにして早くうどんを完食するかという話でしかなかった。茹でムラが出ない程度に敢えて幅を乱した麺をけんちん汁に入れただけという、作るのは簡単だが味を求めるには腕がいる田舎料理を小毬の不満そうな顔を横目に、たいして味わいもせず平らげた後、スズと日依は家を出る。そんな遠い場所ではない、目的地は北西30m、隣の家だ。


「でかいな」


「どっちが」


「両方だ」


右隣の別荘とは打って変わって純和風、縦横50mはあろう土壁の塀に守られた木造瓦屋根の平屋建て、玄関の引き戸を開けるとまず土間が現れる。左に一段上がった畳座敷が広がり、右に竃(かまど)と台所、もっとも炊飯器とコンロが設置されているあたり竃は飾りのようだ。


「ついてきてくれ、診て欲しいのは俺のじいさんなんだけど」


隣人、いや今は依頼主となった平賀 義龍(ひらが よしたつ)の誘導の下、靴を脱いで左の座敷に上がり、彼の母親に挨拶、無造作に置かれた野球バットとグローブを横目にまたすぐ左折して縁側へと出る。手入れをやめてずいぶん経つだろう荒れた庭園を鑑賞しながら母屋をぐるりと回り、やがて障子の閉め切られた部屋の前に辿り着く。


「寝たきりなの?」


「元からな、でもここ最近は明らかに様子がおかしい、医者に見せても原因がわからなくて」


さてまだ部屋の前に立ったばかりである、しかしこの時点において既に日依の笑顔がやや真顔に近付き、不快な匂いがスズの鼻にも届いた。「じいさん入るぞ」と告げた義龍が障子に手をかける間、スズは日依に顔を寄せ。


「どう思う?」


「仕事を受けたのはお前だ、わたしゃ何もせんよ」


部屋の中央には布団があった、外見年齢70歳前後の男性が横たわる布団だった。100歳超えが当たり前となりつつある今になって考えればまだまだ若い歳かもしれないが、平均寿命が50以下だった時代、この段階において既に大往生、いつ死んでもおかしくはない。実際その老人は目を閉じ半開きの口でヒューヒューと呼吸していた、真っ白な髪としわくちゃの肌はいいとして、全身の肉をそぎ落とされたようにやせ細っており、いくら高齢といえども良い状態とはとても思えない。入室し、左側枕元に両膝をつくと、気配を察した老人が目を開ける。


「なんじゃ…恋人でも見せに来よったんか……」


「違う」


その時背後では何か噴き出すような音と、「そんなんじゃ!」という義龍の叫びと、続いて縁側に人間が倒れる音が連続して起き、最後に日依が「スズ…いくら無自覚でも真顔はあんまりだ……」などと呟く。状況が許すなら振り返って説明を求めたろうが、どう楽観的に見たところで1分1秒を争う事態であるため、すべて無視して老人の額に左手を当てる。

難しい事じゃない、何かに取り憑かれているのだ。何が憑いたにしても共通するのは精神錯乱、狐憑きを例に挙げるならそれに付け加え方向感覚喪失、四つん這いで歩きたがる、キーキー鳴く、噛みつく、油揚げを欲しがる等。油揚げが好物なのはお稲荷さんであって狐じゃねえと何度言えばわかるのかって話であるが、とにかく、この老人に憑いているのは狐ではない。おそらく人、それも親密だった。


「じゃあお医者さんか…?もういいんだよ歳なんだからよ」


「……」


そのまま目を閉じる。

朧げに伝わってきたのは若い女性の姿である、黄色を主体にした華やかで、きついコルセットを胴に装着するドレスを着た、大昔から存在するスタイルの黒髪女性だ。さしずめ文明開化直後といった風貌で、その時期はこの老人がスズらと同年代だった頃に一致する。であれば。


「おじいちゃん、奥さんは?」


「あ?どこいったろうな…呼べば来ねえか?」


生きているのか、すごい夫婦だ。


「あー、じゃあ奥さんはもういい。今の奥さんより前に親しかった女の人、いるよね」


「…………おめえ霊媒師か…」


それはどうだかわからない、呪術師を名乗ってはいるが。

目を開け、手を離し、老人の顔を見ると見るからに不快そうな顔をしていた。余計な事をするなとでも言いたげな彼は骨と皮だけの腕を布団から出して、追い払うように振る。


「帰れ、おめえさんの世話にはならねえ」


「でもおじいちゃん、このままだと死ぬよ?1週間以内には」


さらりと言った余命宣告を義龍以外の家族も聞いてしまったらしく、襖の向こうが急に騒がしくなる。まずは老人の奥さんを呼ぼうと思ったようで、すぐには突入して来ず、どたどたと離れていった。


「これ以上生きたって仕方あるまいよ、いいんだあいつが呼んでるなら」


「あいつ?あいつって誰?」


「だから帰れ!」


「あだっ!」


なんか棒を投げられた、額に直撃した。


「おい何やってんだよ!」


「うるせえ!今すぐ追い払え!俺ぁおめえなんか必要ねえんだ!」


そして突如始まった爺と孫の喧嘩、どうも簡単には収まらなそうだというその中、どうにか仲裁を試みたものの焼け石に水で、何もしないと言ったばかりの日依に引っ張られて退室、義龍を残して障子を閉める。見るに見かねたという顔の日依はそれでも最低限の笑みを崩さず、縁側に現れた老婆のために道をあけた。


「ふむ、1日は寿命が縮まったな、この暴れ具合じゃ」


「……誰かが取り憑いてて、生気を吸い取ってる、ただそれだけ。でも本人があれだとどうすればいいか……ん?」


室内に飛び込む老婆を見送った後、日依に指差されて、自分が何かを握っているのにようやく気付いた。それは額に当たった棒、チューブ状の入れ物で、ボディは白、赤い楕円形のエンブレムと、同じ赤のラインに白抜きで文字が書かれている。


「|ロメオ・イ・フリエタ(ロミオとジュリエット)」


葉巻チューブだった、中にはショートチャーチルサイズ(長さ124mm、直径19.84mm)の茶色い葉巻が一本、やはり赤いラベルが貼ってある。


「人は無意識的に、自分と似た境遇のものに惹かれるらしい」


「どういうこと?」


「さあてね。とにかく私は手を貸さん、本人に拒否されちゃほぼ手詰まりだろうが、続けたいなら自分でやる事だ」


「……なんか、やけに冷たくない?」


「解いたら不幸になる謎もある」


そう言い残して日依は行ってしまった、土間のサンダルを履きなおす音と、玄関戸を開く音が間も無く響き、その場に残されたスズ1人。


「生きれるなら、その方がいいに決まってる……」


誰に聞かせるでもなく、ぽつりとその場で呟いた。

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