第132話

まずオレンジ色の反物が用意された。

重要な点は3つ、体の動きを阻害しない事、正装が求められる公的な場所でもある程度通用する事、そして何より見た目が美しいorかっこいい事である。ふたつめはかなりの頻度で無視される(しかも彼女にとってはその都度変化すればどうにでもなる話である)が、10年後には狸種の代表者なり得る小毬の服装だ、上座に腰を下ろして絵になる外観が望ましい。よって必然的に普通の着物から何かを引いたり足したりする方向で落ち着いたので、「ニンジャっぽくしようぜ!」という日依の提案を蹴っ飛ばしてさっそくアリシアが図面も引かず布を切り取り出してしまった。呉服屋と連携しつつこのまま作成、三笠がドックから出てくる前に完成させておく。


「狸の長所は自由自在に姿形を変えられる点だ、それ以外には無い。狸であるお前が戦闘を行うとなると、いかにしてこの長所を用い相手を混乱させられるかという話に尽きる。絶え間なく姿を変え、一瞬たりとも自らを晒さず急所への一撃を狙う、この暗殺者(アサシン)そのものである戦い方でしか狸に戦闘力を求める事はできんのだ」


「あの……色々考えてくれるのは嬉しいんデスけどこれ作り終わってからにして貰えると……」


足で踏んでこねた生地を常温で40分、その間に醤油味のけんちん汁を作っておく。真夏にかけ汁かよと思う他を無視し、職人もかくやという手際で伸ばして畳んでどすどす裁断した麺をお湯に放り込んで、そのまましばらく。


「んまぁいい、スズ、符術に関する本はあるか?」


「下の右の棚の左下」


「ああ…そう……大丈夫か?禍々しいぞあそこ」


大丈夫ちょっと垂れ流しただけだからとかいうスズの声を聞きながら日依は階段を降りる。部屋の半分には天井が無く、上から入ってくる太陽光によって非常に明るい。20畳はあろう地下室は本棚ふたつ、作業台ひとつ、縦横高さ2mの鉄製コンテナひとつが壁に沿って並んでおり、部屋の中央は儀式スペース、少なくとも鳥1羽はここで殺しただろって感じのどす黒いオーラを放つ儀式スペースである。別段珍しい事じゃあない、呪術師魔術師の家には必ずある。敵を知り己を知れば百戦危うからずと師匠も言っているし、叩きのめすべき存在を知り尽くすために自分で試してみるのは当然の結論だ。しかしそうだとしてもこの空間の暗さは鼻に付く、考えられないレベルとまではいかないが。


「ちょ、駄目です引っ張っちゃ…!スズ…!」


「はいはいはい」


で、動物の皮の装丁本やら巻物が入ってるだろう筒やら価値を理解できる人間に売ればこの別荘がもうひとつ買えるだろう本棚の中から1冊の写本を抜き出し急いで地下室を離れる、そうしたらケージから解き放たれた毛玉がオレンジの反物に噛みついてアリシアと引っ張り合いしていた。


「リコー、はいこっち来ようねー」


そのポメラニアンの命名にはかなりの時間を費やした、日依は子犬座の1等星からプロキオン、小毬は犬神の地方名からスイカズラと提案したが当然の如く却下され、しかしアリシア自身も有名な軍用犬からチップスという東洋人のツボに入れるにはちと難しい名前しかひり出せず、最終的に、リンゴ食べながら話を聞いていたスズによってリコと命名されたのである。ポメラニアンという犬種はヨーロッパ原産、サモエドというソリ引き犬から派生した愛玩犬で、知性が高く躾が入るのも早い、そして何より飼い主と一緒にいる事を至上の喜びとする。とはいっても生まれたばかり買われたばかりのリコにおよそ躾というものは無く、スズに抱き抱えられてアリシアと反物から離れていく。


「そいつの飯は?肉食だろ」


「魚以外に選択肢あんの?獣肉なんてバカ高いもの毎日食べさせるとかさすがにアレなんだけど」


赤子をあやすような動きで歩き回るスズの前を通り過ぎてソファに腰掛け、取ってきた本を開く。よほど時間に余裕があったのかその写本は自分でコピーしたもののようで、端から端まで現代文に翻訳済み、かつ彼女に気に入られなかった部分を削除してある。皇女様に添削されたなら元の作者も文句はなかろうと呟きつつ簡単にぺらぺら、小毬に必要な部分を抜き出して、と思ったが、耳で足音を捉えたアリシアが最初に反応、続いて気配を察した日依も玄関方向に目を向けた。


「ん?」


しばしの逡巡ののちそいつがチャイムを鳴らすと同時に日依は口角を引き上げる、ようやく気付いたスズに向かって静止のジェスチャーを送り、本を放って、玄関に走っていく。僅かに3mばかしある廊下の先のドアに取り付いて、自身の小さな、言い方を変えると平らな体を室外へ滑り出させる。


「うおぉ!?」


いきなり現れた赤い狐に彼は驚いた、ついさっき見た時にはわけわからん文字の入ったシャツとカーゴパンツだったが、大急ぎで着替えたのかTシャツはしっかりした無地で真っ白なものに変更、襟にサングラスを引っかけ、青のチェック柄の長袖を腰に巻いていた。ついでに長袖と同色のキャップを逆さに被っており、そりゃもう誰が見ても全力な、夏の爽やかコーディネート。


「ふはははは!わかりやすい奴だなお前は!」


「だ…誰だよ!?」


ドアを閉めて、スズに聞こえないようにして、「今のところはお前の味方」と告げる。

実際、このまま放っておいたらアホオヤジの夜遊びに付き合わされるか、悠人に背中を刺されるか、もしくは30.5cm砲で爆散のどれかなのだから。


「まずは名前だ、なんていうのかねキミは」


「義龍(よしたつ)……」


「ほお!いい名前を付けて貰ったな!なんか野心溢れて父親を殺しちゃいそうな感じもするが、義の龍とは素晴らしい」


「でお前は」


「ふむ、そうだな、何がいいか、ひよひよと呼びたまえ」


その瞬間、背後のドアの向こうでハサミをパチンと鳴らしたアリシアが目をひん剥いて絶句した、見えていないが絶対に。絶句といえば眼前の彼もそうであるが、ガラじゃないのはわかっているので心は痛まない。


「で?で?なんでアイツなの?言っちゃなんだが普通の女の子じゃあないぞ、狐のジャージの機械恐怖症の闇を抱えた妖怪イジメが職業なタバコの黒魔術師だぞ、家の地下で何してたか知ってるか?」


「ばっ…な…そりゃ……いや関係無いだろ!」


「それが関係あるんだなぁおにーいちゃん」


このまま根掘り葉掘り聞き出したい所であったが、そこで時間切れ、背後のドアが開く。途端に義龍くんが狼狽し出したのを見てまた笑い、その後、割と強いチョップを受けてふぎゃんと呻く。


「どしたの?」


毛玉を抱えたまま登場し、来訪者の顔を見て小首傾げたスズは(ついでに帽子取った狐耳も相まって)なかなかにあざとかった。その完全な無意識で行われる、男を落としに行ってるとしか思えない姿に何というか納得してしまい、そりゃそうだと、こんなのが隣にいりゃあと。


「え……あ、そうだった!頼みが…いや、仕事の依頼か?」


放心してしまった彼であったが、帰宅祝いにかこつけて会いにきたとかではなく、ちゃんとした理由を持ってチャイムを鳴らしたようで。


「助けて欲しい人がいる」


その言葉に、2人揃って眉を寄せた。

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