第85話

結局の所、夢は夢でしかないという結論に落ち着いた。






「…………」


ここでの物語はすべて終わり、デスクの上には骨壷代わりのアルミ容器がふたつ、1体の人型をした何かを残して何もかもが潰えた。実験動物は狂犬病により全滅、世話をされなくなった植物も枯れ果て、もはや人の生きられる環境でなくなった中、目的を失った機械(アリシア)だけが動き続け彼らの研究を完成させる。それが現実だ、人に触れて感情が芽生えつつあったものの、中途半端に残った機械としての使命に縛られ、ここに留まる理由を完全に失うのは116年後。だが逆に見れば、どれほど遠い未来だろうといつかは救われる話である。ここで100年、200年待っても”彼女”は来ない、博士の最期の言葉を聞いた瞬間、霧が晴れるように記憶が取り戻されていく。

彼はあの時それを言い切る事は無かった、そのためにアリシアはここに残ったのだ。何を言おうとしたのかは、もう答えが出る日は来ないが、もしそれが言い切られていたら、おそらくアリシアは現実とまったく違う未来を迎えていた。


これ以上ここには居続けられない、行かなければならない場所がある。椅子から立ち上がり、ふたつのアルミ容器に深く頭を下げ、それが終わった後、意を決したように反転、研究室から出る。ドアの先には左右に3つずつ、計6つある廊下が伸び、終端が玄関口、外へと繋がる扉。

現実と区別が付かず、永遠に覚めない夢であるなら、人間の脳にとってそれは現実と変わりない、それを夢見る者もいるだろう。人というものをまるで理解していなかったが故に冷め切った行動を取り続けた過去をやり直せた、その点において、この夢を終わらせたくないとも思う。

しかしそれでも夢は夢、現実の中でこそ明確な意味を持つものだ。


「どこへ行く?」


だから扉に手をかけた瞬間、彼の声が聞こえてきても揺らぎはしなかった。


「居るべき場所に戻ります」


「その先にそんなものはないよ、君の居場所はここだけだ」


背後から聞こえる声に振り返らず、そのまま立ち止まって目を伏せる。


「私は君に知識を与えた、感情というものも授けた。だというのに何故そんなことを、恩を軽んじるように育てた覚えはないぞ」


「わかっています、今の私があるのはあなたのおかげです、教えてくれた事も、この場所も忘れはしません。私に残された時間のすべては、あなたができなかったものを果たす為に、……ですがそれは今は関係のない事です」


すぐに目を開け、ノブへ手をかけて


「そもそもあなたは博士ではないのですから」




そうして分厚く重い水密扉は軋みながら開かれた。




「っ……!」


戦艦三笠艦底近く、赤い照明によって照らされた扉の先は後部主砲塔に繋がる揚弾筒があり、さらにその先には上部へ繋がるハシゴ。音声は機関音を除いて何も聞こえず、おそらく乗組員全員、アリシアと同じく夢を見せられているのだろう。この世界において幻術と呼ばれるもので生み出されたと思われる紫色の霧は相変わらず立ち込めているが、今の所は引きずり戻される兆候は見せていない。ここは現実であると完全に確信したのち、眼前のハシゴに急ぎ手をかけた。まず上甲板へ、艦全体の状況を確認し、僚艦が健在なら無線通信か発光信号で救援を要請、できるならばこの霧の発生源を突き止める。

ハシゴを登り切って下甲板に辿り着くとようやく乗組員の姿を認めた、そこにいる全員が目を閉じて、座り込むか、寝転がるか、もしくは立ち尽くしており、いずれも幸せそうな顔で眠っている。程度に違いはあれ、少なくともアリシアのような悪夢に相当するものを見ている様子は無い。本来夢とはそうあるもの、そうあるべきものだ、現実で達成し難いからこそ夢なのであり、また夢を叶えるという言葉が成り立つ。どんな内容にしろそこにマイナス要素は存在しない、何故アリシアだけがあのような、一言で表せば覚めやすい夢を見せられたのか、理由によっては犯人を殴り飛ばす必要があるが、とにかく今は上だ、彼らにはひとまず触れず下甲板を走り階段を駆け上がる。長官室や艦長室のある中甲板を通り過ぎ、その先が上甲板、艦外である。出てきたのは第2主砲塔のすぐ後ろ、水平線に差し掛かった沈みかけの夕陽と、それによって照らされる空と海、及び三笠は一様に赤く染まっている。艦尾の先、三笠後方には寄り添うように続航する日進が見え、しきりに探照灯(サーチライト)を点滅させていた。点滅の意味は”予定航路を外れてるっつーか返信よこせ”で、それによりこの事態は三笠だけが陥っていると判明する。制御を失い暴走する今のままでは信号を送るのが手一杯だろう、双方共に衝角を持つ以上ぶつけて止める訳にもいかんし、攻撃する訳にもいかんし。日進に助けてもらうならスクリューの回転を止めなければならないが、まずは前部艦橋にある舵輪だ、故意か偶然か艦首がぴったり皇天大樹に向いており、このままでは海軍の哨戒ラインを超えてしまう。主砲塔、後部艦橋の横を通り、7.6センチ砲の列を走り抜け前部艦橋根元に辿り着く。

そこで元凶を見つけてしまった。


「雪音……」


第1主砲塔の先、艦首部分の光景を察するに、彼女は一足先に幻術にかかって操られていたらしい。

思えば彼女が風呂に駆け込んできたのが始まりだった、いまいち曖昧な行動だったが、霧の範囲内に引きずり出す為と考えるなら納得できる。疑問を持たれようが何だろうが、要は風呂から上がらせれば良かったのだ。


自身の意思で裏切った可能性も一応残されてはいるが、そもそもこの反逆を始めた張本人が裏切り直す筈も無し、それに少なくとも現時点において、夕焼けの中雪音は他の人間と同じく眠らされ、更に空中に浮かされていた。


「貴様は何だ?」


というか、わざわざ彼女を疑わずとも、明確に敵とわかる相手が横に立っている。


「最初の失敗で人間でない事は解った、それでわざわざ特別に人形向けの術を施し直してやったというのに、貴様はそれすら破ってそこに立つ」


吸い寄せられるように艦橋を通り過ぎ主砲塔前へ。

まずその女性は狐耳だった、アカギツネの変異種であるギンギツネに準じた銀色の耳と、途中で上に折り返したアップ髪。身長は165センチほどあり、濃い紫色の着物と黒の帯を身に付けている。ただしその体は霧で象られていて、瑞羽大樹の鬼やワイルドハントの兵隊と同じく役目を終えれば霧散する類の存在と思われる。


「貴様は何だ?」


「……わかりません」


体は機械で作られている、それは間違いない。だが自分が何であるか、今まで信じていた定義を失ってしまった。あの夢を見て、過去の自分と現在を比べた結果、少なくとも道具(ロボット)の範囲は脱してしまっている。

ひとまず再定義するなら人工生命体(アンドロイド)になるのだろうか。


「私は人ではありません、人に似せて作られただけの存在です。この感情も結局は偽物でしかない、ですが偽物であっても」


自信は無い、理論的でもまったく無い、それでもアリシアは1歩前へ、それに向けて訴えるように。


「私は今ここにいる、感情を持ってしまっている。だから私は誰からの指示でもなく、自分の意思であなたに敵対します」


左手を上げる、レーザーガンに火を入れる。


「そう、なら壊れろ」


だがそれが終わる前にアリシアの体は吹き飛ばされた。


「つぅ…!」


痛みは無い、痛覚が無いので当然である。鐘のような音が鳴った瞬間に視界が回転し、気付いたら砲塔に打ち付けられている。予想はしていた事だ、兵士相手なら絶対に負けないがああいう輩と正対したらこうなると。


「あ……」


手をかざす霧の女と目覚める様子無く眠る雪音、抵抗のために起き上がろうとするも、どう考えたって相手の次撃の方が早い。

かざされた手のひらが閉じていくのをただ見つめ、るしか無いともう思ったが、

その視界を遮るように緑の着物が現れた。

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