第86話

三笠の老体が軋んで左への急速転舵が始まる、傾斜を伴うそれを認めた相手は大きく舌打ちし、自身の体を形作る紫色の霧を放出、形を変え出した。


「ようやく追い詰めたぞクソババア!!」


砲塔に寄りかかるアリシアを背に隠し、左手で太刀を突きつけつつスズが叫ぶ。

切っ先が睨む霧の女は人間よりも近距離での争いに適した形状を取るべく拘束を完全に失って雲状となり、動物の黒い毛並みを持つ巨大な人の手がまず這い出てきた。人くらいなら簡単に握り潰せるサイズで、かつ長く伸びた爪のそれは現れた途端に真上へ振り上がり、真横で浮かぶ雪音目掛けて落下する。


「削り取れ!」


が、彼女の体が引き千切られる前に更に上から飛竜が落ちてきた。

装甲まがいの鱗に覆われた飛膜付きの腕は異形よりずっと細いものの、それでも位置エネルギーの優位に任せて爪を叩きつける。雪音に到達する直前で逆方向に跳ね返され、轟音を立てて甲板と衝突、停止した時には薬指と小指、手のひらの一部が失われており、雪音を挟んで反対側、一拍遅れて着地したアルビレオの背中からマントをたなびかせ日依が降りる。入れ替わりで相変わらず眠っている雪音がかなり乱暴に騎乗させられた、どうやっているのか知らないが背中にぴったり貼り付けたらしく、アルビレオが前方宙返りを伴う跳躍をして艦橋の後ろに消えていってもずり落ちる事は無かった。その間に日依は走って離脱、異形は片腕の先にある本体を霧から引きずり出す。まず黒い毛に覆われた人の手がもう1本、両手で甲板に手をつき踏ん張って出てきた体は牛と同じ形をしているが、両手両足が人間であるため本当に牛かは定かではない。


「トウテツさんだな」


「あの名前が読めない&書けない怪物代表の?」


体と手足は毛むくじゃらだが頭部には一切毛が無く、ここも人間の顔で、曲がった二本角と、長い牙を持つ。完全に霧から抜け出た瞬間に霧は小さくなって消滅、最後に現れたのは尻尾、ここは見るからに牛だった。


「きも……」


日依がスズの横に辿り着いた後、まずスズが顔をしかめて呟き、日依も錫杖を取り出しつつ苦笑い。

まとめるとそいつは牛の体と尻尾に角と牙が付属する人間の頭と(あくまでそこのみなら)見惚れるほど筋肉質な手足を持つ体長6メートルの怪物であり、出現を終え落ち着いた時点でアルビレオに持っていかれた右手の指は生える形で復活していた。中国神話、四凶の1体で、あらゆるものを喰らい尽くす怪物とされる。なんでも喰うなら呪いも喰うだろうと魔除けにされた時期があり、紀元前17世紀から2世紀にかけて出土した土器に彫られている動物の文様はこれをモチーフにした、とされている。

ちなみに漢字では”饕餮”と書く。


「とにかくスズ、お前は今までいろんなものと戦ってきた筈だ、妖怪や式神、鬼や竜、いずれも高い戦闘能力を持つ一線級の相手だったろうが、今回はどうだろう、あれは疑う余地なく神に分類される代物だ」


「でも偽物でしょ」


「まぁそれは救いと言えるだろう、本物だったら最初の一撃を阻止できないどころか今頃この艦は逆立ちしてる。もちろん偽物は本物を超えられないなんて決まりはないが、狐1匹ができる事などたかが知れてるしな。とはいえ動力源はたぶん例の石、使えるものは全部使わないと勝てんぞ」


話し終え、人間の絶叫そのものである鳴き声を聞いてから、ようやく視線を背後に移す。変わらず砲塔に寄りかかって座る白の少女は状況を飲み込み切っていないかの如くフリーズしてしまっていた。なんとなく、感覚的な印象ながら、ついさっきと比べてその表情は人間臭さが増しているというか。


「アリシア、大丈夫?」


「あ……はい」


背中に守られながら急いで立ち上がり、砲塔の壁に沿って後退、3メートルほど離れる。その間日依は状況確認、180度回頭を終えようとする三笠と、怪物の出現を視認しているだろう日進を順番に見た。そして艦橋に向かって舵を戻せとサイン、次にアリシアを指差し。


「体の損傷は?」


「ありません」


「なら仕事だ。光、電波、手旗なんでもいいから僚艦と連絡、負けたと思ったら撃っていいと伝えろ。それが終わったら小毬を連れて艦内だ」


体と目を戻し、じゃらりと錫杖を鳴らして、日依は今までに無かった動作、体からバチリと放電を起こす。


「主砲(コイツ)を動かせ!」


前へ突き出す錫杖と全身から溢れ出すように火花と青白い稲妻を連続放出する日依を見て目を丸くしたものの、すぐにアリシアは反転、階段を登っていく。


「ど、どうしたの……」


「うむ、お前の知らない所で色々あったが、まぁ詳細は……」


言っている間に艦首のトウテツがスタートを切った。甲高い絶叫を上げながらさして広くない前部甲板を瞬く間に走破、咄嗟にスズは太刀を両手で握り下段へ落として迎撃体勢を整え、左隣の日依は右手の錫杖を引き戻し、代わりに左手を突き出して口元を引き上げる。


「コイツをチンした後だ!」


レンジでチンとは電子レンジで食品を温める際によく使われる表現である、彼女はトウテツをこんがり焼き上げる意味で用いたようだが、実際に彼女が行ったのは空気の抵抗をぶち破って放電するレベルの高電圧で以って直接電力を叩きつける、言うなれば電気椅子と全く同じ加熱方法であり、マイクロ波を照射し水分子を振動させる事で水を含んだ目標だけ(=食品)を加熱する電子レンジで使う表現であるそれを今使うのは語弊がある。

なんて艦橋で通信機に取り付いたばかりのアリシアが思ったかどうかはいいとして。


「ア゛アアアアァァァァァァァァ!!」


要するに小型の雷である、空間を引き裂くような轟音と閃光がトウテツを貫いた瞬間、怪物の巨体は硬直し、艦首から疾駆してきた慣性により30.5センチ連装砲の砲身に突き刺さった。貫通こそしなかったものの鈍い音と共に空中で固定され、赤黒い血液をぶちまける。煙を上げて動かなくなったそれの横で下駄が鉄を蹴りつける音が1度して、飛び上がったスズの両手にある太刀が前方1回転、放物線を描きながら振るわれた直後に頭部だけが甲板へと落下した。既に雷撃を受け眼球も真っ白くなっていた人の顔は直ちに霧散、残った本体は更に血を噴き出す。


「ふむ、石を直接埋め込んであるな、壊さない限り何度殺しても死なないだろう。スズ?」


「んなこと言われても外装で守られてるんじゃねぇ」


それぞれ死体の左右から観察すること3秒、滴り落ちていた血がいきなり止まる。首の切断面からボコリと骨が伸びてきたかと思うと手足も激しく動き出し、脊椎から頭蓋骨が生え、筋肉が覆い、更に皮膚。


「何から何まで気持ち悪い……」


砲身の突き刺さっていた胸部に円形の凹みだけ残してトウテツは生き返った。両手で砲身を掴んで引っこ抜く、自由になった途端に何事もなく暴れ出したため両者とも飛び退いて離れる。


「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


艦尾を向くトウテツから見て左にいたスズを叩き潰すべく右手を振り下ろし、迎撃の太刀と接触、発生した鐘の音は本来なら長く余韻が残るのだが、一瞬の抵抗もできず押し負けたのが原因か、詰まった音だけ出して打ち消されてしまった。駄目だと悟ってすぐさま後退、刀身の損傷を防ぐ。


「ちぃっ!」


「力で張り合おうとするな!刃物本来の使い方をしてやれ!」


甲板の端まで達しこれ以上下がれないため次が来る前に艦首方向へ逃走、追ってきたトウテツとスズとの間に日依が割り込む。長い錫杖の端を握って最大限に遠心力を活かした一撃はゴォォン!としっかり音を鳴らし左肩とその先を消し飛ばした。足を止められはしたもののやはり左腕部は生えてくる、しかも復活速度が上がっており、スズの離脱を助けた日依の離脱を助けるべくスズが斬り込んで、今度は右腕が宙を舞った。


「痛ってぇぇぇぇ…!」


対抗し、勝利もしたが日依の感想はそんな感じである。もう打撃はしないと言わんばかりに背後の刃9本を展開、痛めた右手首を振りながら放電を再び始め、さらに風が吹き出した。久々、というかたぶん初めて受けただろうダメージに右腕喪失から立ち直ったばかりのトウテツを睨み付け


「ちょっとは加減しろばか!!」


そんな理不尽な、とかスズが呟いている間にトウテツはミンチになった、元々何だったのか皆目見当もつかないほどのミンチになった。完膚なきまでに斬り裂いた風が止んだ後には直視するのもはばかられる赤い山が残ったが、幸いにも数秒で一番大きい塊以外は消滅、また骨からの再生が始まる。


中心にある筈の宝石はそれでも露出せず。


「くそ…これでも届かないか」


本来が防御特化の代物だ、力押しで破壊できる人間は世界中探して1人か2人、さらに今回はむき出しに置いてある訳ではない。殺せば殺すほど速くなるのか極めて急速に再生を進め、しかしさすがにここまでやれば修復に時間がかかるらしく、落ち着いて合流、背後をちらりと見る。


「私がどうしても壊せないものふたつのうちひとつだ、お前はトドメに回ってくれ。そしたら後はどうやって石を露出させるかって話でしかない」


「アンタに無理ならあたしにも無理だよ」


「わかってるさ、”自分の強さが他人任せ”ってのは辛いわな。まぁとにかく、結局はアレ頼みか」


ギギ、と金属同士の擦れる音が鳴り、

30.5センチ連装砲が目を覚ます。


「釘付けにしろ!」


復活し終えたトウテツはまた壮絶な攻撃に晒されたものの、操っている側が事態に気付いたかスズと日依から優先目標を変更した。絶叫を上げつつ主砲塔へ向かおうとする、それを阻止するべく刃と玉が取り囲む。海坊主のように符で拘束できれば楽そうだが、あんなもので止まってはくれないだろうとひたすら攻撃、全身を斬り裂き、撃ち抜き、電撃で焼いてもすぐに損傷は修復され、殺すほど再生が速くなるし強くなると確信したのはその時点だった。背中に突き刺さろうとした刃が弾かれたのを皮切りに、光弾を跳ね返して突進を強行、両腕を振り上げて左右砲身の間、正面装甲へ叩き付ける。厚さ254ミリの鋼鉄を前に内部にいるアリシアと発射機構には何らダメージを与えられなかったが、衝撃が砲塔全体を震わせ不協和音を鳴らし、装甲には僅かな凹みを残した。


「やらせんなっつーの!」


連打を始める前に左腕を太刀が斬り落とし、右腕を錫杖が叩き潰した。失った左腕はすぐさま再生、前にひしゃげた右腕はというと、古い腕を残したまま折れた箇所から新しい腕が生えてくる。


「ってマ…!?」


2本となった右腕は邪魔すんなとばかりに日依を襲う、命中する前にまず電撃で焼かれ、風の壁にぶち当たって1本を喪失、残った1本も錫杖によって迎撃されるも、今度は引き分け、肩口から引き千切られる代わりに日依を吹っ飛ばした。今の今まで笑いながらすべてのものを捻り潰してきた彼女が左舷、錨が繋がれている場所まで勢いよく転がっていき、そこで落下防止の鎖にしがみついて停止、頭から血を流しつつトウテツを睨み付けるその背後で錫杖が海に落ちる。


「ジか!!」


吹っ飛ばされる直前に言いかけた事をスズが代弁、救援の為に走り出そうとする、が


その前にアルビレオが降ってきた。


「がああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


砲塔天蓋に着地し両脚をバネにして絶叫するトウテツへと突進する。勢いそのまま二撃三撃と体当たりを続け、やはり体重があると有利だなという感じにトウテツは艦首近くまで突き出された、覆い被さるように乗られ仰向けになりながら左腕で長い首を掴み引き剥がそうとしたが、アルビレオもかなりの興奮状態にあるようで、喚き散らす頭部を爪で引き裂き、さらにすり潰す。

優勢だったのは数秒だけで、頭が再生した後は腹部へ打撃を受け唾液を吐いた。その間にスズは走り、主砲の砲身が最小俯角を向く。


「やれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


アルビレオが盛大に水飛沫を上げて海へ落ち、勢いよく立ち上がったトウテツと被せるように日依が絶叫。その瞬間に砲塔内部で引き金が引かれ。


すべての音をかき消すほどの咆哮を三笠が発した。

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