第44話

事が終結してから少し、機銃と砲で式神達を蹴散らし終えたゴールデンハインドが飛行場の繋留塔との接続作業を始めた頃、ようやく太陽は顔を見せた。

これで少なくとも、鳳天大樹が抱えていた問題はすべて解決した、鴉天狗はいなくなり、少しくらい下手な真似をしたからといって処刑される事はもうない。それでも小毬は冷遇され続けるのだろうか、長く続いた恐怖支配だ、すぐに住民の態度が変わる事は無いだろうが。


「いつかは忘れます、恨みも悲しみも。人の脳はかなり都合のいい作りをしているもので、辛い思い出は記憶に残りにくいのです」


「そんなものかね」


「そんなものです」


トラウマは残るかもしれませんが、と言いながら、アリシアは不意にスズの隣から離れた。朱雀亭の玄関の横を通って側面にあった薪割り場へと向かい、そこで斧を手に入れた。

長さ80センチある棒の先端に刃渡り10センチ、幅25センチほどの刃物が付いた薪割り斧だ、それを両手で握りながらスズの元に戻ってくる。一体何なのかと思ったが、彼女が意味の無い行動をした事はこれまで一度も無い。

実際、それが必要になる状況はすぐに現れた。


「……」


ドスンドスンと地響きを鳴らして、何かの集団が近付いてくる。振り返ってみると、総数10体の鬼、体長2メートルほどで、腰布だけを身につけ、鋲の打ち込まれた金棒を握る鬼がひとかたまりになって歩いてきていた。色は赤と青、頭部の角は2本。

瑞羽大樹の大鬼のような高位な存在ではない、あれも人によって一時的に生み出された式神の一種である。ただし犬や猫などの史実種、すなわち普通の動物とは違い、現実に存在し得ない伝説種で、個体ごとに意思を持ち、ある程度以上自分の頭で考えて行動する事ができる。


「鈴姫様」


そいつらはスズの後方10メートルで停止し、背後にいた1人の人間が鬼達の間を通って前に出てきた。

狩衣装束と呼ばれる、単の上から狩衣を重ね、頭に烏帽子を乗せた、いかにも陰陽師という風貌をした初老の男性である。右手に扇子のようなものを持ち、顔には笑顔を浮かべているものの、普通の笑みではなく、日依のようなニヤニヤでもない。

クソ野郎特有の下卑た笑いだ。


「召還命令が出ております、御同道を」


「……誰からの指示?」


「葛葉様からのものです」


葛葉、それが黒幕の名前。

聞いた瞬間、スズは鼻を鳴らす、まぁそんなこったろうと思ったと。


「嫌だと言ったら?」


「少しばかり教育を施せと仰せつかっておりますが」


「そう」


鬼の1体が前に出る、握りしめた金棒を振り上げる。

その鬼と、相変わらず下卑た笑顔の陰陽師を一瞥し、それから首を戻して、アリシアの手から斧を受け取る。


威嚇するようにそれを振り回し、大樹の表面に刃が突き刺さった瞬間、甲高い音が鳴って、パーカージャージは尻尾4本の付く緑の着物へと入れ替わった。


「ならば喜べ、今の私は最高に機嫌が悪い」


光の玉を浮かべつつ、体ごと向き直って睨みつける。

陰陽師の顔から笑みが消える。


「黄泉路に一番乗りしたいのはどいつだ…!」



















「みぃーつけた」


銃弾を受けた右肩を押さえながら秋菜は走っていた。一連の戦闘の結果、逃げる事には成功したが、出ている式神は狼6体、残った札は10枚も無い。悪態をつきながらエレベーターと階段を交えて下層へとひた走り、ようやく港へと辿り着いた直後、正面から、かくれんぼの鬼のような楽しそうな声が響く。


まず港は封鎖されていた。といっても多数の兵隊がすべての施設を押さえている訳ではない、魚市場には民間人が普通にいる。船を使って脱出するのを不可能たらしめているのはただ1点、沖合200メートルに浮かぶ1隻の戦艦である。小船で出て行こうものなら、いやきっと船に乗った瞬間に奴は撃つ。


「く…ぐぅ…!」


「いや会いたかったよ秋菜ちゃん、私の事はわかる?」


そして正面、海を背にして人をからかうように笑う赤い狐は言いながら錫杖を1度、がしゃりと鳴らす。

黒地に赤い横線が1本入った、足元まで長さがあるマントを羽織り、胸元のボタンだけでそれを固定している。錫杖を持つ右腕によってそれは押しのけられているため内側が見えていて、マントと同じく黒で赤いラインがいくつか伸びる、着物のような前開きの上着に、少し色の薄い灰色のタイトスカート、ニーハイソックスを履き、足元はブーツ。

その姿はもはや西洋の魔術師にほど近い、しかし頭からは狐耳が伸び、背後、腰のあたりからには赤色の水晶のような細長い菱形が光りながら上を向いて浮遊している。

実に9本。


「何度も何度も思ったよ、なんでこんなつまんない奴に付き合わにゃならんのだってな。自覚がないのかわざとやってんのか、お前1人のワガママのおかげで何人死んだか知ってるか?少なくとも私は最初聞いた時吐き気を覚えた」


錫杖を鳴らして日依は近付いてくる、唸り声を上げる狼達など意に介さず。


「だがまぁそれも終わりだ、お前は降伏勧告を既に拒否したが、最後にもう一度だけ言ってやろう。いい加減諦めろ」


「クソくらえだ!あんたたちみたいな奴隷がどれだけ死のうが知ったこっちゃないのよ!バカじゃない!?あんたは踏み潰したアリの事なんか気にするの!?」


「ふふ、典型的すぎてむしろ感動した」


一際大きく錫杖が鳴る、直後に9本の尻尾が日依の腰を離れる。


「オーケー、じゃあ話は終わりだ。さっさと来い、私を殺せたら逃してやるよ」


1本あたり長さ50センチ、最大幅5センチ、1センチの厚みを持つその”刃”が立ち止まった日依の前方へ並ぶように展開する。切っ先に睨み付けられ、ギリと歯を噛み締めながら残った札を引き出し、8枚を投げる。


「なめるなぁ!!」


合計14体となった狼が一斉に日依へ飛びかかり。


「ふは…」


片端から斬り刻まれた。

日依は1歩も動かない、ただ刃だけが飛び回って、首元へ嚙みつこうとするものを串刺しにし、背後に回り込もうとすれば首を刎ね、狼狽えたものは何もできず輪切りになった。僅か数秒で式神は1体もいなくなり、人型の札がひらひらとコンクリートの地面に落ちる。


「私に触れたら、の方が良かったかな?」


「ふ…ざけるなぁっ!!」


迎撃を終え再び整列した刃と日依に向けて叫び、残された最後の札を投げ付けた。

今までのものとは違い、人型ではなく長方形、宙に舞った瞬間からそれは実体化を始め、コンクリートをひび割れさせつつ地響きを立てて着地した。

頭から尻尾の先まで15メートル、黒いまだら模様を持つ爬虫類の身体を後足2本だけで支え、前足は退化し小さくなっている。腹部は乳白色、背中は緑、その上に背ビレのような赤い棘が立っており、帆に似た膜が張られている。

竜、と言われれば間違いなく竜と呼べる。


「おー、スピノサウルス。なるほど確かに史実種には違いない、驚いた。一発逆転の切り札には十分だろう」


耳をつんざくような咆哮を聞いても日依は笑ったままだった、刃を待機させたままコツコツと2回錫杖でコンクリートをつつき。


「だが結局は式神(ニセモノ)だ」


直後、スピノサウルスは轟音を立てて踏み潰された。


「は……」


ただ恐竜と名付けられただけの大型爬虫類とは違う、装甲のような鱗を張り巡らせ、飛ぶための翼を持つ、正真正銘の竜が真上からそれを急襲し、鋭い鉤爪で肉を引きちぎる。最後に力なく呻いた後、結局何も出来ずに消え、札に戻った。


「あぁ……」


「ではこれにてチェックメイトな訳だが…ああ安心しろ、この大失態が皇天大樹に知られる事はない。普通なら裁判とかやって、終身刑とか死刑とかになるんだろう、それが正しい罪の裁き方だ、だが軍法会議なんてやるつもりは毛頭ない」


いつの間にか崩れ落ちていた秋菜にワイバーンは短く唸り、その首を軽く叩きながら日依は眼前へとやってくる。


「私は公務員だが軍人じゃない、警察でもない、クソったれにはクソったれのやり方で応じさせて貰う。なに、今までお前がやってきたのと全く同じ事だ」


そして膝をつき、顔をぐっと近付けて、

耳元で囁くように。


「楽に死ねると思うな」


ぽつりとそれだけ言った。


「ぁ…あぁぁ……」


背後で別の足音がする、すぐに両脇を抱えて引き上げられる。


「ああああああああっ!!」


いきなりやってきた絶望にもはや何も考えられなくなり、引きずられながら手足をただばたつかせ。

乗ってきたばかりのエレベーターに詰め込まれる直前。


「はぁ……」


顔をしかめて溜息をつく日依が僅かに見えた。

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