第38話

「どうしてアンタはあたしを待ったの?」


「ん?」


携帯用の小さい酸素スプレーを口に当てながら日依は隣に座るスズを見る。スズは近くで生える葉を引き寄せいじくりながら、視線は下。

鳳天大樹の最上層にある斎院から更に1000メートル登った場所、高度計は6000を超えている。酸素濃度は海水面と比べ40%、いよいよもって命の危険が迫る数字となる。日依はしきりに酸素を吸入しているが、人体の構造上吸った酸素を溜め込む事はできないので、休憩中くらいは息苦しいのをどうにかしたいという気分の問題か、もしくは雰囲気を楽しんでいるだけである。当然ながら建物はひとつも無く、エレベーターもここから100メートル下で打ち止めとなっていた。エレベーターの終点からここまではハシゴで、ここから先は杭と鎖。


「アンタならあたしなんか待たなくても1人で決起できたんじゃないの?遠い昔の話とはいえ皇族の血筋とも重なってるし、今回の騒動が始まるずっと前にあのアホオヤジとすり替わる事もできたはず」


「否定はできんな」


「なんであんなしょうもないのに振り回されて、これだけ被害を出しても何もしないであたしを待ってたのさ」


「そうさなぁ……」


空になった酸素缶をしまって、スズと同じく下を見た。

いくつかの雲に阻まれつつも海まで見下ろす事ができ、水平線近くを見ればいくつか大樹も見える。その中で一際背の高い1本、全高14kmの皇天大樹。

いつかは戻らなければならない場所。


「陸地はなぜ消えたと思う?」


「は?」


「まぁ付き合え。かつて海水面はもっと低い位置にあった、極地方の寒い場所に大量の水が凍っていて、それにより水面が低くなっていた訳だ。二酸化炭素の温室効果はわかるか?」


「まぁ、増えると暑くなるってのは」


「そうだ、様々な機械を大量に、長期間動かし続けた結果平均気温が跳ね上がった、それで氷が溶けた結果海水面も上がった。というのがちょっと前までの通説だった、気温が高いという現在の事実もあるしな」


標高6000、普通なら私ら凍ってるぞ、言いながら自分の露出部分を指し示した。寒い事は寒いのだが、数時間の滞在で死ぬような事はない。


「だがな、その程度で一片残らず海に沈んでしまうほど陸地は平たいもんじゃない、ここまでの状態になるには後から水が注ぎ足される必要がある。そこで科学者は海底を調べた、陸地が沈んだのは別の理由じゃないかってな。そうしたら中東、東洋と西洋の境目付近を中心に巨大なクレーターが無数にあるのを見つけた、宇宙から何かが降ってきた後だ。今までは推測だったが、アリシアの頭ん中に記録が残ってた、過程は省くが氷の塊が落ちてきたらしい、大量にな」


「どのくらいよそれ」


「お前が想像もできないくらいだよ」


「なんぞ……」


「隕石衝突に伴う寒冷化が終わった後、この海しかない世界が残された。人類が再び歴史を記録し始めて2600年、生物の呼吸によって排出される二酸化炭素は蓄積され、高度6000で素肌を晒しても凍死しないこの世界はそうして出来上がった。植物が極端に少ないからな、酸素が増えないんだ」


両手を広げて、日依はにやりと笑う。

んで、少し話は逸れてしまうが、と最初に言い。


「では大樹は?」


「え?」


「かつて西洋にはユグドラシルという今の大樹より遥かに巨大な樹があった、これと関連があるのかと思ったがどうも違う、科学者が調べた結果、この海水を吸い上げて湧かせ、土を敷いたら栄養を供給する不思議な物体は絶対に植物ではないとされたものの、桜の木と非常に似た性質を持っているらしい。大樹はどこから来たもんだ?誰にもわからない。耳もな、アリシアが見てきた獣耳はお前が最初だそうじゃないか、狐も狸もいなかったって事だろ?」


「んなこと言われても」


「まぁ存在しちまってるもんは仕方ないわな。それはいいんだ、話を戻そう。隕石が落ち、急激に寒冷化する世界。巻き上がった粉塵が空を覆い、太陽の光も大して届かず、草木は枯れ海は凍りつく、首を締め上げるように死が迫ってくるその中で、人類は何やってたと思う?」


「生き残る努力?」


「戦争だ」


既に笑っていた口角を更に引き上げ、一瞬だけ嘲笑うような顔をしながら続ける。


「しかも普通のじゃない、核戦争ってのをやってたらしい。瑞羽大樹で使われた爆弾の何百倍、何千倍も威力のある爆弾が大量に使用された。手を取り合って生き残り、来たるべき氷河期の終わりのために文明を保持しなければならない時にだ。そうして結局人類はすべて失った、お互いが滅びるまで戦った結果だ。ちゃんとした理由があろうがなかろうが、戦争を起こすという事はそういう結果を起こしかねない。現在のこの状況で私が戦争を起こせば現政権は打倒できたろうが、お前を担ぎ上げた時と比べて死人の数は大きく増える。混乱に乗じて西洋軍が介入してくる可能性も考えられた。最終的に、ここまで回復した文明を再びリセットしてしまうような全滅戦争を招く事すらな」


と、そこまで話して日依は立ち上がった。顔を上げ、目的地を見据える。


「だからお前の最初の問いに答えるならば、私は眼前で苦しんでるか弱き人々の事なぞ気にしない、人というものを生物学的な種、統計学的な数字としてしか見れない冷たい女だから、という事だ」


ずっといじくっていた葉を離す、曲げられていた枝は勢いよく元に戻って、葉が立てる音を聞きつつスズも腰を上げる。


「行くぞ、風が吹く前に降りないとマジで死ぬ」


「つーかアルビレオは?」


「最大上昇限度がちょっとな」


かつて頂に挑んだ命知らずが残したものらしい鎖を掴み、主幹に取り込まれるように同化した杭を踏みつけて上に上がっていく。下を見れば斎院もゴールデンハインドも遥か遠くにぽつりと見えるのみ、視界の大半は海と雲で埋め尽くされている。一番てっぺんまで行こうとしている訳ではないが、かつてこれを残した連中はアホだったんだなと純粋に思った。


「天狗の集落に砲弾が撃ち込まれる直前、相良くん……名前まだ言ってなかったな、あの鴉天狗は黒滝 相良(くろたき さがら)という。彼に秋菜ちゃん自身が接触している、今からここは襲撃されるけどあなただけなら助けられるわ!とかやったんだろうね。……この手の話もう飽きた?」


「うん」


「なら結論だけ言おう、暴走したのはその直後だ。たぶんだけどな、秋菜ちゃんは小毬をああしたかったんだろう。自分の代わりに彼があんななった、という点こそ小毬をここに縛り付ける最大の元凶。わかるだろ?」


「…んー……」


どうにかこうにか1段上の枝まで登る。鎖から手を離した途端に少しだけ風が吹き、枝葉が一斉に合唱した。

その枝の根本、直径1メートルほどの穴が開いている。やや下に向かって少し伸びていて、そこから横に曲がっている為先は見えない。


「ちょっとこれ…入ったら出てこれないタイプじゃないでしょうね」


「大丈夫だろ、多分」


白い簡素なバッグを抱えるようにして日依がまず中へ、四つん這いになりながら後に続き、奥を曲がると急に内部は広くなる。

天井まで2メートル、中央に灯油を使うランタンが置かれた6畳間ほどある空間だ。入口から見て右側に毛布が1枚、左側に麻袋がふたつ。


そしてそのホールの最奥で狸の少女はうずくまっていた。昨日と同じネクタイ付きの茶色いワイシャツと黒のミニスカート、狸耳のある、ゆるくウェーブした髪のサイドテールもそのままだが気持ち崩れている気がする。


「こーまり」


「ん……?」


眠っているように動かなかった彼女は日依が声をかけるとピクリと体を動かした。ゆっくりと顔を上げているうちに日依はバッグから竹皮の包みを取り出し紐を解く。

彼女が見せた顔は、なんというか目が腫れているというか、明らかに泣いた後というか。


「なっ…!んぎぎ……何しに来たんデスか!ていうかなんでここ…!」


「変化したまま動き回るからだ、残り香を垂れ流してる事を自覚しろ」


「ぐぬ…もうもう早く出てってくださいよ!立ち入り禁止デス!」


「まぁまぁ」


小毬はこちらを認めるや否や両手で目を擦り、噛みつくように声を張り上げた。立ち上がろうとするのを片手で押さえつけ、膝をつきながらもう片手に乗せた竹皮の中身を小毬の眼前へ。


「ほら」


「へ……」


海苔の付いていない、具がわかるように鮭とおかかが乗せられた大きなおにぎりがふたつと、付け合わせに卵焼きと沢庵、見せた瞬間に小毬は止まってしまった。唖然としながらそれと日依の顔を交互に見、対して日依は昨日今日で初めて、にやつきではない普通の笑みを浮かべる。


「いいから食え、どうせロクなもん食ってないだろ」


「…………」


ずいとおにぎりを突きつけられ、そのまま数秒。


「…む……」


恐る恐る鮭の乗っている方を両手で取る、何の仕掛けも無い普通のおにぎりであると確かめ、小さく口を開けて削り取るようにまず一口、次に大きくかぶりついた。続けて3度食べ続け、具に辿り着いたかどうかの所で、口を離さず震え出す。


「ぅ…ぅぅううううぅ…!」


なんというか、訳も分からず殺されかけたとか、家族親戚が1人残らずいなくなったとか、助けてくれた所も同じ目に遭って以降は死ねだの何だの言われ続けた挙句、こんな鳥の巣穴みたいな場所でじっとしてなければならないとか、そういうものに対する感情が噴き出てしまったのだと思うが、米と具の鮭を頬張ったまま、小毬はボロボロと涙を流し始めた。それでも口は動かし続け、ヤケクソの如くおにぎりに噛みつき続ける。


「えぅぅぅぅぅぅっ!」


「おいおい泣いてちゃ食えんだろ」


「ああいえぁいぃぃぃぃぃぃ!!」


「何言ってんのかわかんねえ」


そうなるともう止まらず、大泣きしながら恐らく2ヶ月ぶりの、人から貰った、真っ当な食事を頬張り続け、そう経たないうちにおにぎりから付け合わせまですべて無くなった。竹皮を片付けハンカチを出し、それを顔に当てた小毬が思いっきり鼻をかんだ所で日依の顔はいつも通りになった。ふははバカやろう!とか言いながら頭をひっぱたいて、それから振り返り、スズを手招き。


「……落ち着いたか?」


「ゔん……」


「じゃあ本題に入ろう、その様子じゃこれは役に立たなかったらしいな」


横の麻袋に手を突っ込んで本を1冊取り出す、天皇の系譜やら何やらが詳細に書き連ねられているアルバムのようなもので、本来なら最重要書物なのだが、こんな汚い樹窟にあった点は気にしない事にする。


「そもそも無理だ、戦艦の装甲をライフルで撃ち抜けるか?できんだろ」


「うー……」


「ふふ。つーわけでスズ、こいつの話を聞いてやってくれ」


言われながら日依の横に立ち、一層目を赤くした少女に向かって軽く手を振った。

あらゆるものに精通する日依が無理と言い、こんな本があり、そして自分が呼ばれたとなるとどうせ例のアレだろうが。


「人の顔にタバコ吹き付ける人だ」


「そこを強調すんじゃないよどアホ」


涙を拭き、顔を何度か振って、ずれていたサイドテールのヘアバンドを正位置に戻す。そして本の入っていた麻袋を引っ張って中をがさごそ。


「んじゃま、天狗があんななった詳細教えてくれる?」


「私もよくわかんないデス、夜中に騒ぎ声がしたから目が覚めて、そしたらあの女の人がいて……」


直径5センチの宝石が出てきた。


「これが……」


「はい出た」


紫混じりの深い青色、今までの2種類とは違い、これぞ宝石という感じに透き通った水晶系、楕円型に整えられたオーバルカットは大きさが半分ながら、単純に宝石として考えたらとんでもないサイズである。正面に彫られているのはもはやお馴染み、菱形12個。


つまり、秋菜はこれを小毬に使おうとしたが、相良とかいう鴉天狗が阻止し、小毬の身代わりとなって暴走した。


「灰簾石(タンザナイト)だな、大内裏から盗んできたんだろう。ぱっと見、狂化を起こすようなもんには見えんが」


「狂化っつーか…なんつーか……荒い」


「荒い、先生その意味は?」


「何から何まで意味を成していない、実際に使ったら何が起こるかわからない。見た目の体裁整えてるけどさぁ、小学生が図工の授業で彫刻刀振り回したようなやつだよ」


「ふむ…私にはなんのこっちゃわからんがお前が言うならそうなんだろ」


右手でそれを受け取ったスズは目の高さまで持ち上げてじっくり眺め、込められた力を出し切って抜け殻となっているのを確認した。もはやこれはただの宝石だが、少しは気も晴れるかと思い、左手の人差し指をつけ、右から左へつーっとなぞる。それを8回、上から下に6回。


「売っぱらって生活費にしなさい」


小毬の手に戻した直後、その宝石は伊和の紋章がわからないよう、宝石商に見せても怪しまれないくらいの大きさに裁断された。それでもひとつひとつが腰を抜かすくらいのカラット数を持つが。


「……過去に同じような人を助けた事ないデスか?」


「んー…人じゃなくて、鬼でいいなら先月……でも…」


「それです!どうやって助けました!?」


「……いや…」


「え……助けたん…デスよね?」


「いや……」


瑞羽大樹の黒曜石の件である。瘴気に当てられたあの大鬼は最終的に満足して、もしくは納得して逝った、その観点から考えるならスズは彼を救ったのかもしれない、しかし正気を取り戻したのは心臓を止めた後、助けてなどは絶対にない。


「スズ、口ごもるのはよくない」


「……」


「私とて模索はした、仏教、キリスト、ヒンドゥー、北欧、ギリシャその他もろもろ、あらゆる観点から奴に正気を戻す方法を探したが結論はこうだ、死者を生者に戻す手段はない」


日依は天狗を死者と表現した、小毬に聞かせるようにして。


「はっきり言え、どうするのが最適だ」


キャスケット帽のつばを引き下げ、顔を隠しながら、また泣きそうな顔になっている小毬から無意識に目を逸らす。

どうやったって言いたくなど無いが、手段も無い。


「これ以上苦しむ前に殺してやるべき」


ので、押し出すようにそれだけ言った。


「もう無理……なんデスか…?」


「……ごめん」


「いえ…わかってました……」


それきり小毬は黙ってしまった、最初と同じ、俯き、うずくまる。


「…………お前は明日の昼までここでじっとしてろ、それまでには終わる」


「いいの?」


「たった今結論が出ただろ、先延ばしにしたぶんだけ奴は長く苦しむ、被害もな」


たっぷり1分沈黙した後、まず日依が声を上げた。それだけ言って、小毬から背を向ける。


「嫌だ……まだ何もしてない…何も返してない…何も……」


「……ふむ…」


賢いから癇癪も何も起こさないのだろう、もう2ヶ月、天狗が人を襲い続ける中小毬自身もあらゆる手を打ち、可能性をひとつひとつ潰していって、これが最後。きっととっくにわかっていた、ただ認められなかっただけで、自分が駄々をこねた分だけ彼の苦しみが長引くという事も。

可能性の最後の穴を塞いだスズには何も言ってこず、震えながら俯き、この近距離ですら微かに聞こえるだけの呟きを発した。それを聞き、日依は背を向けたまま動かない、右手で頭をとんとん叩き。

ニヤけ面をスズに向けた。


「ちょっと先に行け」

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