第32話

斎院の資料室は思っていた程広いものではなかった。4畳半の畳部屋に本棚がみっちり置かれており、そのうち半分に本と巻物が詰められている。残り半分は紙テープだ、細く非常に長い紙に規則的に穴が開けられており、コンピュータにセットし穴を読み込む事で0と1を表現する。本来なら本に書き込むべき情報をこの小さな紙テープのロールに記憶する事ができるのだ、それによりかさばる本は処分し紙テープに置き換えた結果、この資料室の小ささは実現している。

要するに、紙資料を全部スキャナーで取り込んでハードディスクにぶっこみ紙はシュレッダーに投入したのだ、記憶媒体として使用しているのはハードディスクでもフラッシュメモリでもCDでもフロッピーですらなく穴開けた紙だが。


「あった……」


ここにパソコンは無い、紙テープ化されていたら目当ての情報は手に入らなかったが、幸いにしてそれは本に書かれたままだった。太古から脈々と続く天皇の歴史、特に彼らが扱ってきた神秘について。

ページを痛めないよう慎重にめくって術式の構築方法を探す。すぐに見つかった、例の紋、弧を描くように配置された3つの菱形を9つの菱形で囲ったエンブレムも。

一にも二にも防御特化だ、素の威力が破格であるためわざわざ術式でカサ増しする必要も無かったんだろう、普通に考えればとても納得できる選択なのだが今はそれが非常に憎たらしい。


「お前じゃ無理だ」


「っ!?」


不意に後ろから声をかけられ咄嗟に振り返る、資料室の戸は開けられ、青い袴を着た赤い狐が中に入ってきていた。開けっ放しの窓から逃げ出そうと窓枠に手をかけたが、まぁまぁ待て待てと言いながら日依(ひより)は戸を閉める。


「いいか?それはお世辞抜きで世界最高、史上最高の防御力を持つ、あくまで人類限定だが。神道で最高格を持つ狐の中で更に最高格の私が手も足も出んのだ、繰り返し言うがお前じゃ無理だよ、タヌキ」


「うるさいデスね……」


「いや前々から気になってたんだけど面白い喋り方するよな」


「うるさいっつーの!」


しーっ!と前かがみになりながら右手の人差し指を口元で立てる。ニヤニヤ笑う日依を睨み付けぐるぐる唸るも乗って来ず、諦めて溜息をひとつ、持ちっぱなしだった本を突き出した。


「持ってっていいよ、どうせもうすぐ作り直しになる」


それを見て手のひらを見せるようなジェスチャーをする施設責任者。意味深な言い方に眉を寄せつつ、A4サイズの分厚いそれを引き戻し力を込める、ドロンという効果音と煙が出て本は消えた。


「しかしまだ諦めつかんか。こんな事何度も言いたくないが、ここに忍び込めるくらいの技量があるならわかってるだろ、”腐っちまったらもう元には戻らん”」


「……諦めないデス」


「ふむ……好きにしろと言いたい所だがそろそろ被害が積もってきてる、幸い死人は出てないが時間の問題だろう。最悪の結果になるようならいい加減手を出すぞ」


にやけたままながらも僅かに声のトーンが変わる。俯いて沈黙し、そのまま数秒、顔を上げ日依に1歩詰め寄った。


「今ここに皇女サマが来てるはずですよね、どこに行けば会えマスか?」


「あいつか?今はやめとけ、間違いなく機嫌が悪い。そもあいつが出来るのは術式の発動を中断させる事だけだ、お前がどうにかしたいのはもう効果を及ぼし切って……む…?」


廊下が騒がしい、何かトラブルが起きているようだ、伯様伯様と日依を呼ぶ声が聞こえる。戸を少しだけ開けて様子を伺い、閉め直してからこちらに目線を戻す、ニヤけ面は消えていた。


「小毬(こまり)」


「はい」


「仇討ちしただけじゃ駄目か?」


「…………どうでもいいデス」


「そうか……」


再度戸を開け、すり抜けるように体を廊下に出す。頭だけ通せるくらい開けたまま戸の隙間から覗き込んで最後の一言。


「自棄になるなよ、お前はまだ生きてんだ」


戸を完全に閉め、何事かと人が変わったように凛々しい声を出しながら足音が離れていく。

遠くの喧噪を聞きながら窓へと向かい、両手をかけて、少し止まった。


「まだ生きてる……」


本当に疑問に思う。

何故生きているのだと。




















「うう…お母さん……」


「この程度で人は死にませんので、故郷の母を想う必要はありません」


「……お母さん…?」


「アリシアです」


戦闘開始と同時に機関銃の掃射を喰らったのだろう、ゴールデンハインドのゴンドラは風通しが良くなっていた。三笠から降ろした4.7センチ砲を積み込んでおいたのは正解だった、元からあった機関銃と合わせて歩兵部隊を追い払うには十分すぎる火力を備えていたが、乗組員が3名死亡、船長の大霧は負傷した。普通なら死んでいるのだが、ゴンドラの外壁を貫通した際に威力を落とした弾を受けたらしい、体内に弾を残してしまったのはそれはそれで不運だが。

戦闘終了後に運び込まれた医務室の手術台で仰向けに寝る大霧船長の被弾箇所、左腹部に照明を合わせ、麻酔薬の入った注射器を準備、空気抜きした上で針の狙いを定める。


「ああ待って!全身麻酔で…!」


「この程度で?馬鹿ですか?」


「厳しい……」


さっさと麻酔を打ち、効くのを待ってから傷口を切開、ピンセットで6.5ミリ弾をつまみ出した。そしたら後は消毒して縫うだけ、曲がった針の付いた絹糸を操り刺して出してを何度も行う。見る見るうちに傷は塞がり、終了ですとアリシアは糸を切った。


「速い……」


「これをする為に生まれましたから。……確か」


ぽつりと一言呟いている本来なら自分で執刀すべき軍属医師に後を任せ医務室を出る、渋い顔した雪音が待っていて、アリシアの顔を見るなり片手で5、次に両手で9。


「こちらの死者3に対し相手の死体が59?」


「さっきのも合わせると4対65よ、なんだってこんな無意味な攻撃……」


「すべて皇天大樹の兵ですか?」


「ええ、鳳天大樹の制服はひとつもない」


彼らはこの樹とは別の指揮系統を持っている、元々はここの住民を弾圧する為に常駐していた部隊だが、無駄な突撃をさせられた理由はいくつか考えられる。相変わらずスズからの連絡は無い、朝までかかると最初から言っていたので午後8時現在である手前下手な動きも出来ない。

問題はあの九尾が敵か味方かなのだ、ジャミングが斎院から発せられているのは事実だが、それは全周波数を塞ぐ無差別なものだ、ゴールデンハインドはもちろん、皇天大樹部隊の生き残りも増援を要請出来ないし、鳳天大樹の全住民も漏れなく影響を受ける。そしてジャミング以外に彼女を敵と判断できる材料が無いのも事実。


「斎院は静かなままよ、少なくとも姫様が暴れる時の鐘を突いたような音は一度も。でも彼女が聞いた通りの能力を持っているなら押さえつける事は可能ではなくて?私としては今すぐ突入したいのだけれど」


「仮にスズが拘束されていて、救出に成功したとしても、ゴールデンハインドがこの状態では」


機関銃弾を受けたのはゴンドラだけではない、船体にも大量の穴が開き、内部のヘリウム入り袋のいくつかはガス漏れを起こしてしまった。浮力を失った結果、この巨大な飛行船は鉄骨木張りの飛行場に着床している。


「三笠を呼び寄せて……できない…!」


第6艦隊は沖合で待機しているものの電波妨害は継続中だ、無線通信は不可能である。発光信号なら届くだろうが、家屋の照明や街灯など無数の光に紛れてしまう、気付いてくれるかどうか。


「生活光の消える朝まで待ちましょう、スズの指示とも一致します。彼女を敵と認定するのはその後で」


「歯痒いわ…何もできないなんて……」


「スズは無条件に彼女を信用しているように見えました、待つべきです」


「どうしてそんなに信用できるの?」


「理解は私もできないのですが」


ほとんど何も聞かされていない為、理解できないのは当然ながら、

あの時はこう言っていた。


「そういうものらしいです」

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