第28話

「ほら着いた!」


「なんか騙されてる気がするけど……まぁいいわ」


鳳天大樹は瑞羽大樹から南に500km、中枢機能を担う皇天大樹とはほぼ中間に位置する。標高6.7kmと他と比べて少し低いものの、3km地点のあたりで幹がふたつに分かれており、うち片方はほぼ真横に向かって伸びているため直径は12kmある。そもそも人間が住めるほどの酸素濃度がある高度は大体5km、無理をしても6kmが限度なのだ、高さを犠牲に幅を広げている分無駄が無いといえる。上に伸びている方を主幹、横に伸びている方を分幹とし、主幹には役場などの行政施設、分幹には居住地を含めた民間施設が集中している。大樹の中心である主幹部分を政府が占領しているように感じられるが、酸素濃度という点を加味すると分幹の方が一等地である。住み心地のいい場所を民間に明け渡しているのか、はたまた地位の高い者は高い場所に〜のくだりなのか。

ともかく現在の目的地、神祇官じんぎかん達が詰める斎院さいいんは主幹にある。飛行船の繫留塔は分幹に作られていたので、根本まで行ってからエレベーターを使うか、空中に渡されたロープウェイに乗らなければならない。


「いやー、でもなんか……」


あまり活気が無いように見える。


瑞羽大樹のものと比べ半分くらいの面積がある飛行場のすぐ横にある繫留塔から降りて、まず繁華街に入った。そこは飲食店や映画館など娯楽施設が密集しており昼間のうちは常に賑やかでなければならない場所である。ここまで静まり返っている理由は間違いなく白と緑に金色の鹿が描かれたゴールデンハインドの巨体によるものだろうが、ここは繁華街、遊び場だ、外から金を持ってきてくれるよそ者が来たら普通喜ぶだろう。だというのに、店頭に立つ従業員、道を行く若者、そのすべてがこう言いたそうな顔をしている。


面倒事には関わりたく無いと。


「他の所はみんなこうなの?」


「みんな、という程ではありませんが、重要な行政機関が置かれている場所はこうなる傾向が強いですね。皇天大樹からの兵が常駐していますから、下手な事をすれば処断されると思っているのです。思っているというか、実際その通りなのですけれど」


繁華街入口に立ったまま雪音は話す。将官である事を示す階級章は取り払われていたが、背後には私服で誤魔化しつつもサブマシンガンを背負った護衛を2人連れている、私は面倒事ですと看板を立てているようなものだった。


「あの」


「店じまいです!」


同じくライフルを担いだままのアリシアが喫茶店に近付くと、あっという間に暖簾のれんが降りてぴしゃりと扉は閉められる。


「恐怖政治の末期症状ですわね、一度火がついたら止まりませんから、反乱の疑いがかかった者は即時処断です。魔女狩りと同じ状態だと言えばご理解頂けるでしょうか」


「つまり、反乱分子の疑いがかけられた場合、その真偽に関わらず首をはねられるという事ですね」


「アリシア?」


「衝撃を受けました……」


背負っていたライフルを降ろす、武器の携行は禁止されていないが威圧感を与えている最大の元凶である、行く先々でこの反応をされてはたまったものではない。


「その方がいいか。武器は小物だけ、護衛の人らも付いてこなくていいよ」


「しかし長物が無くては万一の時に……」


「何とかなるでしょ、いざとなったらあたしが守るし」


「いやんそんな守るだなんて勿体無きお言葉ぁ♡」


「ああ余計な事言った……」


トリップしたようにデレッデレな声を上げつつアリシアのライフルを護衛に持たせて追い払う雪音。外から見える武器はあとスズのガバメントがあるが、ハンドガンはあまり目立たないので良しとする。住民の態度は変わらなかったが、ひとまず通報される事はないだろう。


「では行きましょう。……あら?」


その中で唯一近寄ってくる人間がいた。

少しウェーブのかかったブラウンの短髪、それに包まれる顔は微笑みを浮かべている。暖かさを感じるセディの笑顔と比べてとても爽やかな印象を与えてくる男性で、薄い茶色地に濃い茶色のラインが縦1本、横2本、右腹部あたりで交差するように入れられたワイシャツと、やはり茶色のネクタイ。黒のスラックスを履き、斜めに革のベルトを巻いている。背の高い、いかにも人畜無害という感じの男はゆっくりと近付いてきた、雪音に向かって。


「……私?」


「はい、少し話を聞かせて頂いてもいいでしょうか」


精密機械で組み立てたかの如く整った顔立ち、いわゆるイケメンに分類される彼は雪音の前で立ち止まり、右手を差し出しながら目を細めて笑う。芸術品のような笑顔を見て雪音は頬を赤らめ目を逸らした。それから少し戸惑い、差し出された手に自分の右手を乗せる。


「レズではなかったのですか」


「色々と勘違いしてやがりますわねクソ人形」


横槍を入れるアリシアにも男はニコリと笑う、当然のように無反応だったが。自然を正面に戻し、左手も添えて雪音の右手を優しく握った。


「瑞羽大樹から来たと聞きました、こちらには観光で?」


「ええ、まぁ、そうです」


世界に5隻は無いだろう240メートル級硬式飛行船で観光とかどんな富豪だよと思ったがそう言うしかないので仕方ない。改めて確認するがイケメンである、非の打ち所が見つからないくらいの。


「実はある噂を耳にしまして、紋様の刻まれた石が災厄をもたらしたと」


言われた瞬間、赤らめていた頬をピクリと震わせる。


「知ってどうするつもりです?」


「次に同じ事が起きた時、備えが無くてはいけないでしょう」


握った手を少し上に、男は一歩前に出て、そうすると雪音の顔は更に慌てた風を強め。


「皆を救いたいだけなのです、いけませんか?」


「ああいえ…別にいけなくは…………あれ…」


そんなしどろもどろな雪音の右肩に別の手が乗せられた。


「ひ…姫様?」


スズは雪音の左側から肩を組むように右手を回し、体重を雪音に預け、顔は白けた表情。なんというか自分の彼女が他の男に口説かれてるのを見つけた彼氏といえば完璧にそれとしか見えない態度である。あんな嫌がっている素振りを見せながらまさか意外と、という感じだったが。

ただ違和感があるとすれば、その左手の人差し指と中指の間に火のついた紙巻きタバコが挟まっている点で。


訳もわからぬ内にスズはふぅと煙を吹き出した。まっすぐ伸びる白い煙はイケメン男の顔に直撃し。


「ぇ……」


ザザ、と画像が乱れるようなノイズが走った直後、ドロン、なんて効果音と煙を上げながらイケメンは消えた。


「……あー…」


何も残さなかった訳ではない、まったく別の人物が残された。


ウェーブのかかったブラウンの髪は肩にかからないくらいの、左耳すぐ上で結んだサイドテールに。

茶色のライン入りシャツとネクタイは裾を出した以外そのまま。

黒のスラックスは太ももの中ほどまでしかないフレアスカートに変化。

身長も156センチのスズより少し大きいくらいまでぐっと縮み、当然ながら性別も女性へ。


そして重要、非常に重要な一点。

頭の上には丸くて小さいブラウンの、タヌキの耳。


「5年は早い」


先程の雪音よろしく顔を赤くしながらぷるぷるする狸少女に捨て台詞を残し、一度しか吸っていないタバコを携帯灰皿に突っ込みつつスズは離れていった。


「あーはいはい……」


「……ふふ」


「はいはいはいはいはいはいはいはい」


「ふふふふふふふふふふふふ」


ガバっと繋がったままだった手が離れる。

そのまま額を押し付け合わんばかりに顔を寄せ。


「よくも騙してくれやがりましたわねぇ!!」


「けーっ!騙される方が悪いんデスよ!!」


そして始まるメンチ合戦。なんかすごい見たことあるこの光景、アリシアが一仕事終えてすっきりしているスズに歩み寄り一言。


「漏れなく仲が悪いのですね」


「当然」


ああなると止まんないからしばらくほっとこうね、とスズは言った、ぎゃあぎゃあ言い合う2人は確かに周りが見えなくなっている。

が、そう長くは続かなかった。


「…………」


「どした?」


まずアリシアがちらりと歓楽街の奥の方を見る、そう間も置かず喧騒は収まって、代わりに聞こえてきたのはボソボソと耳打ちするような小声と、それから突き刺さるような視線の束。


「っ…!」


「あっ…ちょっと!?」


再びドロンと音が鳴ったかと思うと、狸の少女は今度こそ消えた。スズはどこに行ったかわかっている風だったが邪魔せず見送り、アリシアと同じ方向を見てふむと相槌。


「どうしたんでしょう、まさか本当に生娘だったのかしら」


「なんて会話してんのかね」


本当に訳がわかっていない雪音は置いといて、店の中、物陰からこちらを覗き見る住民達を一瞥する。しばらく観察し返した後、すべて聞こえていただろうアリシアに質問する。


「どんな?」


「そうですね、今見えているすべての方が様々な事を言いましたが、重複率が高かったのは”まだ生きている”と”早く死ね”です」


「……こりゃ何かあるな」


最後にもう一度、睨み付けるように彼らを見る。住民は覗きをやめ無視に移った、関わり合いはごめんだとばかりに。


「とにかく用事を済ませよう、あのたぬきはその後だ」

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