第26話

準備は整った。


港の沖合には戦艦が投錨停泊している。全長131.7メートル、全幅23.2メートル、常備排水量15140トン、30.5センチ砲連装2基、敷島型戦艦4番艦三笠である。1番艦敷島と比べると煙突が1本少なく2本煙突、また副砲配置と魚雷発射管に差異があり、サイズも僅かながら違うようである。このため改敷島型、または3番艦の名前から朝日型と呼ばれる事もある。更に末妹の三笠だけは装甲材にクルップ鋼という上質な鉄鋼を採用しており防御力を向上させている。かつては第1艦隊、皇天大樹海軍総旗艦を務め、名実共に世界最強の軍艦だった。しかしそれは10年以上前の話だ、今では第6艦隊という警備部隊に追いやられ、戦力的には2軍どころか3軍に迫る扱い。あらゆる性能で三笠を凌駕する金剛型巡洋戦艦に続き、既に35.6センチ砲搭載戦艦4隻、もっと巨大な40.6センチ砲を持つ艦すら就役を終えている。海防艦に艦種変更するか、武装を取っ払って標的艦にするか、除籍解体するかどれがいいだろう、なんて議論がされる程の旧式艦だ、過去の栄光など見る影もない。

だがそれは先月までの話、三笠のスコアボードには久しぶりに戦艦1隻撃沈の戦果が刻まれ、諸々の都合上その事実は隠匿されているもののその噂は漏れ伝わり、超弩級戦艦を(体当たりで)沈めた前弩級戦艦として再び世界中から注目を浴びつつある。その際援護攻撃として若干、いや非常にズルくさい強烈な一撃が見舞われてはいたがそれは言わぬが花であろう。しかしまぁおかげで整備に必要な乾ドックを簡単に確保する事ができた、記念撮影を何百とこなし、艦長に関してはサインすら書いていたが。

整備と同時にライトグレーの塗料を塗り直され、外観だけは新品同様となった三笠は艦尾に緑色のラインが複数加えられている。皇天大樹海軍から離反した事を示すための塗装だったが、どうせなら少しくらいは意味のあるカラーリングにしようとなったので、主砲塔を含めて船体の後ろ半分、艦尾から中央までをぐるりと囲むように左へ傾く斜めの縞模様を描き、ダズル迷彩と呼ばれる形態を取っていた。その塗装方式は別名を幻惑迷彩とも言い、対象を背景に溶け込ませる通常の迷彩と違って、相手を混乱させ距離やサイズをわかりにくくさせるためのものだ、うずまき模様を見ていると頭がぐるぐるしてくるが、要はそれと同じ目の錯覚を利用している。三笠だけでなく、飛行船母艦秋津洲あきつしまを含めた全艦が同じ塗装。

まさか1ヶ月足らずで整備し終えるとは思っていなかった、それだけ乾ドックを貸してくれる大樹が多かったのである。


準備は整った、今こそ出立の時。


「さあ行こう!」


コンクリート製の埠頭の先端に立つスズはビシリとそれを指差した、自身の服装、緑に黄色のアクセントを入れたパーカージャージ、及びキャスケット帽と同じ緑色の艦、戦艦三笠を。

この腐った世界を正常に戻すために。


が、その三笠を指差した左腕は、横から現れた別の手によって掴まれた。


白い袖から白い肌が覗く腕だ。それはスズの腕を掴んだ後、力を加えて指先を右へと移動させる。

その先には飛行船母艦秋津洲、更にはその艦尾の鉄塔に接続された飛行船があった。円錐というか楕円というか、ラグビーボールみたいな形をした船体には最後方に大型のメインエンジン1基、左右を取り巻くように補助エンジン6基。船体の下には艦艇の艦橋に相当する機能を持ったゴンドラが貼り付き、その背後に大型のハッチ。確認したところこのハッチは偵察機の離発着機構、これは飛行機を内部に搭載する飛行船なのである。全長240メートル、直径40メートル、三笠より遥かに巨大ながら重量は僅か100トン、偵察機4機を搭載し、150km/hで飛行できる。船尾には艦艇と同じく緑色のライン、皇天大樹のエンブレムは塗り潰され、代わりに描かれたのは金色の体を持つ雌鹿の横顔。


「あっちです」


「…………」


スズの腕を掴むアリシアは言う。白いケープレットの付いた白いコート、白い腰まで伸びる長髪の上には白いベレー帽。その普段なら何から何まで真っ白い少女は現在茶色い木製ストックのボルトアクションライフルを背負っていた。ただの女の子ではなく戦闘プログラムをプリセットされたロボットであり、彼女にタイマンで勝利できる兵士はおそらくこの時代にはいない。


「………………」


「あっちです」


指先を三笠に戻そうとするスズの腕をぴたりと固定し飛行船に向けさせ続ける。

もう何度も見ているのだ、彼女が空を飛ぶという行為に過剰な恐怖を抱く事は知っている、だろうに。


「なんで!?あんな立派な船があんだから船で行きゃいいじゃん!」


「隣の樹に行くだけでどれだけかかると思っているのですか」


指差しをやめアリシアに向き直って駄々をこねるスズを諭すようにそう返答、いつも通りの無表情でちらりと三笠に視線を移し。


「あんな20ノット(37km/h)も出ないようなポンコツ……」


「わが国最大の武勲艦に対してポンコツとは何だ!東郷閣下に謝れ!!」


そのスズの背後では迎えの内火艇エンジンボートが埠頭に接舷しようと近付いてきている、無論三笠ではなく秋津洲のものだ。屋根付きの操縦室より前方の船首部分、胸元から上が無い妙な藍染めの着物と、半脱ぎにして肩を露出させるスタイルの妙にゆとりがある黒い羽織を着た、やたらめったら長いブルーの髪を首より下のあたりで結んだ狐の女性がぶんぶん手を振っているがスズは気付かない、例え気付いたとしても反応しないだろうが。


「だいたいアレどうやって浮いてんのよ!でかい風船とでも言うつもり!?」


「はい、でかい風船で表現は合っています」


「か……ぐ…!」


「固定翼機よりは理解しやすいでしょう」


大樹主幹にあるエレベーターの方向からも2人、修道服姿の老婆と防衛隊制服の無精髭男が歩いてくる。内火艇は埠頭に辿り着き、杭にロープを引っ掛けてさらに接近。

それが終わる前に青の狐は飛び降りた。160センチほどある自身の身長と同じくらいある髪をたなびかせコンクリート上へ着地、一目散に走り出す。


「ヘリウムガスで恒常的に浮力を得ている分、固定翼機と比べて安定しています。嵐は避けなければなりませんが、恐怖を感じる事は無いでしょう」


「いやでもさ!風船でしょ!?もし穴でも開いたら……」


「姫様ぁーー!!」


甘っ甘なデレ声を響かせつつがばりと体当たりするように青は緑へ抱きついた。キャスケット帽が吹っ飛び、赤茶色のボブカットから伸びる狐耳が露わになる。


「お久しゅうございます姫様!といってもまだ3日ですけれど!雪音ゆきねは一日千秋の思いで現場指揮を取っておりましたぁ!」


幸せそうな顔で抱きついたままぐいぐい来る雪音が現れた瞬間にスズは感情を失ったかの如く白けた顔になってしまったが、それを厭わず雪音は続ける。


「お体はご無事ですか!?折れ癖が付くと厄介です故ご注意下さい!飛ぶのが怖い?大丈夫です!元々は鹵獲品ですがだからこそ…つーと苛立たしいですけど、東洋に存在するどの飛行船よりも高性能です!それに雪音も同乗しますからどうぞお頼り下さい!飛んでる最中はずっと側におりますし何ならそそそ添い添い寝も……」


「黙れ……」


「あぁーんそれそれそれですぅ!ゾクゾクしますわ!もっと言って下さいまし!」


「どっか行け!!」


顔を掴んで引き剥がす、それすら嬉しそうに投げ飛ばされる。なんかもう色々酷いが、もっとラフな感じで頼むよーとスズ自身が言った結果こうなったのだ。自業自得ではあるのだが、まさか異常性癖の持ち主だと誰が予想できただろうか。ひとたび艦橋に立って戦闘が始めれば人が変わったようになるのだが。


「おーやってるやってる」


「居酒屋みたいに言うな!」


蜉蝣かげろうは埠頭に到着してすぐ言い、セディは相変わらず微笑んでいる。蜉蝣の右手にはハンドガンが握られていた。ダークグレーのボディに白のグリップパネル、スズが使っていたものと同じM1911だがカスタマイズが施されているように見える。


「あなたも行くのねアカシアちゃん、寂しくなるわ」


「アリシアです、殴りますよ」


「あらぁ、あなたに殴られたら私死んじゃうわ。牧師が撲死…うふふふふふふ!」


「…………」


とかなんとかやってる間に蜉蝣はスズの前まで行きそのハンドガンを差し出した。前回で紛失した武器の補填である、瑞羽大樹に刀鍛冶はいなかったので、最低限銃だけでもといったところ。受け取って、調子を確認するようにスライドを前後させる。


官給相当ガバメントモデルだ、大事にしろよ」


「ん、まぁ貰っとくわ」


ウエスタンベルトの左側に付くホルスターにそれは差し込まれ、落ちたキャスケット帽も拾い上げた。頭にそれを戻しつつ、で、とスズは雪音に視線を向け。


「三笠の乗り心地は?」


「それはもう最高です!まったく揺れませんし力強いし台風すら突っ切れますわ!」


「だったらあたしがそっち乗ってもいいよね」


「姫様、それはそれ、これはこれです」


「急に冷静になるなや」


「いやだってまぁ……遅いし?」


結局そこか、と深く溜息。最大速度33.3km/h、民間の貨客船と比べればさすがに優速だが彼女は軍艦、有利な射撃位置を取るためには速度は最も重要なポイントであり、民間船と比較されてる時点で終わっている。のんびりゆっくり航行して戦地に向かって、到着した頃には戦闘終わってましたー、とか情けなさすぎるだろう。水上艦同士で比べてもそうなのだ、空を飛ぶ飛行船なんかとは比べるのもおこがましい。

どうにかならんのか、と雪音に向けていた目をアリシアへ。


「なんか改造する計画あったよね、あれどうなったの?」


「機関をガスタービン、推力装置を偏向ノズル付きウォータージェットに改め、艦橋を塔型にしてレーダー装備、艦前後に1基ずつ戦術レーザータレットを設置した上で全搭載砲をロケットアシスト化するプランですか?」


「そうそれ、駄目なの?」


「ああ姫様、その提案は大変ありがたいのですけれど、そんなビックリドッキリメカを三笠とは呼びたくないので却下させて頂きました。敷島と合体させて双胴戦艦とかほざいた方がまだマシですわ」


「?」


「中央に飛行甲板を走らせて戦艦空母って名付けるんじゃねえの?」


「それも魅力的ですけれど……」


「うぉーい、あたしにもわかるように話しとくれー」


雪音と蜉蝣の会話に対し、わかる必要はありませんと言いながらアリシアは三笠を見る。敷島をパーツ取りに使った事で水線上は完全修復されていたが、どうせ使わないだろうと艦底部の魚雷発射管は修理されていない。追い付けないんじゃ意味がないし、水中発射である都合上、速度が上がると発射できなくなる。


「対空砲架に乗せた7.92ミリ機銃をうちから提供させて貰った、ミリタリーマスト上の4.7センチを取っ払う事になったが。装備面じゃそれだけだな、8.8センチ高射砲は積載スペースが取れなかった」


「それだけ?」


「期間が1ヶ月しか取れなかったからな。折れた肋骨が2週間で元通りになるなんて戯言が現実のものとならなけりゃもう少し手を加えられたんだが」


元々、砲を積める場所にはありったけ積んだ艦だったのだ、7.6センチ砲を撤去して甲板をくり抜き、くらいの工事をしないと何も追加できない。治っちゃったもんは仕方ないじゃんと言うスズは置いといて、それ以外の改修点はと蜉蝣は雪音に尋ね。


「魚雷発射管があった場所に檜風呂ひのきぶろを設置しました」


「え……うん?」


「いやけっこう切実だったんですよ、乗組員の男女比率知ってます?」



それはそうだろうが。



「ではシスター、そろそろ出発します。用件が済み次第、一度戻りますので」


「ええ、待っているわ」


セディに告げ、一礼してから雪音は内火艇へ出発準備のサインを出した。それからは事前に申し合わせた通り、雪音がスズを羽交い締めにし、アリシアが足を持ち上げる。

有無を言わさずそのまま連行。


「えっ!?ちょっと待っ…!メーデー!メーーデーー!!」

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