第24話
「痛い!痛いて!」
「折れたまま動き回るからです、肺に突き刺さる可能性もあったのですよ」
慣れた手付きでアリシアは椅子に座るスズの胸部に拘束帯を巻いていく、家事をこなしたり妙な爆弾を作ったり色々とやっていたが、やはり本業は医者のようだった。折れた肋骨は左側の下から3本、全身打撲と合わせて身体中に湿布を貼り安静にするべし、とのご判断である。帯を巻き終え、まくり上げていたパーカージャージを元に戻した。
ここは滑走路の傍、防衛隊本部施設の一室だ、窓の外を見るとすっかり日が落ち、空では星が輝いている。今日1日の大騒ぎによって受けた被害を整理すると、まずスズの負傷、アリシア診断では全治2ヶ月、もっとも本人は2週間で治ると言い張っているが。民間人に被害は及ばなかったが、大混乱の末に崩落した階段により約200人が死傷。それ以外にも大樹の至る所で事故が起き、正確な数字はまだ出ていない。おかげで防衛隊は大忙しだ、使用した爆撃機の片付けもせず救難活動、及び治安維持に総動員され、一握りの人間が司令部に集まっているのを除いて本部は閑散としてしまっていた。おそらく今夜は徹夜、休日もしばらくキャンセルだろう。
そして第6艦隊。艦隊旗艦である三笠が小破、出力上限を超えて回し続けた事による機関部の焼き付きは心配していた程ではなかったが、海坊主から体当たりを受けた際にすべての魚雷発射管を損傷、副砲1門がお陀仏となっている。奇跡的ながらそれ以外には15.2センチ砲弾を1発受けたのみだ、甲板に穴が開き、7.6センチ砲2門を喪失。
三笠の僚艦、敷島型戦艦1番艦である敷島は35.6センチ砲弾を受け大破した。後部区画は軒並み潰され、その下にあったレシプロ蒸気機関も修理不可能なほど損害を受けている。現在は瑞羽大樹の北で着底していて、これから船体の穴を塞ぎ浮揚、あの巨体を収容できるドッグを持つ場所まで回航、という形になるだろう。修理するのか解体するのかは決めかねているようだが。
それ以外の生存艦に目立った被害はない、引いて足されて、戦艦1、装甲巡洋艦1、軽巡洋艦1、駆逐艦15が健在である。
「……夕飯は?」
「お喜びください、砲弾や爆雷が大量に海中投下されたおかげで港付近の海面は魚で埋め尽くされています、取り放題です。放射線は……まぁ問題ないでしょう」
余った湿布を片付けながらアリシアは言う。それはいわゆるダイナマイト漁というものだ、爆発の衝撃波で気絶した魚を広い集めるだけの漁法で、極めて短時間の内に大量の漁獲が見込める代わりに周囲の生態系がめちゃくちゃになるという割とどうしようもないやつである。これで喜ぶのは無知な人間だけだ、恵比寿さん泣いてんだろうなーとスズが一言。
「……む」
胸部を縛られている違和感に苛まれながら、椅子に座ったまま両足をぶらぶらさせつつ窓の向こうの星空を眺めていたが、廊下を歩いてくる足音に気付き、首だけを回してドアを見た。間も無くドアノブが回り、てんてこ舞いから戻ってきたばかりなのか防衛隊の制服をやや乱した蜉蝣と、いつも通りの修道服で顔に笑顔を浮かべるセディが部屋に入ってくる。窓に向いて座るスズの右横、木製の長机を挟んで蜉蝣が座り、セディは部屋の隅、少し離れた場所にあった椅子へ。薬箱を棚にしまったアリシアはスズの背後に立った。
「…………確認する」
いつに無く真剣な面持ちの蜉蝣に対し、うん、と、視線を窓の外に戻しながらスズは頷く。
「
「そう」
特に表情を変える事もなく、星を眺めたまま答えた。対し蜉蝣も顔をしかめたもののそれ以上の反応はせず、そして態度も変えず続ける。
「およそ8年前の政変の際に公の場から姿を消し、以後行方不明。内裏に匿われているとされていたが、抜け出し、ここで身分を隠して生活していた。」
「そう」
「理由は、殺し合いにまで発展した政争に耐えられなくなったから。もう皇天大樹に関わるつもりは無かったが、まずあの青い狐の子、物見 雪音少将に気付かれ、その後は俺も知っている通り」
「そう」
同じように肯定し、それで確認は終わる。アリシアは無表情、セディは笑顔のまま。僅かに沈黙した後、蜉蝣がふうと息をつく。
「それでお前はどうしたい?」
結局、彼らが知りたいのはそれだけだった。
スズが一声かけるだけで世界は変わり出す、確実に。皇女という肩書きにはそれだけの力があり、民心はそれだけ離れ切っている。
「……
「あなたの為に命をかける準備があると」
またご大層な、アリシアの返答に今度はスズが息を吐く。
「無関係を貫きたい、って訳にもいかないよねぇ」
そう言ってスズは立ち上がった。身体中の傷が痛んでよろめき、すぐにアリシアが支える。そうしてから、仕方ないと呟いてキャスケット帽を取る。
甲高い音が鳴り、ジャージ素材のパーカーとショートパンツは緑の着物へと入れ替わった。装飾品を含めて汚れは消えていたが、右腰の鞘に中身は無い。4本の尻尾を揺らし、カツカツと下駄を鳴らして机を回る。
「えっ…何それどうやったの?仕掛けは?」
「真面目な所だ茶化すな」
手品か何かを見たような顔をする蜉蝣の横を通り過ぎ、部屋の隅で座ったままのセディの前へ。
この樹の最高責任者は微笑んだまま、教育で叩き込まれたように滑らかな動きで跪く緑の狐を見つめ。
「……私は、アレを止めなけれはならない。一度退いた身ながら、アレがこれ以上の災厄を振り撒くというのなら、血を継ぐ者として世を正す義務がある。しかし一人では成せない、何も変えられない、だから……」
頭を下げながら皇女は言う。
「どうか、力を貸して欲しい」
数秒の沈黙、頭を上げると牧師はやはり微笑んだままだった。目を細め、しわくちゃの両手を胸の前で合わせると。
「とりあえず、あの飛行船は名前を変える必要があるわね」
最初に、そう返した。
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