私の話。

AceMasax

私の話。

 さて、どうでもいい話であるが、私はいじめられている。

 机の中のノートをぐちゃぐちゃにされたり、「死ね」「消えろ」などの悪意の単語のオンパレードが行列を成して私の前に佇んでいる。

 私がいない事にされたり、仲間外れになったり、一人ぼっちでお弁当を平らげる。一日何も喋らない。

 それらは当たり前の事になった。ディズニーランドでエレクトリカルパレードをやるくらい当たり前になった。クソみたいな政治家が悪行を隠蔽するくらいの当然の事だ。

 だんだんエスカレートしていくと、今度は直接的なものに変わっていった。

 すれ違う度に殴られる、蹴られる、叩かれる。痣が出来るのは日常になった。しばらくすると痛みにも慣れた。生理痛に比べれば、軽いもんであるし、血も見慣れている。

 そういえば男性は子供を産めないらしい。出産時の痛みに耐えられないからだそうだ。故に女性にしか、そういう機能はついていない。出産時の痛みというのは、形容するなら鼻から握り拳を出すくらいの痛みらしいが――


 ――話がずれた。戻す事にしよう。


 そうやって暴力的なものにも慣れてきたし、依然として無視とかされたり、虫とか言われたり、それ以下だと罵られたりした。おそらくこの時の私は生態系では一番下だったのでは無いだろうか。

 せっかくのお弁当にゴキブリが入れられた時はひどく感心したものだ。その弁当は止むなくゴミ箱行きになったのだが(せっかくのリクエストではあるが私には虫を食べる習慣は無い。しかし、カブトムシの幼虫くらいなら食べられるかも)、私には到底素手でゴキブリを触ったり、何らかの道具で捕まえたりする事は不可能である。仮にそいつが死んでいてもだ。その辺りは実行者を褒めてやりたい。私よりはマシかもしれないが、その子もいじめられているかもしれないから。

 私達が大きくなるにつれて、暴力の頻度が厳しくなってきた。気を失う時もしばしばあった。素手で殴ってくるのならその手に人の血が通っている事を証明してくれるけども、椅子とかは正直厳しい。広辞苑辺りで殴ってくれたら賢くなれそうな気がするのは私だけでいい。角は勘弁していただきたい。

 そんな人生の苦難を耐え続けている私のクラスメイトはどうかと言えば、どうとも言えない。

 私を助けようとすればいじめられるのだし、傍観するのも致し方無し。加わらない勇気を持っているだけありがたい、と思っている。加わる奴は論外だ。周りに流されるのなら、濁流に流されて死ね。


 そうそう。実はこのことを親には相談していない。なんか住宅ローンとかいう社畜養成ギブスのようなもののおかげで私が中学校に上がるくらいから両親はダブル社畜になり果てて儚きローンウルフになっていた。だから相談していない、というよりも相談できない、が正しい。うん、どうせ会えても深夜なんだし、あちらもぐったりしているので私のことで心配をかけたくなかったのだ。

 それでも私は大人に頼ろうと教師には相談した事がある。しかしそれは愚策だった。逆効果だった。いじめがエスカレートしたのである。勿論、勇気ある教師達(一部である)は身を張って私を助けてくれたのだが、いじめっ子の中の一人の親がPTAとかいう怪しげな大人組織に顔が利いたり偉い人だったりして、結局次の年に何処かの離島か田舎の学校に赴任させられた。もう一人は精神病を患い退職に追い込まれてしまった。申し訳ない。その勇気ある行動を私は讃えてやりたい。私からは何も出ないが。

 私は一連の騒動のこの時、PTAなる悪の組織が教職員組合より強いのでは無いか、という疑問を抱いた。PTAというのは「Perfect Teacher Avengers」の略だと私の中で結論づけた。

 なお、彼らもいじめっ子と同じ存在である。それらの背中を見て私にオラオラしているのであれば妙に納得だ。


 ちなみに私がいじめの中で一番許せないのは、他人を巻き込むやり方である。

大人しい男の子がいて、その子はいじめられないまでも、時折からかわれたりするような感じの子だった。私は草食系として、軽いシンパシーを抱いていた。恋愛に関する事では無かった事をここに誓おう。

 ある日、私はその子の名前で書かれたラブレターを頂いた。開いてみると、放課後で校舎裏で待っているから来て欲しい、というネットで転がっているかのようなテンプレラブレターであった。何か裏があると読んでいたにしても、もし本当であれば失礼極まりないと思った私は大人しく放課後に校舎の裏に行った。その男の子はもじもじしていた。

 しかし、彼は私の顔を見て、いきなり「ごめんなさい」とのたまったのだ。意味が分からず、その意味を問い質すと、ある手紙を見せられた。私の名前で書かれたその男の子宛のラブレターだったのである。後ろを振り返り、じっと観察すると、小さな笑い声が聞こえた。要するに、私達で遊んだのである。

 かなり許せなかったが、鍛え上げられた悟りの境地で私は彼に事情を説明した。彼は「大変だね」とは言ってくれたものの、これからいじめられる可能性があるのは私として忍びなかった。出来ればこの一件だけで済まして欲しい、とこの時は心より願ったものである。彼はあくまで被害者(いや、正確には私もなのだが)なのである。

 この時辺りから、いじめっ子達はオリンピック競技・罵詈雑言の金メダルにチャレンジしているのでは無いかと錯覚するようになって来た。

 人権侵害を受けるプロである私の心を癒してくれる王子様なんて勿論いない。白馬に乗った王子様なんて存在しない。白馬で滑るスキーヤーならいくらでもいるのだが、当然、彼らも私をいじめのサークルから出してくれるわけが無い。


 ところで私は女である。

 皆は気付いているだろうか。いじめの発展系は虐待である。いや、いじめ自体「虐待」という言葉に置き換えた方が良いんじゃないかと思うように私はなって来ている。せっかくなのでルビを振っておこう。「虐待いじめ」と。

 私はそんな虐待を繰り返し受けた。暴力的な虐待、精神的な虐待。そして、私達が大人として成長するに従って同時に増えたのが、性的な虐待である。

 スカートめくりは小学生の特権であるから許すとしても、無理矢理にキスをさせられたり(人間相手ならまだマシ)、唐突に胸を揉まれたり(人並みにはあったので)、大人の経験をさせられたりした。これは完全訴訟レベルである。子供の遊びなどからは程遠く、また許されるものでも無い。

 社会に出た後に同じことをすれば完全に犯罪なのに、どうして学校という檻の中ではたかだか「いじめ」だという三文字に収められるのか不思議でならない。学校はあれか、聖域と書いてサンクチュアリとかルビ振っちゃうアレなのか?

 

 ここまで長々と書き連ねて来たが、私はそのようにいじめられている。その事で不平不満が無いわけではないが、これまでの経験で得た諦観、あるいは悟りがあって、生きてこられた。つまりは人間不平等なのである。

 先程も書いたが、私が一番嫌なのは私以外の他人を巻き込んでいじめられる事だ。いじめられる平等など、必要無いのだ。そしてあってはならない。

 だから、私は他人を巻き込んでいじめられたくない。それがまだ赤の他人であれば、いくらでも回避する方法はあるし、いじめっ子達も私に集中していじめているから、他の子がいじめられずに済んでいるのだ。そう思えるからこそ、いじめられてきた甲斐もあるし(少し変だが)、他の子の邪魔にはならないようにしてきた。

 だが、赤の他人じゃない場合は別だ。もし、血の繋がった人も巻き込まれるとしたらどう回避すればいいのだろう。

 私がいじめられる勝手で、その人に迷惑をかけるのは申し訳が無いと思うが、今、私が抱えている問題はそれを超越している。私自身には既にもうどうしようも無い場所まで来てしまっているのだ。


 さて、長い間読んでくれてありがとう、と私は言いたい。私の取り留めの無い軽い愚痴を聞いてくれてどうもありがとう、と叫んでやりたい。出来れば、両親や親族、友人(いれば)から「おめでとう」と言われながら拍手喝采を浴びたかったが、そんな都合の良いエンディングは存在しない。私はアニメの主人公じゃないからだ。


 もう一度言おう。――私は私以外を巻き込まない。たとえ、それが私以外の親しい命を奪う事になったとしても。



『今朝方入りました、悲しいニュースです。どうしてこんな事になってしまったのでしょうか?

 昨日の夕方、××県の○○高校の屋上から、この学校に通う――――さん(18)が落ちて救急車で搬送され、本日未明に死亡が確認されました。

 警察ではいじめを苦にした自殺と見られており――』


『では、次のニュースです』

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私の話。 AceMasax @masayuki_asahara

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