scene2:ミュージック・スタート act1

side:日下部光輝


「まずは……とりあえず、昨日は楽日お疲れ様でしたー!!」

 わあっ、と全員から歓声と拍手が上がった。

 あれから一週間。特に目立ったアクシデントもなく、夢幻座は昨日、とうとう8月公演・『硝子の剣にくちづけを』を無事に完走した。

 随分と長い一週間だった。最初の方なんかは何を手伝えばいいのか分からず、ほとんど何もできなかった。しかし流石に何日も同じ作業を繰り返すのだ。最後のほうになると俺もようやくやることが分かってきて、少しは役に立てるようになったんじゃないかと思う。途中参加の俺でもこれだけの達成感があるんだから、先輩達はなおさらだろう。

 公演中使っていた楽屋はもう撤収が済んだので、今日俺達が集まっているのは別の場所である。なんだかんだで俺は初めて来たのだが、ここが普段夢幻座が使っている稽古場らしい。

 面積のわりに広々として見えるのは、前面いっぱいに貼られた鏡のせいだろうか。オレンジがかった明るいライトの下、ライトベージュの木目張りの床と壁に包まれ、嬉しそうな皆さんの顔がよく見える。

「えーっと。 んで、終わったあとで早速だけど、恒例の今後の予定確認するぞー」

 今日は座長さんもちゃんと起きている。独特の緩いテンポの喋り方と眠たげな眼は、どうやら元々のものらしい。全員に行き渡らせた予定表を彼自身も使い、胸ポケットから髪色と同じ銀のペンを取り出して、キャップをつけたまま文字を指し示していく。

「お前ら知っての通りだろーけど。8月のが終わったから、次は1月末のミュージカルまで特に公演は無し。ちょっと間が空くんで、嬢ちゃんの台本と曲の擦り合わせが終わるまでは、基本来れる奴がフリーで練習って感じになりまーす。プロ組はこの時期、客演が多くなるからたまに抜けるしな」

 『嬢ちゃん』というのは、夢幻座の脚本家さんのことだ。座長さんが親しみをこめてそう呼んでいるんだと、前に破鏡が言っていた。実の妹である彼女によると、生まれつき足が悪いせいか出不精で、おまけに書く作品のわりにかなりの気難し屋なので、座長さん以外の団員とは一度も会ったことがないらしい。

「おれは基本ヒマしてるけど、歌となるともっと手伝えること無いしなー。 ああ、踊りの方は今年も未麗に頼むことにするわ」

 皆の視線を受けた立羽さん――例のサリティーダ役にして、徒花のお兄さんの彼女だという立羽未麗さんだ――が、「任せてちょうだい!」と元気よく胸を叩いた。

「今日からのお稽古は、発声前の柔軟のほかに、エチュード後に軽くダンスレッスンの時間を増やしてくわよぉ。みんな1年ぶりで体なまってるでしょ? ダンスはいきなりやるとすぐついてけなくなるから、しっかり温めてね!」

 元々バレエダンサーだった立羽さんは、徒花のお兄さんと出会ったのち紆余曲折を経て、俺以前では一番最近夢幻座に入団したんだそうだ。相変わらずなんというか、露出が多くて目のやり場に困るが、流石こういう場面では頼もしい。全員、しっかりと返事をした。


「さぁーて、それから」

 ぽん、と脈絡なく背中を叩かれる。慌ててつんのめりそうになるのを、なんとか堪えきった。予告されていたのに、やっぱり緊張してしまう。

「ま、これもみんな見てたっぽいから分かってるとは思うんだけどな? 改まってっつーか。

光輝…… こいつが、これから新しく我らが夢幻座に入ってくれることになりましたっ! はい、はくしゅー」

 ぱちぱちぱち、と温かい拍手が稽古場にこだました。

 俺に向けられているのは、もう最初に会ったときのような不審そうな眼差しではない。公演期間中はしっかり顔を見ることができなかったスタッフの人達や、出演していなかった役者さんたち、積極的に親しくしてくれた人のほか、あの副座長さんまで。勿論お兄さんと徒花も、嬉しそうに拍手を送ってくれている。

 ――温かい。

じんわりと体に芯から満ちてくるような。こそばゆくて、身をよじって今すぐ逃げたくなりそうな、俺には不似合いなくらいの温かさ。

 生まれて初めてだった。……どうしよう。何だか胸がいっぱいになって、ちょっと。ちょっと――

「おい、どうした新入り。自己紹介するんじゃねえのか」

「はっ!? あ、す、すみません! えっと、その……」

 ついにまた副座長さんにせっつかれてしまった。いや、本当にどうしよう。この人未だに怖くて、睨まれるとそれまで考えてたこと忘れるんだって!


「く……日下部光輝ですッ! どうぞよろしくお願いし」

「さっぷらぁーーーーーーーいず!!」


 と、その瞬間けたたましい音を立てて稽古場のドアが開いた。

「えそらちゃん!? 今までどこに行ってたの?」

「えっへへー、みっきーだけじゃ終わらないよお? 夢幻座演出部兼・音響スタッフ兼、自称スゴ腕スカウトマンの破鏡えそらちゃんが、さらなるサプライズを連れて帰ってきたのだっ!」

 心配する徒花をよそに、斜め上を行くわけのわからない解答をする破鏡。というか、自称って自分で言っちゃうのか。けど夢幻座のみなさんはこんなの慣れているらしく、徒花のお兄さんも意に介した様子なく口を開いた。

「『だけじゃない』ってことは… もしかして、光輝くん以外にも新入団員が居るってことなのか!?」

「にゃるほど…そういや、こないだわたしがネットに載せたピアニスト募集が一件釣れたって言ってたよね。もしかしてその子?」

 水走さんの質問に不敵な笑みで返した破鏡は、そのままくるりと後ろを向き、手でメガホンを作る。

 そして、


「見て驚かないでね―― 《二人とも》! 入って入ってー!」


 入ってきたのは女性。と言っても、見たところ俺よりほんの少し年上程度の人が、二人。

「こんにちわぁ~。うわあ、結構居るやん」

 先に入ってきた方の人は、緊張したふうの面持ちに似合わず呑気な関西訛りで第一声を上げた。背を屈めていそいそと靴を脱ぎながら、彼女はきょろきょろと稽古場や団員たちを見回した。

 水走さんと比べても同じくらい長身に見えるのは、団子状に結い上げた髪のせいだろう。ポップ系の服装と子供のようなどんぐり眼。なるほど破鏡と相性が良さそうだ。

「……」

 もう一人の人は。

 入ってきてしばらく経ったが、前者と対照的に一言も言葉を発しない。唇を引き結んだまま、つまらなさそうにこちら一帯を一瞥。申し訳程度の会釈から顔を上げると、一部だけ長く伸ばした前髪の隙間から、射るような鋭い眼光がかすかに見えた。正直、苦手なタイプかも。

 オレンジがかった奇抜な色の髪は染色したのだろうか。眼だけがぎらぎらと燃えているものの、色白というより青白い肌にそばかすが散っていて、なんとなく不健康そうだ。ボロボロのギターケースを抑える手も、歳にしてはかなり荒れていて無骨だった。

「二人も!? すっげ、えそら大収穫じゃん!」

「えっへん! ほらほら、のんのんとウタコちゃんはみっきーの隣に並んで。自己紹介の続きだよっ!」

 つくづくなんて強引な奴だ。夢幻座に来てから、何か起こるなら破鏡が発端でなかったためしがない。とにかく自己紹介は、皆さんの関心的に後から来た二人からになった。まずお団子髪の人がちょこちょこと前へ出る。

「ウチからやんな? えーっと、ども、ピアニスト志望で来ました雪町ゆきまち歌音かのんですぅ。あ、19ですぅ。

見てのとおり……あ、聞いてのとおり?の大阪出身で、今こっちの音大に通うてます。アパート借りてるけど、一人暮らしもアレなんで、ちょっと前からこっちの子ぉと一緒に住んでんねんな。あ、あのな、ウチこんなんやけどな、一応プロになりに来てるからピアノの腕は折り紙つきやねんで。なんや長なったけど、よろしくお願いしますー」

 ぱらぱら響く拍手の中、立羽さんの表情が際立って輝いている。そういえば立羽さんも実家はこのへんじゃなかったんだったか。よく喋る人みたいだけど、もともと変わり者が多い夢幻座だ。雪町さんに関しては、馴染むのに苦労はなさそう。 ……問題はもう一人の方だ。

「歌音。もういい?」

 ようやくその口から聞こえた声はひどくひび割れていて、なのに何故か、辺りを静まり返らせるような有無を言わせぬ力があった。和やかな拍手の音がふっつりと消え、俺のすぐ隣のオレンジ色に惜しみなく視線が注がれる。彼女は自分が創り出したそんな空気をものともせず、堂々と一歩足を踏み出した。

「火ノひのさこ小唄こうた。歳は18」

 ウタコじゃなくて、と彼女は、雪町さんと破鏡の方を前髪の隙間からジロリと睨んだ。おそらく二人がつけたあだ名のことだろう。当の二人はそろって何食わぬ顔だが、凄い。俺だったらあの状況であんな顔できない。

「本業はストリートミュージシャン。歌音と知り合ったのと、えそらに誘われたのとで、一応ここに来てみることになったんだけど。

 ――最初に言っとくと、あたし、演劇にもミュージカルにも、全くと言っていいほど興味無いから」

 ざわっ、と周囲が揺れた。俺自身も例外ではない。そりゃそうだろう。これから劇団に入るっていう意思表明の場なのに、初っ端からこんなことを言い放つ奴がどこに居るんだ。

 そいつはあちこちから飛ぶ諸反応の嵐をつっきって歩く。何の迷いもなく、進む。立ち止まったのは、ある人物の正面だ。そうしてやや見上げるような形で、彼に向かって人差し指を突き出した。

「あたしがここに来た理由は――――徒花高嶺、あんたに勝つ為だ」

 きょとんと突っ立っている(当たり前だ)高嶺さんの、すぐ横にいた徒花と目が合った。今まで見てきた中で、一番「どうしよう」と言いたげな顔。おそらく、俺も同じ顔をしていたと思う。

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