scene1:ようこそ劇場へ act2

side:日下部光輝


「あ、あの!」

 考えるより前に体が動く。俺はとっさに、団員の指揮を執り始めた土橋大地さんに声をかけていた。

 振り返った顔にさっきまでの威圧感はもうないとはいえ、やっぱり怖い。それでもここしかないと思った。最後の覚悟を決めて、思いっきり息を吸い込む。


「この劇団に入れて貰うには、どうすればいいですかっ!?」


 ——言ってしまった。

 力が入りすぎたらしく、やたら大きな声があたりに響いた。また視線が集まる。沈黙に耐えきれなくなった俺は一気に喋り出した。

「あの、皆さんの舞台と皆さんとを見て、すごい感動したんです。俺も皆さんみたいになれたら、別の自分になれたらって……! いやあの、今すぐ舞台に立ちたいなんて言いませんからっ、雑よ……違う、手伝いとかでいいので、ご一緒させて貰えたらなって、だから、その、どうかよろしくお願いしま————」

「待て」

 一方的に頭を下げたところで言葉を遮られた。ばくばく鳴り響く心音の中、人生最大の緊張感に耐えること数秒。聞こえてきた返事は、いろんな意味で予想範囲外のものだった。

「……熱くなってるとこ悪りぃが、代表者は俺じゃねえぞ」

「えっ」

 えっ?

 よっぽどぽかーんとした、情けない顔をしていたんだと思う。顔を上げた先の土橋さんは、きまり悪そうに頭を掻いている。

「ウチの代表はアレだ、アレ。……おい風巻かざまき、起きろ!いつまで寝てる気だ!」

「…………うー……ん、」

 土橋さんはずかずかと楽屋端まで行き、衣装や鏡台類の奥にいた何者かを叩き起こした。ワンテンポ遅れて、むっくりと起き上がってきた灰色の頭……ジドル役の男性だった。

 壁に向かって思いっきり欠伸をしたらしい彼は、念入りに目をこすりながらようやくこっちを向く。本当に眠そうだった。

「ふあぁ……おはよ、大地。あれ?お前誰?」

「話聞いてなかったのかよ……」

 眼鏡を胸ポケットにしまい、上まできっちり閉めていたシャツのボタンは半分くらい開けている。ぼさぼさのまま適当にまとめた長い髪(ってことは、ウィッグじゃないのか?)。神経質な小心者、という舞台でのジドルのイメージとはまたかけ離れた出で立ちだ。素だとマンク顔負けのマイペースな人らしい。

「……んで?お客さん何の用?」

客だ。入団希望者なんだと。どうすんだ? 座長さんよ」

 ごくり、と唾を呑み込む。入団希望者。そうだ。さっき俺が宣言したのは、観客という立場を超え、自分自身で未来と世界を切り拓く側の人間を目指したいということ。並大抵のことじゃないのはわかる。勢いだけで言っちゃったけど、やっぱりもう少し深く考えるべきだったかも……

「おー、んじゃね?」

 軽っ。

「『良んじゃね?』っておい、てめえ簡単に言うけどな……」

「だってほら。もうすっかりその気になってる奴が約一名」

 ん、と彼は俺の真横を指す。

 言われるがまま俺が横を確認したのと、猛烈な勢いで抱きしめられたのはほぼ同時だった。


「……新入団員!?新入団員じゃないかっ!!」

 心底、嬉しそうな叫び声。さっき手を貸してくれたファバラ役の男性だ。胸元の白いスカーフに顔が埋もれ、息ができない。

「君、夢幻座に入りたいのか? 私たちの仲間になって、一緒に舞台を目指したいと、そう言ったのか!?」

 ばっ、と不意に相手が腕を離す。わけもわからないまま見上げると、クリスマス前の子供もかくやの期待の篭った眼差しがそこにあった。まだ呆然としていたが、こんな目で見られたらもう引くに引けなかった。なんとか、ゆっくりとだが首を縦に振った……んだと、思う。

「やった……そうか本当なんだな!? はははっ、よく言ってくれた少年! 嬉しいよ、これからよろしく頼むッ——!!」

「お、お兄ちゃんやめて! 日下部くんがびっくりしてるでしょ!」

 もう一度抱きつかれそうになった所へ、聞き覚えのある声が割り込んだ。

 徒花がぐいぐいと彼の体を一生懸命押し返している。お陰で再び息ができなくならずに済んだけど、……しかし。

「あの、一つ気になってたんですけど。もしかして、徒花のお兄さんで……?」

「あっ!」

 俺が《お兄さん》という単語を発するが早いが、徒花はまた「しまった」と目を丸くした。そうして口元を抑えたまま俯く。小さな呟きがちらりと耳をかすめた。

「せっかく知られずに済むと思ったのに……」

「……ああ、すまない。そういえば名乗るのが遅くなったな」

 彼が俺のほうに向きなおった。胸元に手をあて、軽く微笑んでみせる。一連の動作はまるでおとぎ噺の登場人物のようなのに、ちっともわざとらしさがない。物語の世界に連れ込まれたみたいだと思った。

「私の名は徒花あだばな高嶺たかね。彼女……実結は私の妹だ」

「それから、わたしはカノジョね!」

「ふふ、そうだな」

 さっきのサリティーダ役の——確か、未麗さんと呼ばれていた——女性が、背中からひょっこり首を出した。さっきから特に距離の近い二人だと思っていたが、そういうことか……派手な顔立ちの美形同士、確かにお似合いのカップルだ。どっちもスキンシップが激しすぎて近寄りがたいけど。

「気にしないほうがいいです。お兄ちゃん、誰にでもああなんだから」

 こっそり彼らから距離をとり、徒花が耳打ちする。控えめながらどこか突き放すような言い方が、少しだけ引っかかった。

「あ、そうだ! あの……良かったら、いっしょに帰りませんか」

「俺と?」

 突然の提案に少し驚く。

「学校前のバス停は通るよね? たぶん、方面は一緒だったと思うから。

お兄ちゃんとか大人のひとたちは、初日祝いにどこか寄り道するだろうし……あの、もし良かったら、だけど。ごめんね、いや?」

 小さい声をもっと小さくして、最後の方は殆ど懇願だった。さすがに申し訳なくて、

「嫌じゃないよ、ちょっとびっくりしただけで」と慌ててフォローする。

「じゃあ……わかった。帰ろう、か」

 女の子と二人の帰り道なんて初めてだ……後になって妙に恥ずかしい。でも、徒花はほっとした表情で笑っている。それだけで、なんだかどうでもよくなってしまった。



 帰路につく。

 夏休みに入ってすぐの、「今年一番の暑さ」が連続する季節だ。日中の皮膚が泡立つような直射日光はもう無いものの、内側からじんわりと汗が滲んでくる。そんな夕暮れ時だった。

 緩いおさげ髪を風に揺らす、先程まで舞台の中心に居た少女を何とはなしに眺めながら、劇場最寄りの駅でバスを待つ。……何だか色々なことがあり過ぎて、今しがた起こったことも自分がやったことも全部夢の中の出来事みたいだ。

 今日何度目かも分からない、色々な感情の混じった長い溜息。さっきの俺はどうしてあんな思い切ったことを言い出せたのだろう。思い浮かぶのは、そんなあまりにも今更すぎる疑問。

 ふっと気付くと徒花が不安げな顔でこちらを覗き込んでいた。

「あっ、ごめん! 何でもないんだけど。色々思い出しててさ……」

 こういう時気の利いたことでも言えればいいのに。折角だし、何か話でもしなくちゃ。とりあえず口を開く。

「徒花さ」

「日下部くんは……あっ」

 被った。しばらく無言の譲り合い合戦が起こる。なんとか徒花側に先に話させることに成功すると、彼女はおそるおそる口を動かした。

「えっと、ほんとに、ただの思った事なんだけど。……日下部くんがあんなこと言うなんて、ちょっとびっくりしたなあって」

「まあ、な……。実際、俺自身が一番びっくりしてるかもしれない」

 冗談めかして言ったが、本心だった。

 バスが停車位置に滑り込む。ぷしゅうと息を吐いて、前後の扉が開いた。乗る人も降りる人もほとんどない。閑散とした車内で、俺たちは横並びに腰かけた。

「初めてなんだよ、こんなに何かに……自分を忘れるくらい惹きつけられたことなんて。今まで一度もそんなことなかったのにさ。徒花達の演技を見て、それから偶然だけど、あの舞台裏を見て。気が付いたら、勝手に体が動いてた」

 入団希望の第一声を発した時の記憶がほとんど無かった。けれどたとえ今日が何度繰り返されたとしても、俺は同じことをするだろう。そんな妙な確信があった。

 オレンジと濃紺の混じる窓越しの空を仰ぐ。徒花の視線もつられて上を向いた。

 と同時に、さっき自分が言いかけたことを思い出す。

「——そうだ! 舞台、面白かったよ。お前もちゃんと主役務めてて、すごく……格好良かった」

 よし、言い切った。とりあえず満足。

 しかし肝心の徒花は俯き、褒められたというのにどこか悔しそうに唇を噛んだ。

「主役なのはたまたまだよ。ほら、お兄ちゃん、言ってたでしょ? 今回は『実験』なんだ、って」

 実験的キャスティング。確かに聞いた言葉ではあった。これが今回の舞台の大きな特徴の一つなのだそうだった。

「夢幻座のお芝居や演技の枠が広がるようにって。それでみんな、についてやってみようって事になったの。そうでもなきゃ、私に主役なんて出来るはずないでしょ。私なんかより上手い人も、綺麗な人も沢山いるのに……」

 徒花の声はどんどんか細くなる。師匠さんに怒鳴られていたときより、ずっと小さく見えた気がした。

「お兄ちゃんに比べたら、私なんか…………」

 消え入りそうな声でぽつりと呟いて、次の瞬間はっと慌てたように顔を上げる。目は合わなかった。徒花が俺と視線をかち合うのを避けたのだ。眼鏡の奥が落ち着かずに彷徨う。

「あ……すみません、ごめんなさい、私——あ、あの、私、ここで降りるので、その、……えっと………!!」

見てわかるほど慌てふためいて、それでも一生懸命言葉を探しながら、彼女は小刻みに後退りした。そして。

「——あっ、あ、ありがとうございましたぁ!!」

 それだけ言って大きく頭を下げると、彼女は一目散に走っていってしまった。一方俺ときたら、返事のタイミングを逃して半端に口が開いたまま。別れを告げるのも手を振るのも忘れ、俺は呆然と遠ざかる彼女の影を見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る