六章② 再会、そして

 死ぬ思いで隔壁を越えたサクヤに、無線機片手に駆け寄ってくる影があった。


「大丈夫ですか! いま救急車を──サクヤ、さん? 歩けるの!?」


 自警科の制服を着けた女子生徒は、動く死人に遭遇したような表情をしていた。

 だれだったろう。どこかで会った気もするが思い出せない。

 

「サクヤさん、私のことおぼえてないの……」

「ひょっとしてクーデターのお友だちかしら? 遅かったわね、もう終わったわよ」


 寂しそうな表情が胸に刺さったが、ミコトだった頃の口調で返した。声を出すだけで倒れそうだったが、最後まで桜木サクヤでいると決めたばかりだ。


「私は田村班長の部下よ、でもクーデターには参加してない! やるなんて教えてくれなかった。ここにいるって聞いて説得に来たの。田村班長は、あのひとはどこっ!」


 唐突に激しさを増した口調が、二人の関係を教えてくれた。


──なによ、硬派なフリして面食いだったんじゃない。

 

 心の中でしっかり文句を言ってから、男の最後の願いを手伝うことにした。死後に利用されることを望まず、最後まで情けない人間を演じると彼は言ったのだから。


「田村? ああ、彼ならとっくに始末したわ。口先だけのくだらない男だった」

「――ッ!!」


 絶句した女子生徒は腰から銃を抜くと、サクヤの眉間に狙いを定めた。


「あのひとがどんな……どんな思いでいたか、知りもしないで!」

「弱者の愚痴なんか知る価値もないわね。そんなことよりお仲間を片づけなさいな。生ゴミが下水管にでも詰まったら目もあてられないわ」


 炎の瞳がサクヤを射抜き、トリガーにかかった指が絞られ……けれど撃鉄が落ちることはついになく、揺れる銃口は何度か戻りながらも下を向いた。銃の主は湧きあがる怒りをおさえつけるように肩を上下させている。


「……桜木サクヤ、あなたには借りがある」


 借り? いぶかしむサクヤに女は続ける。


「私は浜野ミオ! 先月のガス爆発、あの地下崩落で生き残ったのが私よっ」


 瞬間、ぼやけた記憶の中にいた女子生徒と目の前の人物がぴたりと重なった。

 彼女を知っていた。

 アキとヴィーナを失い能力を封印され、ただ生きているだけだったサクヤに毎日料理を運んでくれた人物だ。洗濯や掃除までしてくれていたに違いなかった。


 大勢を死なせてしまったあの事故で生きていてくれた。

 世界中が手のひらを返したときに味方でいてくれた。

 手をとってありがとうと伝えなくてはいけないのに言葉が出てこなかった。

 言えるわけがない。

 想い人を奪ったこの手が触れることを、ゆるしてくれるはずがない。

 だから桜木サクヤが言いそうなことを告げた。


「……やめてくださいな、その程度で恩着せがましい。ネズミの命など、いちいち気にとめていません」

「田村班長が私に言ったのよ! 桜木サクヤってミコトがボロボロになっておまえを助けたんだって、いつか力になってやれって……いまから無線で救急車を呼んであげる。これで終わりよ、あんたを助けるのはこれっきりよっ!」

「結構よ」


 浜野ミオに背を向けて歩きだしたサクヤの背後から、リュウさん、リュウさんと叫ぶ悲痛な声が響いた。

 リュウという名だったんだ。少しだけ相手のことを知った心が空を泳ぐ。


 田村リュウはあの娘を巻きこむことをしなかった。サクヤを助けることによって、この学区を水没から救った。仲間と自身の命を投げ打った計画を、最後の最後で変更した。


 本当はやりたくなかったんじゃないだろうか。一般生徒を巻きこむことに、心の底では賛同していなかったのではないだろうか。立場と責任と仲間を想う感情が、無理に彼を動かして……。

 そこでやめた。

 勝手な妄想を押しつけるのは失礼な気がした。


 あの日サクヤが助けた浜野ミオは田村リュウの大切な人で、だから彼はサクヤを助けたのであり、その彼女は田村リュウの想いを抱いて生き続ける――これまた妄想だったが、穴だらけになったチーズの胸は楽しいもので埋めないとなくなってしまう。


「やっぴー、いー顔してるじゃん。さてはあの娘っ子とナニしたですかな」

「あらククリ、忙しいんじゃ――」


 かっくんと膝が折れた。勝手に座りこんでしまいそうになる足を叱りつけて前を見る。

 放置された鉄材にちょこんと座った少女が手をふっていた。ウサギのような真っ赤な瞳と腰まで伸びたまっ白な髪は、自己を失い続けるという過酷な運命を受け入れた証だ。


「みんなあぼーんしちった」


 クーデターの囮組は自決したということか。予想内の結末だったが、それを賢しげに語るのはサクヤの役目ではないし、いまはとにかく立っているのもつらい。

 視線で促すククリの隣へ、残った体力を総動員して腰かける。ほぅっと息をついたサクヤの胸ポケットに、たたまれた扇子が差し入れられた。


「アキに嫌われちゃった……フラれるってすごくつらいのね。これからは言い寄ってきた相手は片っぱしからフッて同じ目にあわせてやろっと」

「がんばー」

「だからククリ、もう一度わたしを好きになって」

「やーよ」

「じゃあ愛して」

「いーよ」


 赤い瞳がサクヤを見つめ、にんまりとした。

 ククリが二度も届けてくれたアキの言葉はまだ重い。サクヤを嫌いだという内容が本心なのか、サクヤが楽になるように演じてくれたのか……アキちゃんの気づかいだよとヴィーナは言ってくれているが、甘えたらここで止まってしまう。

 だから進もう。

 彼女たちに手を引っぱってもらわなくても、歩けるようになるまでは。


「ぐっないサクヤ、愛してる」


 その言葉で気を失いかけていることに気づいたが、いつのまにか膝枕をされている現実はどうしようもなく、心地よい闇へ落ちることにした。

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