第2話後編
気が付くと彼は見たことのない白い天井の部屋のベッドで寝かされていた。
――ここはどこだ?
その答えはすぐに分かる。ちょうどその直後に白衣を来た男がこちらへ向かってやってきたからだ。
「おや。お目覚めになられましたか。ご気分はどうですか?」
「……ここはどこだ?あんたは何者なんだ?」
「ここはロンドン市内の病院ですよ。あなたは三日前の夜にこの病院に緊急搬送されて来たんです」
詳しい話を聞くと、どうやらあの後友人が謝罪をしに自分の家を訪れたらしい。そして応答がないから帰ろうとして最後にガチャガチャっとドアノブを回してみたら鍵がかかっていなかったので、不審に思い部屋に入った所倒れている自分を見つけたとのこと。
「お休みになっている間にいろいろと検査をさせて頂きましたが、若干肝臓が悪くなっているくらいで特に以異常はみつかりませんでしたね。まぁストレスか何か、倒れた理由はそういったものではないでしょうか」
そして倒れる直前の事を思い返してみる。思い出そうとした時に多少頭痛がしたが、なんとか思い出すことが出来た。
――オレはあの音楽を聞いている途中に倒れたのか?……なさけねぇ……。
だがここで意外な事に気が付く。実は倒れた時からまた例の音楽が頭の中に流れているのだが、嫌悪感がまったくといっていいほど湧いてこないのだ。そしてその音楽は一曲を最後まで流しきると、自然と鳴り終わった。今自分の脳は静寂に包まれている。そして最後にこんな事を思う。
――家に帰ったら、もう一度聴いてみようかな。
それからさらに三日後、彼は退院して家に帰った。そして前回は嫌悪感しか沸かなかった音楽にもう一度耳を傾けることにする。パソコンを立ち上げインターネットに接続をすると、例の動画を再生した。
曲を聴き始めると……また胸の奥から何かがこみ上げてきた。まずいっ!そう思いとっさに動画を停止させトイレに駆け込み便座の蓋を開け、便器の中に顔を突っ込むような体勢をとるが、それ以上なにかがこみ上げてくる感じはしなかった。
彼は二、三度ゆっくりと深呼吸をしてから部屋に戻る。そしてパソコンの前に座ると、一瞬躊躇したがまた動画を再生させた。
曲が始まるとまた胸の奥から何かがこみ上げてくる感じがするが、今度はそれに耐え曲を聞き続ける。間違いなく、これは自分が今までに聴いたことの無い音だ。なんだかもわもわとした感じのまま曲を聴き続けていると、今度は体中がどくどくと脈打ち、血がものすごい速さで巡っている感じがする。だが不思議と嫌な感じはしない。すごくなつかしい感じだ。
――もしかして……オレは今、楽しんでいるのか?
そう思っていると、曲が終わってしまった。彼は迷うこと無くもう一度再生ボタンを押した。
聴いているうちにどんどん曲の世界に入り込んでいく。目を閉じ。頭を振り。音に身を任せ、溶けこませる。もはや血は沸き立ち体の動きを止めることが出来ない。でもそれでいい。いや、それがいい。止める必要などない。
テンションが最高潮まで来た時にまた曲が終わってしまった。もう間違えようがない。本当に久しぶりに血の昂ぶりまで感じてしまったのだ。この音楽はオレの知らない未知の世界だ。
彼は同じアーティストの違う曲を再生させる。そして次の曲、また次の曲。どんどん再生していくと、不意にネタが尽きてしまう。突然おもちゃを取り上げられたような苛つきを覚え、彼はそのアーティストについて調べた。やはり若いアーティストの為、そこまで持ち曲が無かったみたいだ。
突然、喪失感に襲われる。もう……終わりなのか……。わらをも掴む思いでネット上を漁っていく。するとライブ映像を見つけることが出来た。迷わずこれを再生する。
彼は震えた。一見アイドルのような彼らはライブをやると陳腐なものになってしまうのではと思ったが、全くの逆だったからだ。彼らはむしろライブバンドだ。この映像が全てを物語っている。そして心から喜びを覚える。ライブは生き物だ。同じに見えてもその日のアーティストの調子や会場の大きさ、雰囲気により全く違う楽しみを見せてくれる。曲の数は多くないかもしれないが、アップされている動画の数分楽しむことが出来るのだ。彼はその日、彼らの動画を見続けた。何度も何度も。
そしてあらかた動画を見終わると、彼はその場に倒れこむ。気づけば日をまたいで朝になっていた。
――最高だ。……こんなに楽しんでいるのはいつ以来だろう……。
彼はその場に倒れたまま目を閉じた。すると彼の頭の中に一瞬なにかがよぎる。なんだ?オレは今なにが気になった?目を閉じたまま思考を集中させる。いろいろと考えては僅かに琴線に触れたその糸をたどり徐々に答えに近づく。すると突然ある音声が脳裏に再生された。
――そういえば今度ウェンブリーで面白い奴らがライブをやるんだ。気分転換に行ってみたらどうだ?
電撃が走る。その直後彼はライブの日程を調べた。今日か!札束で顔をひっぱたきなんとか売ってくれる人を見つけた彼は、すぐにその人に接触しチケットを手に入れると家に戻り、泥のように眠った。
彼は夕方に目を覚ますとバイクに乗り込みライブ会場であるSSEアリーナ・ウェンブリーに向かった。会場には列ができており、そこでおとなしく開園を待つ。そして開園と同時に会場に流れ込んだ。その途中の人々はこれからのライブの期待感で熱気に満ちておりその目は等しく輝きを放っている。人から見たら自分も同じ目をしているのだろう。……本当に、自分はどれほどの間ライブに来ていなかったのだろうか。ふとそんな事を考えてしまった。
会場に到着する。最前列ではないが、十分にライブを楽しめるポジションには位置取る事が出来た。ざわめく会場でただひたらすらにその時を待つ……。
そしてその時が来た。会場の雰囲気が変わり突如として会場のモニターに紙芝居の映像が流される。そしてその紙芝居が終わると重厚なメタルの音とともに彼らが登場した。
……その後の事はよく覚えていない。とにかく飛んだ。叫んだ。モッシュにも巻き込まれたかもしれない。汗やらなにやらでもうボロボロだ。最高に楽しい夜だった。
どうやって戻ってきたのかも覚えていないが、彼は気が付くと自分の部屋に戻ってきていた。
彼の意志ではない。体が勝手にこの部屋に自分を導いたのだ。
そして彼の右手には今、拳銃が握られている。
――なるほど……。お前が言いたいことはわかったよ。
彼らはいつまでオレに心地よい音色を聴かせてくれるだろうか?オレの脳はいつまであの音で幸福でいられるだろうか?かつては様々な音楽やバンドの音が彼らの音みたいに光り輝いて聴こえていた。全ての音を愛していた。でも今はそのどれもが満足できなくなっている。……彼らの音がオレの中で色あせてしまうまで、あとどれくらいの猶予がある?一年?半年?一ヶ月?一週間?それとも……あぁ……分からない……でもそんな事はもうどうでもいい。
彼は一度拳銃を左手に持ち変えると、右手でガラスの窓を叩き割った。ミュージシャンにとっては命よりも大切な手が血だらけになっている。だが彼はそれを特に気にする様子もなく自らの血で壁にこう書いた。
――生まれてきてよかった!オレはいま最高に幸せな気分だ!
そして拳銃をもう一度右手に持ち直し、穏やかな笑みでこめかみに銃口を当てると……。
ラスト・サウンド @Dysuke
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