第47話
瞳の手術から1年が過ぎた。
俺はあの後すぐに、東京の美術大学に特例で入学した。
もちろん吉川先生の手引きだ。
中途入学にも関わらず3年生へと入れられる。
周囲の学生からは敵意がむき出しだ。
そりゃそうだろう。
後から来た無名の年上の青年が、突然3年生からなんて有り得ない。
そこまでするからには、そうとうの才能の持ち主なのだろうと。
だけど、入学初日に行われたデッサンで、その関係は一変する。
吉川先生と登場し、特待生として紹介され、直ぐに授業に参加する。
刺さるような視線は今でも忘れない。
生徒達は俺への興味を隠さなかったし、吉川先生が最初の授業は立ち会うということで、彼に認めてもらおうと必死になる生徒もいた。
授業内容は石膏デッサンだ。
中学の美術室にも一つ置いてあるのを思い出した。
その石膏を囲むように、皆がキャンパスを準備しているうちに、1周しながら手で触りながら観察し、そしておもむろにスケッチブックを手提げバックから取出す。
そして近くにあった椅子に座って描き始めた。
その場所は石膏からも遠いし、他の生徒の影に隠れてまともに見えない。
というか、ほぼ背中を向けていた。
「なんだあいつ…。気持ち悪い…。」
「頭おかしいんじゃないか?」
色んな小言が聞こえていたような気がするが、あまり覚えていない。
俺は、兎に角自分の絵を、もう一段階レベルを上げる為にきた。
まずは描いて指導してもらいたかった。
目が見えない時の指先から伝わる感覚は、目が見えるようになってからも生きている。
今では目で見るよりも多くの情報を得ているのがわかる。
目が見えない時に描いていた絵も、今となっては俺の絵の糧となっていると実感出来た。
10分もしないうちに、先生に提出する。
吉川先生は一言、「素晴らしい…。」と、言ってくれた。
授業を担当していた先生は、口を開けたまま目を見開き、信じられないと言いながら首をゆっくり横に振った。
「更に成長したのね。光司君。」
「そうかな?そうかも。」
俺はあっけらかんと答えた。
手応えはあった。
目が見えない時に描いていた絵は、見えていた時よりも、よりリアルに描かれている。
リアルというか、「生きているような絵」と言われたこともある。
呼吸しているような、今直ぐに動き出しそうな、そんなリアルさだ。
「吉川理事長…。弟子をとらなかったあなたが、まさかこんな逸材を育てていたなんて…。」
「私は彼にね、描く対象を触ってね、そして思いを感じなさいと言っただけで、特に何も指導はしてないのね。」
「なんと…………。」
担当の先生は言葉を失った。
そして震えだした。
これは日本の芸術において革命が起きようとしていると、理解したからかもしれない。
「これはとんでもないことですよ、理事長!」
「そうね。」
吉川先生はニッコリほほえんだ。
「僕がね、思っていたよりね、上達しているのね。だから残り1年ちょっと、退屈かもしれないけど、基礎を学んでもらおうと思っているのね。」
俺は「はい!」とだけ答えた。
そして、さっき座っていた椅子に戻る。
他の生徒達から何が起きたのかと、今度は警戒するような視線が送られた。
しばらくして皆デッサンに戻った。
俺はその景色を絵にする。
教室は熱気が溢れていた。
集中力と緊張感、情熱、希望、失望、色んな感情がそこには渦巻いていた。
一気に描き上げると授業の終了時間までまだ時間がある。
立ち上がって他の生徒のデッサンを見てみた。
同じ石膏を描いているはずなのに、色んな絵が存在することに驚くと同時に興味を持った。
色んな人のを見て回っていると、一人の青年が突っかかってきた。
「何見てるんだよ。
「あ、ごめんなさい。でも、面白いですね。」
「バカにしてんのか?」
「あ、いや、そういう意味じゃなくて、個性って色々あるんだなって思って。」
他の生徒も注目していた。
「おまえに絵の何が分かってるんだよ。あ?」
「いや…、その…、それを学びに来てるわけで…。」
当たり前の回答に、他の生徒がそりゃそうだみたいな小言や失笑が漏れた。
だが、突っかかってきた生徒は面白くなかったのか、余計に苛々しはじめた。
「じゃぁ、評論家気取りか?ん?」
「そんなんじゃないですよ。」
「お前の絵はどんな絵なんだ?評論家さん。人のをジロジロ見てる暇があったら、自分の絵の評価でも言ってみろよ。」
「え?俺の?」
言われてみれば、自分の絵の評価なんてしたことがない。
描いた絵で誰かが笑顔になってくれればいいみたいな基準しかなかった。
だけど吉川先生に会ってから気を付けていることはある。
「感情を絵に込めることかな?それが上手くいった時は皆とても喜んでくれてる。」
「何言ってんだお前?そんな超高等技術、吉川先生ぐらいしか出来ねーぞ………。ん?」
そこで生徒達は思い出した。
俺を連れてきたのが吉川先生だということを。
「ちょっとお前の絵、見せてくれよ。」
「いいよ。」
俺は素直にスケッチブックを渡した。
開いていたページには、さっき描いた授業の様子が描かれている。
「なにこれ!?」
「すっげー。」
「うそでしょ?」
いつの間にか全員集まってきた。
絵を見た数人は既に涙ぐんでいる。
「色んな情熱や感情が入り交じって…。」
そんな感想を言っていた。
1枚めくると石膏デッサンがある。
「なんだよコレ…。」
「激しさと優しさが同居している…。」
「本物がそこにあるみたいだ。」
「今にも動きそう…。」
「おい、ちょっと待てよ。彼は絵を描く時後ろを向いていたじゃないか…。」
興味、恐怖、敵意、好意。
色んな視線が突き刺さる。
たった2枚の絵で、何だかんだで俺はクラスに馴染んでしまった。
それからは共に切磋琢磨していく。
俺は色々なことが吸収出来たし刺激も受けた。
絵に関する技術的なことも学べたし、今まで描けなかった色んな絵も描けて新鮮だった。
例えばビル群や路地裏といった、都会ならではの風景。
シンボルタワーや都会の中の自然、電車や飛行機、そして人、人、人の波。
そんな画家修業の合間に、アルバイトもやってみることにした。
アルバイトと言っても普通のアルバイトではない。
吉川先生の
当然目当てはお金なのだけど、いくら必要かは定かではなく、吉川先生や奥さんに聞いて100万円とした。
1枚1000円で数をこなすため鉛筆書きのみ、目標1000人と決める。
半ばテントのようなスペースに椅子が二つ。
画用紙に鉛筆だけというなんとも殺風景な場所。
手作りでカウントダウン出来るようにしてある。
1から0までの数字のセットを三つ、1だけ一個余計に作る。
ようするに1000からカウントダウンしていくようにする。
後は値札をつけた。
看板も一応作ってきたが、吉川先生に言わせると学芸会の出し物のようらしい。まぁ、とりあえずやってみよう。
目標の半分…、いや、3分の1ぐらいはいきたいなぁ。
あまりにも殺風景で、流石にこれでは人が立ち寄りにくいと思った。
外に出て、商業ビルの前の大通りに出る。
ビル群に首都高が突き抜け、大勢の人が行き交う絵を描いて飾ってみることにする。
これで少しは絵描きっぽい雰囲気が出るかな。
意外にも先客がいた。
その人は、帽子を深く被り、大きな背中を小さく丸めて、キャンパスに向かって油絵を描いていた。
後ろからのぞくと抽象画のようで、この街のエネルギーを描いているようだった。
その中に渦巻く雑多な感情。
正直凄いと思った。
よく見ると、その画家さんは外国人だった。
これでも学校で英語も習っている。
思い切って話しかけてみた。
「ハロー。」
振り向いた外国人は、年は40歳ぐらいだろうか。
髭が濃くて金髪だ。
髪型は短髪で、くせ毛なのかクルクルになっていて、青い目がとても澄んでいた。
「ユー、ピクチャー、イズ、アメージング。」
あなたの絵は凄いですねという意味で言ってみた。
「オー、センキュー。」
握手を求められ交わす。
「パッション&エモーション…、えーと、えーと、サイクロン。」
情熱と感情が渦巻いていますね、という意味で言ってみた。
彼はまさしく頭の上にハテナマークが浮かんでいたが、少し経って意味が通じたようだ。
何だか驚いているようだった。
そこで思い切って提案してみた。
「ドロー、ア、ピクチャー、えーと、ウィズ、ユー?」
あなたと一緒に絵を描いてもいいですか?という意味で言ってみた。
少し考えた後、OK、OKと言ってくれる。
まぁ、後は何とかなるかな。
折りたたみの椅子を似顔絵小屋から持ってくると、彼の隣に広げて設置する。
そこにひとまず画材を仮置きした。
そして、視界に入るビルの壁や植木、道路の手摺や木、信号機に首都高の柱、立て看板やノボリなど、触れられる物は全て触ってみる。
30分ほどかけて戻ってくると、彼はまだ絵を描いていた。
無関心に通り過ぎる人の波の中で、夢中になってキャンパスに向かっている。
隣に座りスケッチブックを広げる。
手動の鉛筆削りでガリガリ削ると、手提げ袋に仕舞う。
信号が変わる度に沢山の車が止まり、そして発進し、人の波が
首都高では絶えず車が走り去り、絶え間ない人工的な音が続く。
そんな光景を少し見た後は、ひたすらに描き込んでいった。
何度鉛筆を研いだだろうか。描く情報量が多い。
だけど楽しい。
一人ひとりに感情を吹き込み、ビルの歴史を刻んでいき、少ない緑の生い立ちを描く。
出来上がると、久しぶりに会心の出来だと思った。
トントンっと外国人の肩を叩いて振り向かせると、彼に絵を見せてみた。
「………………………ワォ……………………。」
小さくそう言った。
そして直ぐにまくし立てるように英語を並べられたが一つも理解出来ない。
俺はひたすら大ぶりの握手をされ、泣き喚く外国人にハグされ続けた。
相当困っているように見えたのだろう。
一人の女声が声をかけてくれた。
「あら?光司さんじゃない?」
彼女は、類の彼女の友達である美波ちゃんであった。
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