第36話

 「さすがにこの時間に放り出されると困るな…。」

俺はバイクのエンジンをかけたが、行き先に困ってしまった。

だいたい腹が減っている。

交番では野田ばあさんが睨みをきかせていた。


「ちょっとドライブしませんか?」

「だな。少し遠出するか。」

「はい!」

ゆかりはどんなことでも楽しむタイプみたいだ。

2度エンジンを吹かし、颯爽とバイクを走らせた。


親父の喫茶店はこの時間から開いている。

というか喫茶店なら開いてる時間なのだが、近所だと視線が痛いなぁ。

そうだ、岐阜市までいっちまおう。

ここからなら1時間かからないで着くな。

行けば色々あるし、誰の目線も気にする必要はない。

まぁ、見られてもいいのだけども、田舎は情報速いから、帰る頃には皆知ってるとかちょっとめんどくせぇ。

まぁ、途中で朝飯でも食いながら考えるとするか。


洞戸橋を渡って親父の喫茶店を過ぎる。

そのまましばらく進み、県道59号線へ曲がる。

板取川を横断し武儀川も超える。

その頃には民家もかなり増えて町らしくなってきた。


途中一旦バイクを路肩に止めて、紫に調子は大丈夫か聞いてみた。

彼女は楽しくて、あっという間にここまで来たと言ってくれた。良かった。

古いバイクで振動も大きいだろうに。

でも、本当に楽しそうにしている彼女を見ているとこっちまで楽しくなってくるな。

トイレ休憩とか遠慮無く知らせるように言って再び走り出す。


県道59号線から93号線へ移り、岐阜市へと入る。

この辺りは十分賑やかだ。

折角だしもっと中心部へ行こうと思い、93号線から94号線へ。岐阜城の方へ向かう。

古い町並みだが俺は結構気に入っている。少し前まで路面電車が走っていたらしいが、見たかったなぁ。


ここまで来れば喫茶店は山ほどある。

適当な店に決めるとバイクを停めた。

中は小奇麗でアンティークな雰囲気だ。

窓際のテーブルを選んでモーニングセットを二つ頼んだ。


「こういうのツーリングって言うんですよね?」

「まぁ、そうなるな。」

「一度経験してみたかったんです!車と違って空気まで味わえるというか、こういうのもいいですね。」

「車も窓開ければ同じじゃね?」

「もう、そういうのじゃないんです!」

「わかってるよ。」


ちょっと膨れた顔も可愛いな。

そうこうしているうちに温かいパンとコーヒーとサラダが届いた。

パンは所謂バタートーストで甘い香りがしている。俺好みのパンだ。

食べていると紫の携帯が鳴った。

小声で出ると、一旦携帯電話を手で抑えて「美波から。」と小声で伝えてくれた。

別に伝えなくてもいいのだけどな。


「うん…、うん、大変だったんだから…。うん…。うまくいったよ…。今一緒。うん…、夕方までには帰るから…。うん…、うん…、ありがとね…。後でちゃんと話すよ…。じゃあね。」

そんな感じで電話を切る。

「うんと怒ってやるつもりだったけど、でも、美波はわざと寝てる振りをしてたかもね。」

ニヒヒヒと笑う紫。

やめるんだ、昨日の出来事を思い出してしまう。

朝からマズいことになる。


「そうだ、折角だし、岐阜城登ってみるか?」

「あ、行ってみたいです!本当は今日の午後にはここにくる予定だったの。」

「美波ちゃんだっけ?放ったらかしで大丈夫か?」

「うん。彼女カメラが趣味で、今日はあちこち撮影してるって。」

「そうか。なら良かった。」


少し長めに喫茶店に滞在し、頃合いを見て岐阜城へと向かう。

自転車置場の近くにバイクを停めて、ヘルメットは盗難防止装置にくくりつけておく。

登山って手もあるが、流石に軽く寝不足なのもあってロープウェイで山頂へ向かった。

何度か来たことがあるけど、山頂の城は木造じゃなくて鉄筋コンクリート造なんだよなぁ。

まぁ、予算とかもあるから仕方のないこと。


そんな岐阜城だが、俺はここからの景色も好きだ。

「長良川や濃尾平野のうびへいやを見下ろして、昔の城主はどう思ったんだろうな。」

「そうですねー。天下取ってやろう!って思っても大袈裟じゃないかもしれませんね。」

確かにそう思わせる雰囲気と迫力は十分にある。

この城が落ちるわけないとも思うかもな。

だいたい登ってくるだけでも一仕事だ。


そんなこんなで堪能した後は、ロープウェイ乗り場の近くにあるリス村に寄った。

なんでこんな山頂にリスなのかはいつも疑問に思うが、まぁ、紫が喜んでくれたからいいか。

その後は市内を観光し、昼食後は洞戸へ戻ることにした。


 「こーじー。助けてぇぇー。」

朝も少し回った頃バスが通り過ぎ、夜勤開けの瞳がやってきた。

交番の近くにバス停があるのだけど、そこからここまで500mぐらいかな。

その道のりで彼女は限界になったらしい。


取り敢えず縁側へ迎えに行く。

手探りで縁を見つけて、まず俺が落ちないようにしないと。

瞳は直ぐに手を握ってきた。

かなり疲れているようだ。


救急病棟は慢性的に人手不足で時々応援にいっている。

もちろん給料に反映されるってのもあるけど、こういった一刻を争う現場でも瞳は評判が良いようだ。

そんな訳で他の人よりも駆り出される機会が多いみたい。


「大丈夫?」

「光司の布団で寝かせて~。」

そう言って、畳んであった布団を敷き直し、上着と靴下を脱ぐと直ぐに横になった。

「光司も一緒に寝ようよ。」

「フフフ。寝るまで一緒にいてあげる。」


布団には入らずに横になって手をつなぐ。

彼女は両手で俺の手を握りながら、直ぐに深い眠りについた。

しばらく様子を見ていたけど、そっと手を離し縁側へ戻る。


日差しは強かったけど、山から吹き下ろされる風は少しだけ冷たくて気持ちがいい。

スケッチブックを取り出し、縁側からの景色を思い出す。

中学の頃に見た景色をチョイスし描いていく。

これと今は少し違うのだろうなぁ。

10年以上経ったしなぁ。


ちょっと寂しいけども、目を取り戻して、瞳の心臓の手術を成功させて、そしたら彼女と、のんびりと一緒に絵を描きたい。

そんな事ばかりを考えていた。


美大の吉川先生は、目が治ったら直ぐに大学に来て欲しいと言ってたけど、100枚ぐらい絵を描いてからでもいいよね。

絵を描き終えて少し休憩する。

そろそろお昼かな?


ん?誰か歩いてくる。

シューズやリュックの擦れる音、ポケットの中の鍵の音。観光客かな?

カシャカシャカシャ

そこへカメラのシャッター音が聞こえた。

景色を取っているのかな?

足音がかなり近い。


「あ、こんにちわー。」

女性の声だ。

聞き覚えは…、多分ないかな。

「この前はありがとうございました。」

あれ?知り合い?この前?あぁ…。

「友達は大丈夫だったかな?」

「はい、おかげさまで元気にしています。ついでに助けていただいた人に告白して彼氏になったみたいです。」


!?


それって類のことだよね??


「本当に?」

「はい。今朝電話で聞きましたよ。」

「類にも彼女が出来たんだ。それはめでたいね。」

「あの駐在さんって地元の人なんですか?」

「うん、彼とは幼馴染で親友だよ。」

「あぁ、そうだったんですね。」

「幸せになれるといいね。」

「はい~。」


彼女は、友達に彼氏が出来たことを単純に喜んでいるようだった。

言葉尻からもニコニコしているのが伝わってくる。

「何をなさっていたんですか?」

「絵を描いてました。」

「…。」

聞きづらそうな雰囲気を察して、自分から言うことにしてみた。


「目は…、見えないのですけどね。」

「抽象画とかですか?」

「さっき描き上がったの見てみてください。」

俺は説明するより見てもらうことにした。

「えーーーーーーーー!?うそーーーーーーーーぉ!?」


「一応、10年前のここから見える景色なんだけど、どうでしょうか?」

「あ…、あぁ…。植えられている花はちょっと違うけど、右側の木とか少し小さく描かれていて、でも遠くの山や石垣なんかはそのままです…。信じられない…。」

この反応ならだいたい良さそう。

後で瞳にも見てもらおっと。


「僕は見た景色を鮮明に記憶出来るので、いつでも描けるのですよ。」

「あの、失礼ですが目が見えないのにどうやって…。」

「手の感覚でスケッチブックと鉛筆の場所を特定して、そこに描かれた線まで脳内で映像化して描いてます。その通りかどうかはわからないけど…。」

「いやいやいや、これはそんな単純な話じゃないですよ。それに絵自体、懐かしい雰囲気が溢れてて、それでいて夏の日差しや、ジメジメした空気まで漂ってるような…。どちらかというと私が撮影したい写真みたいな絵になっています。」

「なるほど、僕が描きたい絵とは少し離れているかもしれませんね。」

「ひゃー、ほんと凄い…。」

「カメラが趣味なんですか?」

「はい!」

「カメラを触らせてもらえませんか?」

「いいですよ。」


手に置かれたカメラは想像以上にズッシリと重かった。

レンズも大きいし、種類はわからないけど本格的なカメラなんだろう。

そっと撫でていき形を把握する。

「ありがとうございました。結構重いのですね。」

「一応、それなりの機能はありますので。」


彼女はカメラの機能を説明し始めた。

正直、専門用語が多すぎて英語の方が理解出来るかも。

その間、スケッチブックにカメラを描いてみた。

曲線も多く複雑な構造なので、それなりに難易度が高い。


彼女の説明が終わる頃、絵を彼女の声の方へそっと向けてみた。

「へ!?あれ!?ちょっと近くで見せてください。」

スケッチブックを渡す。

どうやらカメラと絵を見比べているようだ。

「すみません、さっきの絵は昔描いたものかとちょっと疑ってました。今は、実は見えているんじゃないかと疑ってます。そのぐらいそっくりです。でも、何というか、とてもカメラに愛着があるような、カメラ好きが見ると、見ているだけで楽しくなるような感じになっています。」

良い感じに描けたようだ。


「あの、あの…。このカメラの絵に私も描いてもらえませんか?」

「いいよ。」

俺はニッコリ微笑んで準備に入る。

夏の日差しは更に強く、蝉の声が五月蝿くなってきたお昼時のことだった。

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