第28話

 やっと平穏を取り戻せたかと思ったけど、光司のリハビリは想像以上に大変だった。

長期間に渡って、徹底的に精神攻撃を受けていたのに加え、肉体的にも相当ダメージが残っていた。

今直ぐ元気になったとしても、歩くことなんてとてもじゃないが不可能な状況だったの。

今は、何はともあれリハビリをすすめる。

食欲を取り戻すといった、生きるために必要な部分から始めないといけない。


 そう言えば、肝心の村田の処分は、医学会追放となった。

民事でも刑事でも裁判を起こせたのだけども、光司が断った。

これ以上関わりたくないというのもあるし、時間と労力も要する。

なので、示談という形にし、病院側で納得のいく方法を取って欲しいとお願いした。

そういった事情を汲み、結局追放となった。

二度と医療関係で働くことはないだろう。


ただ、病院側は独自に民事で訴えた。

負ける要素はまったくなく、焦点は罪の深さだけだ。

証拠が多いってのもある。

彼女のパソコンからは、光司を精神破壊させるためのスケジュールと、詳細な結果が堂々と残されていた。

それに彼女が取り寄せた薬や器具からも、症状を和らげることが出来ないことは、素人でもわかるほど。


こういったことは病院側も監視体制なども含め非を認めていて、彼の治療費を全額免除などを提示した。

だけど光司のお母さんが拒否した。

これには病院側が驚いて色々と協議した結果、過去の分は免除でこれからの分は支払うという形で落ち着いた。


募金も集まっているのだけど、これもお母さんは受け取りを断っている。

光司が自分の意思で、目を犠牲にしてまで私を救ってくれた。

だからお母さんは親として、子と一緒に責任を取るという信念らしい。

責任を取るのだから援助は受けない。

そんな姿勢に賛否両論あるだろうけど、家族でそう決めたなら応援したいと思う。


結局、事務局長である彩のお父さんから直に理事長まで話しがいって、トップダウンで調査指令が出た時点で勝負はついていた。

安全調査委員会が動き、徹底的に証拠を集められた。


後は光司を村田から、どう救い出すかだったのだけど、ある意味賭けな部分もあったの。

落ちるところまで落ちてしまった彼を、せめて会話が成立する程度にはしたかった。

私は賭けた、彼が私を想うその大きさに。


結果、勝てた。


これでダメだった場合は、更に時間がかかると想像していた。

だから最初の難関を超えたところで、ちょっとだけ明るい未来が見えてきたと思ったよ。

学生時代には、私は彼の置かれていた状況を色々と想定し、専門医とも何度も何度もシミュレーションしてきた。

繰り返しになるけど、私は彼を救うためだけに6年かけたのだから。

その時間は1秒も無駄に出来なかったから。


その成果を今は発揮する時。

そしてそれらは実感できるほどになっている。

彼は精神的に安定してきたし、村田に受けた心の傷も克服しつつある。


ただ、治療にあたっては最新の注意が必要だと考えていて、例えば私が病院側の人だとバレないようにしてる。

というのも、私が治療に当たっているとなれば、当然甘えが生まれる。

それはそれで嬉しいのだけど…。


でも、それでは完治までの時間が長くなるだけだし、良いこともあるのだけど、さるとらへびとの対決までの時間を考えると間に合わない可能性が出てくるよね。

彼には、目が戻ってきた時には絵について興味を持っていてくれないと、きっと前のようには描けないんじゃないかという懸念がある。


これは東京の美大の吉川先生からの助言で、再び色々な物を見た時に、描きたいという感情が沸き起こらなかったら、きっと彼は二度と筆を持たないだろうと言っていたから。


だから今は、何としてでも絵を描きたいと思ってもらいたい。

だって、また彼の描く絵を見たいんだもん…。

私だけじゃない、沢山の人が待ち望んでいる。

彼の描く世界は人を感動させちゃうぐらい凄いんだから。

その絵を私が封印させちゃったなんて…、そんなの想像しただけでも嫌。


絶対に嫌!


 ということで、治療中は長尾 めぐみと名乗っている。苗字を似せたのは、誰かに本名の長屋と呼ばれてもごまかせるようにって意味があって、めぐみの方は適当かな。瞳から連想して決めた。


彼が意識を取り戻して会話が出来るようになると逆に緊張が走る。

少しずつ感覚が戻ってくると、彼は元々勘が鋭いこともあって、体臭、足音、声、癖のどれもこれもバレる要素となってくる。


瞳の時は軽く香水を使って、声は仕事とプライベートだと自然とテンションが変わって、一応バレないでいるみたい。

彼の勘が働く前に、瞳とめぐみは違う人物だと思い込ませておかないとね。


 村田との決戦という難関を突破してしまえば、リハビリに関しては順調にきたと言えるかな。

このまま治療を続け、精神的、肉体的なリハビリをすれば、さるとらへびとの決戦の日よりも、かなり前に退院ということも徐々に見えてきている。


だけど一番大きな問題、絵を諦めないという部分については苦戦していた。

勿論、彼が絵を捨てたとしても私は見捨てない。

ずっと傍にいたい想いは変わらない。

だけど彼の描く絵は特別。

簡単に諦めていいものではないし、彼は絵を描くべきだと思ってる。


でも今の彼は頑なに絵を拒み、話題すら逸らそうとする。

絶対に辛いはずだし、彼がいまいち元の彼に戻れないでいる原因になっているのは明白。

光司が絵を捨てたことにより、視力が回復してからも暗い影を落としながら生きさせるなんて絶対に嫌。


私は、もう一度魔法をかける必要があると思っているの。だけど慌ててもダメ。

個室から一般病室へ移動して、落ち着いた頃が狙い目だと思っている。

というのも、他人と生活を共にするのは多少なりとも負担が生じる。

それに耐えうる余裕がないと実行出来ないと思っているから。


ともあれ、彼に再び鮮やかな色を取り戻す作業はコツコツと、色んなことを積み上げていく必要があった。

大変だって?

今までの6年に比べれば、彼の傍にいられるこらからの6年の方が、夢も希望もあるじゃない。


 村田から開放されて2年が経った。

俺は、ようやく歩行練習が出来るぐらいには回復した。

色んな事に挑戦出来るというのは、嫌なことは忘れられるし、目標をクリアしていく達成感も得られるしで、何かと楽しかった。

回復しているという実感が何よりも大きな励みになるよね。

担当看護師であるめぐみさんは、明るく優しくて、とても親切にしてくれる。

どこか瞳とかぶるところもあるのだけど、類に浮気か?なんて茶化されてからは気にしないことにした。


そう、俺には瞳がいる。愛しい彼女だ。

こんなんになった俺を、見放すこと無く未だに付き添ってくれている。

村田にどん底まで落とされ、その沼から救い上げてくれたのも瞳だ。

真っ暗闇の中、もう生きているのか死んでいるのかも理解出来ない状態から助けてくれた。

彼女の声がなかったらと思うと…、本当に怖くなる。


俺は心身共に回復してくると、彼女を説得する作業を復活しなければならない。

俺の目を取り戻そうとする、その無謀な行為を。

それはつまり彼女の心臓も元に戻ることを意味する。


最近では、彼女の心臓の治療は国内でも治療が可能となったのは、他の先生からも聞いた。

だけど莫大な治療費と、少なからず失敗というリスクは伴う。

だって国内では、まだ手術がほとんど行われていないのだから。

リハビリを頑張る理由もそこに関係している。


俺が独り立ち出来れば彼女の不安も消えるだろう。

無理に視力を取り戻そうとしなくても良いという選択肢が生まれるはずだ。

目が不自由でも一人で生活している人は沢山いる。

俺だって…とは思っているもののやはり大変だった。

でも俺は簡単に投げ出す訳にはいかないのだ。


 そんな彼女は、曜日は不定期だけど、週に一度は必ずやってくる。

タッタッタッ…。

足早というより小走りな足音が近づいてきた。瞳だ。

廊下では、走っていたことを看護師に注意されたのか、そんな感じの小声が耳に届いた。

こんなこともいつものことである。


「こーじー!」

彼女はいつも元気いっぱい。

他の患者がクスクス笑っている。

いつも通りだと思っているのだろう。

俺もちょっと苦笑いがでる。


そしてフワッと体が包まれる。瞳が抱きついてきたのだ。

彼女のいつもの匂いが鼻腔をくすぐる。

俺もそっと抱きしめると、彼女はギュッと抱きついてきて離れない。


「オッホン…。」

俺は窓際の、向かって左側のベッドなのだけど、同じく窓側の反対側には、男性の老人の伊達さんがいる。

その伊達さんが場をわきまえろとばかりに咳払いをした。

いつも中学生だという孫の聡美ちゃんが遊びに来ているのを知っている。

そんな孫が見たら刺激が強いと思っているのかもしれない。


廊下側、俺の隣には女性の老人の菊池さん。

斜向かいには高校生ぐらいの山本君。

どの人も長期入院を余儀なくされているらしい。

らしいというは詳しい病状は知らないから。

この病室では俺は新参だし、相手から話してくれないなら聞くつもりもないかな。


俺は、大切な人が死ぬかもしれないという悲しみ、苦しみを少しだけど知っている。


で、その伊達さんが咳払いをした。

つまりイチャつき過ぎだと言いたいのだろう。

俺は我に返るが瞳は離れてくれない。

「瞳…。」

名前を呼ぶと、ニーッと笑って俺を見上げているのだろう。

チュッと軽くキスを交わすとようやく離れた。

「あのねあのね、凄く美味しい柿があるって聞いて買ってみたの。一緒に食べよ。」

有無を言わさず準備を進める。


「皆さんも一緒にどうぞ。」

ガサガサと包装を取り、どうやら箱から取り出している。

箱に入ってるの?と思ったが、また包装を剥がす音がする。

はい、と一つ渡され両手で探る。

どうやら一つ一つ包装してあるようだ。


「あら、おふくろ柿ね。」

菊池さんの声だ。

瞳との会話を聞くと有名な柿のブランドらしい。

次々に皮を向き4頭分する。

それを4個分作ると、持ってきた紙皿と使い捨てのフォークを乗せて配って歩いた。

老人達は喜んでいたが、山本君はいつもそっけない。

後で食べるといってベッドに潜り込んでいるようだ。


「私達も食べよ。はい、あーん。」

「ちょっと待った。」

「あーん。」

大人になった瞳の顔は分からないけど、俺に柿を向けて、自分も口を開けながらあーんしている様子が想像出来る。


恥ずかしすぎる…。

菊池さんはホッホッホッと笑い、伊達さんはやれやれと言った。

「早くあーん。トロトロに熟してるから落ちちゃうよ。」

根負けして口を開ける。

「あーんって言うんだよー。」

ひーーー。

顔が熱い。ハーハハハハッと伊達さんの豪快な笑いが響く。


「あーん。」

そう言うと甘くてトロトロに熟した、まさしく蕩けそうな甘い甘い柿が口の中に入ってくる。

「美味しい?美味しい?」

「とても美味しいよ。」


俺の答えに満足したのかフフフッと笑みが零れているのがわかる。

彼女はいつもこんな感じで、とても楽しそうだ。

菊池さんに茶化され、伊達さんに突っ込みを入れられた瞳が、笑ったりしながら楽しい時間は過ぎる。


だけど、今日の瞳はちょっとだけ違っていた。

何かを覚悟しているのを誤魔化そうとしている、そんな気配を感じ取っていた。

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