第21話

 ぶっ壊れた。

「こーちゃんが完全にぶっ壊れちゃった…。」

日曜日の昼ごろ、受話器越しに震える声で類君から連絡が来た時、居ても立ってもいられなくて病院へ向かった。

バスで駅に向かい、そこで病院方面へ走るバスへ乗り換える。

片道1時間はかかってしまう。


病院に到着する。

不安な気持ちを抑えつつ、病室へと早歩きで向かった。

ガラッ

光司の病室の扉を開けたけど、そこには誰もいなかった。

ナースステーションに向かい、彼のことを尋ねる。


「あっ…、安藤さんね…。突然暴れてしまって腕を骨折しちゃってね。今は治療中なの。もう少ししたら病室に戻ってくると思うわ。」

そう教えてもらう。

暴れた…?骨折…?

不安が広がる。


トボトボとロビーに行くと、光司のお母さんと源五郎おじいちゃんと類君がいた。

三人共うつむいていた。

「あの…。」

私は恐る恐る声をかけた。

それほど三人は酷く落ち込んでいた。


「瞳ちゃん…。」

光司のお母さんが、今にも泣いてしまいそうな表情で私の両腕を掴んだ。

その手は少し震えていた。

「何があったのですか…?」

おじいちゃんは顔を背けた。それを見た類君が答えてくれた。


「俺らさ、やっぱりこーちゃんには絵しかないって思ってさ…。それでスケッチブックと鉛筆を渡してみたんだ…。そしたら急に大きく震えて、叫んで、暴れて、壁とか殴りまくってさ…。それも腕が折れても続いちゃって…。」


絶句してしまった。

私も最終手段は絵が鍵になるとは思っていた。

だけどこんな結果になってしまうなんて…。

やっぱり絵への想いは、誰もが想像するよりも深く大きい。

そのデリケートな部分に、私達は安易に触れてはいけなかったのかも知れない。


暫く待たされた後、看護師に呼ばれ医師の元へと案内された。

お母さんと私が話を聞く。

「息子さんですがね、相当なストレスと精神的ショックを受けたようです。」

予想通りの回答だ。

精神安定剤とかを使い様子を見つつ、最悪は拘束するとまで言っていた。


「会って話をすることは出来ますか?」

だけど医師は首を横に振った。

今は薬で眠っていることを告げられる。

先生は精神科医を担当に付けてサポートすると言ってくれた。

お母さんは少しだけ安堵の表情を見せたけど、悲しげな顔だった。


私もお母さんも、光司は目が不自由な患者ではなく、精神異常者扱いされていることが辛かった。

しかし腕が折れても暴れてしまったのも事実。

私達は受け入れるしか選択肢がなかった。

だけどこの時、目が覚めるまで待つべきだったと後々まで後悔した。


 光司の様子はこまめに連絡が入った。

目が覚めた時、食べ物を口にしたとか、そんなことまで伝えてくれている。

だけどその中には耳を塞ぎたくなるようなこともあった。

誰の声にも反応しなかったり、自分の体を傷つけようとしたりする日が続いている。

ただ、そこは県内随一の総合病院。

精神科医界隈では、多少は名の知れた女性の医師が担当についてくれたようだった。


 1週間後、見舞いにと病院に向かう。気が気では無かった。

それこそ勉強にも部活にも実が入らないよ。

部屋は前の場所から精神科へと移されていた。

ナースステーションで彼の新しい部屋を教えてもらう。


向かう途中に気になったのだけども、ドアは外から鍵が掛けられるようになっていて、ドアの窓ガラス部分には開閉式の蓋みたいなのが付いている。

廊下側から部屋の中の様子が見られるようになっていた。

ドアの開いている空き部屋をチラッと見た時に、外壁側の窓ガラスには鉄格子があるのにも気が付いた。

大変な所に来たという実感と共に、何だか嫌な予感がした。


廊下に取り付けられているネームプレートに「安藤 光司」の名前を見つけドアを開けようとしたが、鍵がかかっている。

そこで、近くにいた白衣の女性に面会出来ないか訪ねてみた。

「面会謝絶だと伝えてあったはずだけど?」

少し威圧的だった。見下ろす目線が鋭い。

「あの…、少しでいいんです…。」

「駄目です。」


即答だった。

私は更にお願いしようと口を開いた。

「彼がどれだけ心に闇を抱えていたか知らないでしょう。そこへ、目が見えていた時に大好きだった絵を無理やりやらせた。そんなことをしたら心なんて壊れちゃうの。今はとても精神的に不安定だし、絵を思い出す全ての人は面会謝絶とさせてもらっています。」

私には、素人が口をだすなと聞こえた。


カチンときた。

家族や恋人だからこそ出来るケアだってあるでしょ!

………。

でも言えなかった。


光司は絵が描けなくなってもいいから私の病気を治したいと言って実戦してくれた。

それに甘えてしまって、彼がどれだけの思いでそう言ってくれたかまでは気が付いてやれなかった。

それは負い目だったし、態度は気に入らないけど、ここの医師達が彼を救ってやれるなら、専門家に任せた方が良いだろうという、誰もが辿り着く答えを導き出してしまっていた。


それほど私達もショックだった。

これほど酷い状況になるとは誰も予想出来なかった。

彼が本当の意味で壊れてしまう前に助けてやって欲しい。

今は、もう、それを願うことしか出来ないと思ってしまっていた。

誰もが直接的に彼を救えないと思い始めていた。


だけどそれは自分達の甘えだと後で気が付くことになる。

自分達こそ光司を救ってやれるのだと自覚するべきだった。

やり方は間違っていたのかも知れない。

危ない状況だったかも知れない。


だけどやっぱり彼を救ってやれるのは自分達だった。

その事に、一人だけ無意識に気付いている人がいた。

類君だった。


 俺が源爺と病院を尋ねた時は、どうやら瞳ちゃんが帰った後だったようだ。

「類、面会謝絶らしいぞ。」

源爺がナースステーションでそう告げられた。

だけど俺は諦めない。

諦めないことだけが、今の俺に出来ることだからだ。


「源爺は待ってて。」

彼の行動力は頼りになるけど、時には手に負えなくなることも知っている。

梅婆さんからも散々聞かされてきたし、俺らも見てきたからな。

そんな源爺は、下手すると強行手段に出るかもしれない。

そうなったら面会なんて、誰も出来なくなっちまう。


担当医を聞き出し、連絡を取ってもらった。

直ぐに目付きの鋭い女性がやってきた。

「面会謝絶だと聞かなかった?」

ガキを躾けるような言い方だった。

イラッとしたが、ここで挑発に乗っては駄目だ。


「理由を教えてください。」

俺は純粋な田舎小僧を演じてみた。

「光司君は絵が好きだったみたいだけど、あなた知ってる?」

探りを入れてきていると直感した。

「絵が上手なのは知ってるけど、好きだったかどうかは知りません。」

嘘を付いてみた。

相手がどうでるか見たかったからだ。

「あらそう、ならあなたは影響は少なそうね。」

そう言いつつ後をついてきてと言われ、不安そうな顔を演じつつ指示に従った。

途中やってきた看護師が、彼女のことを村田先生と呼んだことにより、名前もわかった。


部屋の前に着いてから注意事項を聞かされる。

絵やクラスの話題は禁止、今日は見舞いに来たことと、友達がみんな光司君の事を待っていることを伝えるように言うことと、それ以外は喋っちゃ駄目だと指示された。

なんだよ、偉そうに。

内心そう思いつつも、今回だけは指示に従うつもりだ。


面会謝絶がいつまで続くか分からないので、この村田とかいう奴の信用を得ないと誰も会えなくなってしまう。

身近な人の支えが必要になる時が絶対にくる。

あいつは元々人間が好きな奴だ。

一人にする方がキツイに決まっている。

幼稚園の時から一緒にいる俺が言うのだから間違いない。


ただ、扉が開いてこーちゃんを見た時の衝撃は暫く忘れられそうになかった。

拘束着でベッドに横たわる彼の無表情な姿が、あまりにも悲惨だったから…。

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