第16話

 「瞳殿!」

呼ばれた少女はワシの声に我に返る、その純粋な瞳からは大粒の涙がこぼれていた。否、愛がこぼれておった。

「時間がないのじゃ。話を聞いておくれ。」

少女は拭い切れない涙を拭う。


「先程も申したように、8月15日は霊力が一番強くなる、つまりワシや妖怪どもの力が一番強くなる日である。そして一回り、つまり次回、今年と同じ干支を迎える12年後、この年は高賀山に宿る力の周期で霊力が更に強くなる年である。目を取り戻した妖怪さるとらへびは、その時を待てば封印を自ら破り脱走することも可能じゃろう。そうなったらこの辺一体は地獄絵図と化してしまう。」

少女は再び真剣な表情で話を聞いている。


「最優先するべきことは、妖怪をどうするかというこになる。一つは更に強力な封印を施し外に出られない状況を作る方法。もう一つは倒してしまう方法がある。」

「光司の目を取り返すことは出来ますか?」

ワシは大きく頷く。

「可能ではある。だが、その場合はもっとも困難な方の妖怪を倒す選択肢となる。」

「仲間は…、いらっしゃらないのですか?」

「どこかに居るかも知れんが…。そのような話は知らぬ。」

協力者を探すという方法は有効ではあるが、12年では探しきれるかどうか…。120年あるならば考慮しても良かったかもしれない。


一息入れて話を続ける。

「瞳殿、倒すとなれば、もはやワシ一人では太刀打ち出来ぬ。巫女の血を引く瞳殿にも助力を願う。」

「巫女の血…?」

「そうじゃ。巫女とは、この世に招かざる化物共を倒したり、封印したり出来る唯一の存在。あのぬえの中でも一際獰猛どうもうなさるとらへびを言葉だけで後退りさせた。これは巫女の血が流れておらねば不可能。巫女は言葉に力を乗せることも出来る。それを『ことちから』と呼ぶ。」


少女は一瞬考えたようだったが、直ぐに真っ直ぐな目を向けてきた。

「私に出来ることがあれば何でも言ってください!」

心強い言葉だ。

しかも巫女の言葉となれば、ワシまで今は無用な勇気が沸く。


体の光が薄れてきたことに気付く。

「時間がない、ワシの注意事項をよく聞き12年後に備えよ。」

「はい。」

「まずは、妖怪さるとらへびを倒すのは、瞳殿、そなたである。」

「!?」

突然の言葉に少女は驚く。そりゃそうじゃろう。


「理由は二つ。ワシの心の臓をお主に渡したが故、そなたは生きながらえた。そなたの心臓はワシが預かっておる。なるほど、このままだとこの心臓は朝までもつまい。だがワシは霊体ゆえ、この状態でも死ぬことはない。しかし、このままではワシはあやつには勝てぬ。力を発揮出来る実体をもって臨まねば倒せぬ相手なのじゃ。その為にはワシには心の臓が必要、それはそなたが危険なことになる。つまり、心臓がなければワシでは倒せぬということじゃ。」

そこまで言うと瞳殿は深く頷き理解した。


「もう一つ、お主は巫女の血を引き継いでおる。それ故に、ワシの愛刀「朱雀すざく」を操ることが出来る。この剣は巫女の血を引く者にしか抜けぬ。それにワシは妖術でそなたを助太刀すけだちすることもできる。」

少女は震えているように見えた。


武者震い…、ではないだろう。恐怖…、でもなさそうじゃ。

そう、覚悟…、覚悟を決めているようだった。

「わかりました…。やります!彼の…、光司の目を取り戻したいのです!」

「奴を倒し奪う。その時にはワシの心の臓も返してもらう。良いな?そうじゃないとワシは取り戻す儀式すら行えぬ。しかし注意せよ。お主の心臓は夜明けまで持たぬ。」

「分かりました…。元々、死ぬ運命だった身です。12年後まで、死ぬ気でやります!」


力強い返事だった。

いつの世も、愛という姿、形の無い物が人知を超える唯一の力となる。

ワシもそのはずじゃった…。


「最後にお願いがある。毎年8月15日、祭りの後でもよい、お主の髪を捧げて欲しい。本来は生贄の方が、力が一気に増すのだが好きではない。髪ならば再び伸びる故、捧げ易いであろう。それによりワシは少しでも力を溜めやすくなる。巫女の血を引くそなたの髪でないと駄目だぞ。来年より12回。必ず忘れるな。台の風が起きても捧げよ。」

「はい…。」


「決して忘れるでないぞ。時間は長いようで短い。瞳殿は剣術も学び、全ての準備を整えるのじゃ。失敗すれば少年の目が戻らぬばかりか村人にも危害が及ぶ。忘れるでないぞ…。」

ワシは力を使いきり姿が完全に消えると、祠に戻ることにする。

おっと、忘れるところじゃった。


「来年は違う酒を納めるよう伝えておいてくれ。さすがに何百年も同じじゃ飽きるわい。」

ワシは祠に戻り眠りについた。

現世でも倒せなかった妖怪退治に向けて、1000年の時を得てようやく動き出した。


 「いったい何が起きたのだ…?」

おじいちゃんが腰を押さえながら近づいてくる。

膝が震えていた。

私は意識のない光司の頭を膝に乗せている。

ハンカチで血の涙を綺麗に拭く。

「おじいちゃん…、どうしよう…。光司の目が見えなくなって絵を描けなくなっちゃった…。」

また涙が溢れる。


「取り敢えず生きておるか…。」

おじいちゃんは光司の顔を覗き込み、そっと頭を撫でた。

「こいつは本当に大馬鹿野郎だ…。大切な絵を…、あんなに好きだった絵を…。馬鹿野郎…。」

おじいちゃんも涙が溢れてる。

彼のほうが、光司がどれだけ絵が好きなのかを知っているかもしれない。

「光司のお袋さんに何て言えば…。」

ハッと考えてしまった。

ファン第1号と豪語するお母さんは、彼の絵が美大の偉い人に認められていることを喜んでいるに違いない。

一気に気が重くなった。


「瞳は大丈夫なのか?」

倒れながら光司のところまで来た私は、きっと心臓のせいだと思われただろうし、実際そうだった。

だけど今は信じられないほど体が軽く調子がいい。

「私は大丈夫。むしろ元気よ。光司が目と引き換えに心臓をくれたの。おじいちゃん…、私、光司に貰った命、彼の為に使いたい!」


このままじゃ耐えられない。

彼の大切な物を奪ってまで生きるのは辛すぎる。

「まずは光司の家族に報告するぞ。それから今後の事を皆で考えよう。」

おじいちゃんは光司を担ぎ車へ乗せた。

私も車に乗り込む。

彼が倒れないようギュッと抱きしめながら移動した。


 光司の実家では大騒ぎになった。

取り敢えず大きな病院で緊急患者として診察を受ける。

だが、眼科の専門医が夜勤対応していなかったため、彼を病室で休ませながら全員待機することとなった。

誰もいない必要最低限の照明しか点灯していないホールの片隅で、光司の両親とおじいちゃんに、何が起きたのかを説明した。

「信じてもらえるか分かりませんが、見たことを話します…。」

そう、まるでお伽話のような内容だけど、ついさっき起きた出来事なのに、私自身半信半疑な気持ちも残っている。


光司がおじいちゃんに嘘を言って高賀神社に残っていたこと。

妖怪が出現し、光司の目を奪ったこと。

私と彼はその妖怪に喰われそうになったこと。

そして藤原の高光様が出現し、妖怪を一時的に封じ込めたが、12年後再び出現し、その時はあの辺の地域全体が危険に晒されること。

彼の両親はうつむきながら話の全貌を聞いていた。

にわかに信じがたい話なのは間違いない。


特にお母さんの方はボロボロと泣き続けていて、そんなことよりも光司が絵を描けなくなった事実が受け入れられないようだった。

しかし、意外にもお父さんの方がこの場の雰囲気を変えた。

「事情はわかった。もしかしたらこんな田舎だからこそ、今だに信じられないようなことが起きたのかもしれんなぁ。」

「お父さん!光司は…、絵が描けなくなった光司はどうなるのよ!」

「落ち着け!」

こんな真剣な顔をしたお母さんの顔はみたことがなく、印象的だった。


「俺達が慌ててどうする?絵の話しは皆でフォローし、乗り越えていかなくてはいけないことだろ。それに12年後、チャンスは残されている。そこに全力を注ぐんだ。これは光司のためでもあり、瞳ちゃんの為でもあり、俺達を含む村人全員のためでもある。そういうことだろ?」

お母さんは顔をくしゃくしゃにしてお父さんの胸の中で泣いていた。


少しの間の後、私は自分の考えを話し始めた。

「私が想像するところでは、とにかく光司が絵を描けなくなったことにより、壊れてしまわないかということです。彼は息を吸うのと同じぐらい、いつでもどこでも当たり前のように絵を描いていました。今回の件では、私達で言えば息を吸うことを止められたようなものです。その苦しみは誰の想像よりも辛いものかもしれません。最初は傍にいて立ち直れるよう、フォローしようと思っていました。だけど、その想像を絶する苦しみから救うには、やはり専門の知識が必要なんじゃないかと考え始めています。光司の専門医、専門カウンセラー、専門看護師…、色々と道はあると思っています。ついさっきまで、私は近々死ぬ運命にありました。こんなことにはなりましたが、寿命が12年伸びました。私にしか出来ないことを、どうか、やらせてくれませんか!?お願いします!!」


大人達は妖怪退治という重荷まで背負ってしまっている私に同情していた。

それゆえ、光司のことまでお願いするには辛い状況だったのかもしれない。

事実、お母さんは涙が止まっていなかったけど、こちらこそお願いします、と頭を下げてきた。


「具体的にはどうするんだ?」

おじいちゃんが心配している。

「…。まだ分からない…。でも、長いようで短い、短いようで長い12年という時間を…、無駄なく使わないといけない…。」


一度は死を覚悟した少女の決意。

それは周囲の大人を、一応は説得するには十分だったが、やはり不安は大きい。

何せ、妖怪退治だの目を取り戻すだの、目標が現実的ではないからだ。

ただ、彼をフォローする為の勉強とかは現実的だ。

だからこそ、その部分だけは大人達は理解してくれたと思う。

その時である。見覚えのある白衣を着た医師が近づいてきているのに気が付いた。

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