シュレーディンガーの猫
「では、実験内容を説明するよ。使用するのはこの部屋だ。ここには窓も監視カメラもマイクもない。ひとたび扉を閉めれば完全なブラックボックスとなるように作られている。部屋の中央に置いてあるこの箱には、ある装置と生きた猫を既に入れてある。装置というのは」
「毒ガスの発生装置ですか? なるほど。シュレーディンガーの猫ですね」
滔々と説明する研究員を遮り、若い男が口を挟んだ。いかにも大学生風の浮ついた口調からして、おそらく実験のために学内から調達された被験者なのだろう。
そんな彼の言に対して研究員はというと、あからさまなため息と沈黙で応じた。たったこれだけのやりとりで相当に気分を害しているらしい。驚くほど狭量な男だ。
「いえ、すみませんでした。続けてください……」
実験後の報酬金額を思い出したのか、若者は慌てて取り繕う。研究員は彼の卑屈な態度に一応は満足したようで、以降は一気に説明を終えた。
「今回はガスではなく高圧電流の発生装置を使用する。装置は、箱の中に設置してあるレバーに猫が接触し、押し下げられることで作動する。実験開始から1時間たったら、君はこの部屋に入り、箱を開けて猫の生死を確認する。確認が済んだら再び箱の蓋を閉じ、あそこにある別の扉から、さらに奥の部屋へ進んでくれたまえ。その後は追って指示を出す」
そして実験が始まった。
だが、シュレーディンガーの猫はあくまで思考実験だ。実際に観測できるのは生きた猫か、すでに死んだ猫かのどちらかという、ごく当たり前の状態でしかない。
箱を開ける前の、生きた猫と死んだ猫のどちらでもありどちらでもないという不確定な状態を観測するのは元より不可能なのだから、実質まるで意味がない。何を考えているのか。
1時間後、被験者が箱の中を確認。その後彼は奥の部屋へと進み、そこで研究員の手に握られた拳銃の銃弾を受け、死亡した。
同様にして、実験に参加した何人もの被験者は、次々と研究員の手で殺されていった。
恐るべき大量殺人さえ厭わない、この狂った研究員の意図は恐らくこうだ。被験者の観測によって猫の生死は一度はどちらかに確定する。だが唯一の観測者であるその被験者が死ぬことによって、箱の中は再び、誰にも観測され得ない状態へと巻き戻る。
たぶん箱の直上あたりに仕掛けられているのであろう隠しカメラの映像を後から確認して、そこに死から生へという有り得ない逆転が記録されていれば、この実験は成功というわけだ。
だが、そんな逆転は絶対に起こらない。
何故なら私自身が、私が生きていることを知っているのだから。
こんなレバー、誰が押すか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます