312.便箋-Stationery-

1991年7月28日(日)PM:15:33 中央区人工迷宮地下二階


 急拵えの感が否めない事務机と椅子。

 阿賀沢 迪(アガサワ ユズル)は、一人座っている。

 その手にあるのは常人には理解不能な報告用紙。


「日本語で書いてって言わなかった私が、愚かだったわ」


 苦笑いの表情の迪。

 彼女が見ている報告用紙。

 そこには、常人には理解不能な文字が並んでいる。


「トルエシウンとリンダーナ、シャイニャンはちゃんと日本語で書いてくれたのにね。シャイニャンにはリンダーナが言ったのかな?」


 報告用紙を次々に捲った迪。

 溜息の後、彼女はそう呟いた。


「ファイクロンのは、私が書き直すしかないわよね。拗ねかねないし」


 大きく溜息を付いた迪。

 白紙の報告用紙を取り出すと、ボールペンを握った。

 理解不能な文字を見ながら、書き写し始めたのだ。


「全く。私だから読めるけど、この龍印書(ドラクシンニャント)の補助がなければ、ただの未知の言葉なんだからね。もう」


 文句を言いながらも、手は休めない。

 理解不能な報告内容。

 その全貌が徐々に明らかになる。


「報告以上の数がいたって事なのね」


 一度、その手を止めた迪。

 若干険しい表情だ。

 報告用紙を真面目に読み始める。


「これは、先に古川さんに報告した方がいいのかもしれないな」


 二枚目の中程まで読み進んだ迪。

 無意識にそう呟いていた。


「六月の事件が無ければ、荒唐無稽な話しと思われたでしょうけど」


 ふと近付いてくる足音に気付いた迪。

 彼女は顔を右後方に向けた。

 視線の先、歩いてくる女性。

 迪はその顔に見覚えがあった。


「あなたは確か。臨時で東京から派遣されいる西宮さんだったかな?」


 西宮と呼ばれた女性。

 若干挙動不審な眼差しだ。

 迪の声に、おどおどし始めた。


「あ・阿賀沢第二班班長。お・おぼ・覚えて頂けてうれしいです。あり・ありがとうございます」


 彼女の反応に、思わず苦笑した迪。

 立ち上がると、西宮に体を向けた。


「西宮 加奈痲(にしみや かなめ)さんだったかな?」


「は・はいぃ。そうですぅ」


 上擦った声の加奈痲は、少し顔を俯けている。


「そんなに緊張しなくてもいいのに」


「も・申し訳ありましぇん」


 無造作に並べられている椅子。

 その椅子の一つを指差した迪。


「とりあえず、椅子に座りましょうか」


 対面する形の椅子に腰を下ろした迪。


「き・きょ・恐縮です」


 縮こまったままの加奈痲。

 迪は優しく微笑みかけている。

 彼女が椅子に座るまで、ゆっくりと待った。


「でもなんでまた、こんな所に態々一人で?」


「あ、えっと、はい。こ・こちらを」


 手に持っていた鞄。

 その中から、封書を一つ取り出した加奈痲。

 震える手で、迪に渡した。


 渡された封筒を訝しげに見つめた迪。

 加奈痲から受け取った。

 裏の差出人の名前を見て彼女は安堵する。


「先に中身を見た方がいいのかな?」


「え・えっと、あ、はい」


「わかった」


 立ち上がった迪は事務机に戻る。

 ペンスタンドの中から選んだのはペーパーナイフ。

 シンプルな形ながら何かの紋章が刻まれている。

 慣れた手付きで、封筒の口を切った。

 自然な動作で中の手紙を取り出す。


 飾り気の無いシンプルな便箋。

 書かれている文面は丸文字。

 ゆっくりと読み始めた迪。

 最後に一瞬、顔を苦痛に歪めた。

 だが直ぐに笑顔に戻る。


「らしいと言えば、らしいけど。まったく」


 加奈痲は、ただただ座っている。

 生真面目な表情のはずだ。

 だが一瞬、彼女の顔が歪んだように見えた。


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1991年7月29日(月)PM:15:01 白石区ドラゴンフライ技術研究所四階


 一人椅子に座り、コーヒーを啜っている石井 火災(イシイ カサイ)。

 テーブルの上には、資料が散乱。

 彼はその一つを手に取り読んでいる。

 真剣に読んでいた為、直ぐに気付けなかった。


 彼を見下ろす形で見ている形藁 伝二(ナリワラ デンジ)。

 火災が存在に気付くまで微動だにしない。

 そのまま、五分程が経過して彼は気付いた。


「随分と真剣に読んでいたようだな」


「あぁ、あぁ? 声かけてくれればいいのに」


「いつ気付くかと興味が沸いてな」


「悪趣味なだなぁ?」


 苦笑いの火災と、微笑みの伝二。


「座るぞ」


 火災の返事は待たない。

 対面するように腰掛けた伝二。

 手に持つコーヒーカップをテーブルに置いた。

 火災は特に気にはしていないようだ。


「なぁ、この天使殺し(エンジェルキラー)と竜殺し(ドラゴンキラー)って何なんだ?」


 暫く無言だった二人。

 先に口を開いたのは火災。

 伝二はコーヒーを一口飲んだ。


「そのままだな」


 伝二の反応に、口をへの字に曲げた火災。


「いや、そりゃわかってるよ。天使殺し(エンジェルキラー)は天使の天敵、竜殺し(ドラゴンキラー)は竜に対して絶対的アドバンテージがあるって事だろ?」


「そうだな」


「だが、なんでなの?」


 彼の言葉に、思案する伝二。


「ふむ。そうだな。天使や竜、魔王、女神などと言われる絶対的強者が何故に絶対的強者なのかわかるか?」


「え? そりゃぁ、俺達になんて制御も内包も出来ない阿呆みたいな魔力があるからじゃねぇの?」


 火災は、暫く考えた後そう答えた。


「もちろんそれもある」


 一瞬、目を瞬かせた火災。


「それも? 他にも理由があるって事か?」


「そうなるな。魔王以外は推論の部分もあるがな」


「推論でもいい。気になるわ」


 僅かな時間、目を瞑った伝二。

 火災は、急かす様な事はしなかった。

 瞼を上げた伝二、少しゆっくりと口を開く。


「魔力というものは、何色にも染まっていない純粋なエネルギー。ここまではお前も理解していよう?」


「あぁ、コウノトリを信じる少女のような純心無垢なもんだな」


「そうだ。そこに方向性を決める事で、様々な現象を起こしている。その方向性は二種類。属性と特性の二種類だと儂等は考えている」


 話しを聞いている火災は、首を少し傾げた。

 思案しているようにも見える。

 だが、伝二は構わずに続けた。


「属性は火水土風。もっとも構築の方法等により、それ以上の種類に細分化してたりもするが」


「あぁ、確かにな。じゃ、特性ってあれか?」


 動かそうとした口を一瞬止めた伝二。

 その表情は、訝しげになった。


「あれ? が何を言っているのかわからんのだが」


「ん? あぁ、ほらあれ。硬度だったり粘性だったりだよ」


「まぁ、そうだな。間違ってはおらぬな。因子もそもそもは純粋という事じゃ」


 コーヒーカップを手に持った伝二。

 ゆっくりと何度か嚥下した。


「あぁ、そうか。わかったわかった。でもそれが天使殺し(エンジェルキラー)と竜殺し(ドラゴンキラー)と何か関係あるのかよ?」


 訝しげな眼差しの火災。

 じっと伝二を見ている。


「天使や竜ももちろん魔力を持っているわけだ。だが、その魔力は即座に別の力に変換されておるんだよ」


「変換されている? まさか? そうかそうかそうゆうことか」


 納得したかのように微笑む火災。

 伝二は、そんな彼を見つめていた。


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1991年7月29日(月)PM:17:44 中央区人工迷宮地下七階


「あいつの話が本当なら後数日か」


 並んでいる無骨な四つの椅子。

 その一つに座っている青年。

 白い瞳孔に黒い虹彩。

 黒髪は無造作に伸ばされている。


「残りの俺達はまた暇潰しに行ってるのか」


 大蜥蜴のような生物に齧りついた。

 皮膚を食い破り、肉を咀嚼する。

 周囲に響くのは咀嚼音のみ。


「俺達がついでに餌を持ってきてくれるからいいが、ただ待つというのも暇なものだ」


 口が血に塗れるのもお構いなしだ。

 再び大蜥蜴のような生物に齧りつく。

 飛び散る血を気にする素振りも無い。


「俺達は生きる事に飽き飽きしていた。だから、ここに来れたのは良かったのかもしれないな。少しは楽しませてくれると嬉しい限りだ」

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