297.突貫-Onrush-

1991年7月23日(火)PM:18:54 中央区人工迷宮地下三階


 疲労した表情の岩西 甚汰(イワニシ ジンタ)。

 隣の片倉 涼(カタクラ リョウ)も疲れた顔だ。

 姿勢を低くしたままの二人だ。

 じっと前方を見つめている。

 顔から流れる汗。

 二人は順番に水分を補給した。


 この二人に限らない。

 この場で作戦に従事している隊員。

 もちろん個人差はあるだろう。

 だが誰もが精神的にも肉体的にも消耗していた。

 常識外の巨大蟷螂(デカイヤツラ)を相手にしている。

 その重圧だけでも、精神的疲労は大きい。

 更に待ちの時間が非常に長い作戦だからだ。


「おう、頑張ってるな」


 手に小銃を持つ刀間 刃(トウマ ジン)。

 彼の背後に付き従っている倉方 柚(クラカタ ユズ)。

 何か両手サイズの機械を持っている。


「刀間三佐に、倉方三曹、おつかれさまです」


 目の役目も兼ねている片倉。

 彼は前方を注視し続ける必要がある。

 その為、答えたのは岩西。

 ほんの少しだけ、顔を後ろに向けた。


「別に本元じゃねぇんだ。階級なんて付けて呼ばなくてもいいぜ。何かくすぐったいしよ。まぁ、いいや。本部からの連絡は来たかと思うが、本日はここまでだ。まぁ、最後の方になってすまないけどな。とっておきを準備するからそのままもう少し待ってろ。柚、オッケーか?」


「ええ、大丈夫」


 極力囁くような声。

 彼等は会話している。

 小銃を構えたままの刃。

 二人の間を通って前進する。


 柚は機械を抱えたままだ。

 ゆっくりと彼に続いて歩く。

 岩西と片倉から少し前に出た場所。

 柚は手に持つ機械を地面に置いた。

 刃は、彼女よりも少し前方に進んでいる。

 周囲を警戒をしていた。


「刀間さ・・刀間さん」


 一瞬呼び方に迷った片倉。


「呼びやすい方でええねんで?」


 何故か突然方言になった刃。


「あ、はい。前方にたぶん数三。距離があるので、奥にまだいるかもしれません。どうやらこちらにゆっくり向かってくる模様」


「ちっ。お前等残弾はどのくらいだ?」


「予備の弾倉があと・・あ」


 岩西は、突如動揺したように声を上げてしまった。


「すいません。装着しているので最後です」


「そうか。柚、あとどれぐらいかかる?」


「数分。五分ってところかな?」


「速度を上げてきました」


「あれだけ片してんのに、どれだけいるんだよったく」


 構えてた小銃を足元に置いた刃。

 無線機を手に持った。


「本部、こちら刃じゃねぇや、ウィスキーワン。最近飲んでねぇな。そーいや。コードなんだっけ? あぁえっと、不足の事態発生。必要無いかもしれないがロメオに弾丸補充頼む。後叱ってやるなよ。どうぞ」


『ウィスキーワン、こちら本部。ロメオへの補給了解。後ちゃんと覚えろ刀馬鹿。それで不足の事態とは? 説明求む。どうぞ』


「あぁ、わりぃ。そんな時間ねぇわ。念の応援よろしく。じゃ」


 柚に一度視線を向けた刃は、再び前に視線を戻した。

 四体の銅鎧蟷螂(カッパーアーマーマンティス)が見える。

 既に指呼の距離まで迫っていた。


「柚、俺がお陀仏したら後の対処よろしく」


 彼女の反応を待つつもりのない刃。

 腰の刀を抜いて両手で構える。

 そのまま向かってくる四体に突貫した。


「ちょっと? くっ。私の指示があるまで発砲しちゃ駄目。もし刃に当てない自信があるなら歯向かってもいいけど?」


 何も言えない二人は、顔を見合わせた。

 刃に当てない自信などはない。

 事の成り行きを見守るしかない二人。

 片倉と岩西は、刃の戦いを見つめている。

 その眼差しは当初、絶望しかけていた。

 だが徐々に驚愕に変わっていく。


 計八本の鎌手による攻撃。

 紙一重で躱していく刃。

 攻撃の後の隙を見逃さない。

 一体の鎌手を斬り落とした。


 背後から突進してくる銅鎧蟷螂(カッパーアーマーマンティス)。

 左に避けつつ体を沈ませる刃。

 同時に体を回転させている。


 回転による遠心力も追加された一撃。

 横薙ぎにより振りぬかれる刃。

 二体目の胴体を両断する。

 宙を舞う、蟷螂の体液。

 二箇所、肌の表面を掠る傷を負った刃。

 それだけの負傷で、四体を完全に沈黙させた。


「すげぇぇぇ」


 感嘆の声を漏らした片倉。

 岩西も、じっと食い入るように見ていた。


「刀馬鹿、展開するからとっとと戻れ」


 階級的には、上官であるはずの刃。

 彼に対するとは思えない柚の言葉。

 刃が、機械の柚側に戻る。

 その後、柚がいくつか操作する。

 すると二重になった障壁が展開された。


「これは一体?」


「ゆう・・有賀三佐の伝で借り受けたものです。物理結界展開機とでも言えばいいのかな? 理論上は蟷螂達(アイツラ)には突破出来ないはずです。すくなくとも既に展開済みの場所からは、突破された報告は入っていないですよ」


「つーことで。これでお前等もゆっくり一息つけるってわけだな」


「この刀馬鹿、はらはらしたじゃないですか!!」


 刃を見ると、突如激昂した柚。


「そう馬鹿馬鹿ゆうな。馬鹿なのは自分でもわかってんだ」


「遅くなりってあれ? 不足の事態がどーのって?」


 急いで来たのが丸わかりだ。

 野流間(ノルマ) ルシアは胸を上下させている。

 息切れしているのは間違いなかった。


「あぁ、俺が片付けたから問題なくなったわ」


 刃を驚きの顔でみたルシア。


「えっ? あぁ、そうなの? 皆無事で良かったって事でいいのかな?」


 ルシアは若干釈然としない表情だ。


「いいんじゃねぇか?」


「良くありません。刀馬鹿、後で説教は覚悟して下さいね」


 状況がさっぱりわからない。

 だが、二人の遣り取りにとりあえず安心したルシア。

 切羽詰まっていた表情が安堵に変わっていた。


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1991年7月23日(火)PM:20:12 中央区人工迷宮地下三階


 手元にある作戦書。

 記載を手書きで加えていく有賀 侑子(アリガ ユウコ)。

 計画よりも大分進捗は遅い。

 彼女としては一日で終わらせたかった。

 しかし、作戦というものはその通りにいかないものだ。


「やっぱり、予定通りにはいかないものよね」


 彼女は、椅子から立ち上がった。

 腕を上に真っ直ぐ伸ばし始める。

 更に、凝り固まった肩を解すようにゆっくり回し始めた。


「シャワー浴びたいな」


 回していた腕を止めた侑子。

 再び椅子に座ると手にボールペンを持つ。

 作戦書に、再び今後の変更点を記載し始めた。


 一人没頭している侑子。

 集中していた彼女は気付いていない。

 足音が背後から聞こえてくる。

 すぐ背後まで近づいてきた音。

 驚いて振り向くと、柚がゆっくりと歩いてくる。


「有賀三佐、元監察官札幌支部第二班、本日フタサンマルマル到着予定との事です。まだ元ではないのかもしれませんけど」


 思わず疑問の表情を浮かべた侑子。


「どうゆう事?」


「組織の解体は一応決定したようですが、その後継組織をどうするかで揉めているようです」


 侑子は少しだけ険しい顔になった。


「精霊庁の職務の正当性を確認する組織なんだっけ?」


「建前はそのはずです。今の実情は、ただの後処理組織になっているようですが」


 思うところがあるのだろう。

 複雑な表情を浮かべる侑子。


「原因はともかく、私達と同じで十年前の関東の事件で、規模や権限が縮小されたんだったかしらね?」


「はい。そのはずです」


「私達は資料の上でしか知らない事だけど、当事者はどんな気持ちだったんだろうな」


「三佐・・・」


「私達も他人事ではないし。いつ解体されてもおかしくは無いよね」


 何と答えていいかわからない柚。

 二人はしばらく無言になった。


「変な事言ってごめん。ゆ・・じゃないや、倉方三曹」


「はい」


「ブってん君だっけ?」


「物理結界展開機の事ですね」


「うん、一応動作問題ないか見てきてくれる?」


「わかりました」


「問題なければ報告はいらないから、そのまま休憩いいよ」


「はい。三佐」


「あぁ、でもどっちにしてもここは通るか」


「そうですね」


「それじゃ、一応報告してね」


 微笑む侑子に、柚も微笑を返す。


「了解しました」


 ビシッと敬礼した柚。

 侑子も返礼を返した。

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