279.愚痴-Grumble-

1991年7月17日(水)PM:14:11 中央区精霊学園札幌校第三学生寮女子棟一階一○三号


 物憂げな表情で、ベッドに横たわる少女。

 日本では比較的珍しい白髪のロングヘアー。

 彼女の褐色の肌が、より白さを際立たせている。


「アティナさん、最近元気なさそうですね?」


 彼女に問いかけたのは同室の銅郷 杏(アカサト アン)。

 彼女はベッドに腰掛けている。

 腰まである長い髪の毛。

 今日は頭の後ろで結い上げている。


「そ・そうですか? そんな事は」


 ありませんと続けようとしたアティナ・カレン・アティスナ。

 杏の眼差しにその後を口に出来なかった。


「お兄さんの事が何処までが事実なのかは私にはわからない。元気だしてって言う方が無理でしょう。だからこそ思ってる事を誰かに話せば少しはスッキリするかもしれないと思いますよ」


 慈しむような眼差しの杏。

 アティナは魅入られるように目を逸らせない。

 一度目を瞬かせた彼女は、静かに口を開いた。


「私や兄が夜魔族(ヤマゾク)なのはご存知かと思います」


 彼女の言葉に頷く杏。


「実際には夜魔族(ヤマゾク)にもいろいろと居るそうです。ですが簡単に言えば血を吸う事で強くなる種族なんだそうです。もっとも私達兄妹は、吸血を禁止されてますが」


「週に一度パックで届いた赤い血みたいなのを飲んでるのは知ってるけど、吸血とそれは違うのですか?」


「はい。私達にとって血というものが美味なるものなのは変わりませんが、吸血しない限りは本当微々たる効果しかないそうです」


「そうなんですね」


 そう言いつつ、立ち上がった杏。

 食器棚からコップを二つ取り出す。

 冷蔵庫を開けて取り出したスポーツドリンク。

 二つのコップに注ぎ始めた。


 アティナは、動く彼女に視線を合わせている。

 特に何かを言う事はない。

 上半身を持ち上げた彼女。

 コップを二つ手に持ち戻ってきた杏。

 その後差し出されたスポーツドリンクの入ったコップ。

 感謝を述べた上で、受け取った。


「杏さん、ありがとうございます」


「いいえ、話しを続ければ喉が渇くと思いまして」


「あっちに移動してもいいですか?」


 テーブルを指し示すアティナに首肯した杏。

 対面する形で椅子に座った二人。

 アティナが静かな声で再び話し始める。


「本人の性格と育った環境の影響もありますが、兄は人間を見下している節がありますし、自分達が上位の種族であると今でもきっと考えているのでしょうね。一個人としてどうしようもない屑の部分が多分にあると、妹である私から見ても思います。それでも唯一残された肉親です。何とか助けたい」


「それは噂になっている話が、どこまで本当でどこまでが嘘なのかによるんでしょうけど」


「はい。おそらく杏さんが知っているのは兄が銀斉さんや三井さんを襲ったが、返り討ちにされたという事ですよね」


「そうです。何故そうなったのかその経緯はわかりません」


 コップからスポーツドリンクを三口飲んだアティナ。


「非は兄にあるのは確実のようです。古川理事長から聞きました」


 伏目がちになるアティナ。

 杏は何もかける言葉が見つからない。

 スポーツドリンクを一口飲んだ。


「古川理事長からは兄が事件を起こしてしまった理由と、真実を本人に聞いて欲しいと頼まれました。兄と話しをするべきだと思う自分と、真実を知れば兄を助ける事は出来ないと考える自分がいるんです。吸血衝動が原因ではないかとも言ってましたが、もしそうならば何故吸血衝動が引き起こされたのかを知りたいんだと思います」


 彼女の話しを聞いている杏。

 少し思案気な表情になる。


「吸血の衝動ってそんなに凄いんですか?」


 杏の質問に、アティナは直ぐには答えなかった。


「私は吸血行為はした事がありません。なので言葉で教えられた事になりますが、相手の血を吸う時に、力を吸い取るのと血を吸い取るのと二重の快楽が体を突き抜けるそうです。その快楽が相乗効果を伴い、人間では耐えられないような快感が体を駆け巡るそうです」


「言葉だけで聞いても体験しない限りはわからない感覚なのかもしれませんね。実際に聞いてみても何の意味もないかもしれません。でもその快楽を知っている可能性のある人物なら心当たりがあります。その方に話しを一度聞いてみるというのはどうです?」


「吸血についてですか?」


「そうです。もっとも私も同じクラスなだけで知り合い程度ですけど。なので素直に応じてもらえるかはわかりません。どうしますか?」


-----------------------------------------


1991年7月17日(水)PM:14:42 中央区精霊学園札幌校第一学生寮男子棟一階一○一号


 ベッドで横になっている三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。

 彼は上半身だけ起こしている。

 彼をお見舞いに来ているのは地樹鎖爾 濡威(チキサニ ヌイ)と地樹鎖爾 澪唖(チキサニ レア)。

 二人は黒と白のハーフパンツにティーシャツ姿だ。


「全く部屋の壁ぶち抜くとか有り得ない。本当有り得ない。修理するのはこっちなのに」


「魔力を提供するのであって、実際に修理してるのは濡威じゃないだろ?」


 濡威から放たれた言葉。

 義彦は思わず突っ込んだ。

 彼の言葉に土御門 鬼湯(ツチミカド キユ)は少しだけ笑った。


「文句言うのかい? そーかいそーかい、じゃ今後義彦の部屋が壊れても修理しないわ」


「二人して程度の低い喧嘩ですね」


 思わず零れた澪唖の呟き。

 笑う義彦と、唖然とする濡威。


「澪唖、だってな?」


「逃げる為に壊さざるを得なかったのでしょうに。濡威兄はただ文句を言って構って欲しいだけでしょ?」


 彼女の言葉に、何も言い返せ無い濡威。


「まぁ兄はほっといてと。義彦さん、体の方はどうなんです?」


「あぁ、今週中には動けるようにはなると思う」


 拗ねてそっぽを向いている濡威。

 澪唖は彼の行動を気にする素振りも見せなかった。


「体もですが、治らない傷の方です」


「あぁ、あれか。体感でしかないが回復してきてる気はするな」


「鬼那が喜びますね。かなり気にしてたようですから」


 鬼湯の言葉に、驚く義彦。


「傷のことなんて一度も聞いてこなかったぞ?」


「意識を覚醒させたばかりで、言葉を話すだけでも体力を消耗しかねない状態。聞き難かったのでは?」


「鬼湯ちゃんの言う通りかもね。義彦さん、もう少し空気を読めるようにならないとですね」


 微笑む澪唖と鬼湯に、渇いた笑いの義彦。

 濡威は、一人頭を垂れていた。。

 妹である澪唖に無視されている。

 その事にショックを受けているのだ。


-----------------------------------------


1991年7月17日(水)PM:15:15 岩見沢市国道十二号


「あーあー、まったーくどーこまで逃げるーのかーなー?」


 黒塗りの車内の後部座席。

 愚痴を溢すアラシレマ・シスポルエナゼム。

 灰色のスーツに身を包んでいる彼。

 運転席と助手席に座っている黒スーツの男を見た。


「そーれーでー、どーなのー?」


「はい、B隊が中里夫妻の臭いを辿って追跡中です。A隊も別ルートで目標の進行したと思われる方角へ移動中です」


「りょーかーい。追跡続けさせてーねー。なにもーのかわからなーいけど、七人ものお荷物をかーかえなーがら、よーくここまーで逃げれたもーんだな。そーゆー点ではすこーしこの追跡劇もたーのしーな。でーも、臭いをたーどりながらだーと、どーしても車を止めなーいとだーめだーし。追いつーけるのかーな? うーん? いっそ車おーいてはーしるかー? でもさーすがにそれーもどーなのー? 嗅覚の性能はあーがるけーど、そーのかわーりいーろいーろと呼び寄せそーだーしなー。それでむーだに時間消費しーたら本末転倒だーよなー? うーん、迷うなー」


 彼の言葉にも二人の男は何も言わない。

 至極真面目な表情のままだった。


-----------------------------------------


1991年7月17日(水)PM:17:11 中央区精霊学園札幌校第三学生寮女子棟四階四○三号


「はぁ? 何それ? いたいけな女の子に何言ってんの!? 意味わかんないんだけど?」


 受話器を耳に当てているアルマ・ファン=バンサンクル=ソナー。

 相手の発言に、赤面して思わず声を荒げた。


「アルマさん、声荒げてどうしました?」


 同じ部屋のラミラの心配げな声が聞こえる。

 一度受話器から耳を離したアルマ。


「何でもない。相手の言う事にちょっとびっくりしただけ」


「そうですか。ならいいのですが」


「本当、ごめん」


 電話口から聞こえる微かな声。

 少し冷静さを取り戻した彼女。

 再び受話器を耳に当てる。


「いきなりおかしな事聞かないでよ。思わず声荒げちゃったら、心配されちゃったじゃないの。それで? 何でそんな質問に至ったのかちゃんと説明しなさい。キ・リ・ハ・ラ・ユ・ウ・ト」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る