280.素麺-Vermicelli-
1991年7月17日(水)PM:18:43 白石区ドラゴンフライ技術研究所付属隔離センター二階十二号室
「住居って言うより牢獄みたい」
黒い全身甲冑に話しかける少女。
彼女は赤紫の髪に青紫の眼だ。
「聞いた話しでは、もともとはアカサトなんとかという、人の心を癒す施設だったようです。防音についても問題ないようですね」
「その割には凄い厳重。窓一つないんだし。隠れるには丁度いいんだけどさ」
「そうですね。表向きはあなたは行方不明扱いのままです。我々は立場上外出は許可されていませんが、欲しいものがあれば職員に言えばいいのですし」
「そうだけどね。ルシフには感謝してる。あれからずっと私を匿ってくれてありがと。最初は正直本当食べられるんじゃないかって怖かったけど。きっと食べてしまわないようにしていたあなたの方が相当辛かったはずだよね」
「そこは気にしないで下さい。助けようとした相手を食べてしまう愚公は冒しませんよ。でも今だから正直に申し上げますが、あの時鎧の中まで調べられたらと戦々恐々でした」
「本当今更だね」
少女の微笑みに呼応するようだ。
鎧からも笑い声が聞こえた。
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1991年7月17日(水)PM:18:44 中央区精霊学園札幌校第四学生寮女子棟三階三○三号
「素麺ばかりでごめんなさいね。でも動いても大丈夫なの?」
台所で長葱を輪切りにしている斑 友麻(マダラ ユマ)。
背後で動きを停止している沢谷 有紀(サワヤ ユキ)。
彼女に心配そうに声をかけた。
有紀は、ただただ絶句していた。
視線の先、木箱に入れられ詰まれている十個の箱。
友麻の言葉で、彼女は現実に舞い戻る。
「まだ少しだるさは残ってますけど、普通に動く分には問題なさそうです」
一度言葉を途切れさせた有紀。
「ちょっとこの量には驚きですよ。でもこれだけあるなら素麺ばかりでもどうしようもないですね。二人じゃ食べきれなさそうですけど」
「そうだよね。たぶん実家にはこの十倍あるんだろうな」
「じゅ・・・・十倍ですか?」
驚愕の表情の有紀に、友麻は苦笑いしか出来ない。
「おばあちゃんの友人が、毎年送ってくるそうよ」
「そうなんですね。毎年どうしてるんですか?」
有紀の質問に、長葱の輪切りを終えた友麻は微笑んだ。
「私の実家って、使用人含めると凄い人数が多いんだよね。だから素麺続きにはなるけど消費しちゃってるかな?」
いろんな意味で有紀は再び絶句するしかなかった。
「す・凄いですね。斑さんの家って凄いお金持ちなんだ」
「んー? どうなんだろうね? 夕飯もう少しで出来るから座って待ってたら?」
「あ、はい。そうしますね」
友麻の言葉に従い、その場を後にする有紀。
ガスコンロには大きい鍋に蓋がされている。
微かに蒸気が零れ始めていた。
冷蔵庫からサーモンの刺身の柵を取り出す友麻。
刺身包丁で、慣れた手付きで縦半分に切る。
その上で平造りで切り始めた。
一人椅子に座った有紀。
小さな半透明のシールドのようなもの。
眼前に出し始めた。
出した後は維持する事なく、すぐに消す。
何度か同じ事を繰り返している有紀。
トレーの上に二つの浅い半透明の皿と箸。
コップを載せている友麻が歩いて来た。
「有紀さん何してるんですか?」
「大分回復したので軽く練習です」
苦笑いの表情の有紀。
いたずらを見つかった子供のような表情になっていた。
「そう。でも余り無理しないようにね」
トレーをテーブルに置いた友麻。
「はい。ありがとうございます」
有紀は中腰で友麻から半透明の皿を受け取った。
「なんだかおいしそう」
自然と零れた有紀の呟き。
「買い物してた時の思い付きなんだけどね。今日はサーモンと長葱の掛素麺にしてみたの。素麺は分けて寮の皆にお裾分けするつもりだけど、それでも結構な量残ると思うから、素麺メニューはいろいろと考えてあるのよ」
「そうなんだ? それは凄い楽しみです」
心底嬉しそうな微笑になる有紀。
友麻は若干、苦笑いになった。
「でも素麺ばかりは私が飽きるから、一日のうち一食は違うメニューにするつもりですよ」
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1991年7月18日(木)PM:14:58 中央区特殊能力研究所五階
「楠季、おかえり」
扉を開けて入室してきたロングスカートにブラウスの藤原 楠季(フジワラ ナビキ)。
彼女を暖かく迎え入れるスーツ姿の白紙 彩耶(シラカミ アヤ)。
「彩耶様、ただいま戻りました」
深々と頭を下げる楠季。
「今更そんな畏まられても困るけど、昨日はゆっくり休めてる・・・わけもないか」
彼女の言葉に、楠季は何も答えない。
「彩耶、王華は?」
この場にいて然るべき相手がいない。
その事に、彼女は疑問の表情だ。
「楠季が持ち込んだ例の結晶の搬入にいったわ。何かしてないと気持ちが落ち着かないのかもしれないわね」
彼女は悲しげな眼差しだ。
楠季も気丈には振舞っている。
だが、眼の下が腫れ上がっている。
泣き続けていた後なのは明白だった。
「事前に連絡した通りですが、真田 由加里(サナダ ユカリ)さんとマユ・ヒリュさんにも協力して頂きましたが、娘達の足取りを掴む事は出来ませんでした。これ以上居ても情報は無いだろうと思い帰還しました」
「その代わりに見つけたのが結晶って事ね」
「ええ、そうですね。発見したのはマユさん、自衛隊に協力させて解析を試みたのは由加里さんです」
「EETRの日本ランク一位と三位か。立ち話もなんだから、とりあえず座りましょう。王華もそのうち来るだろうし」
楠季をソファーに座らせた彩耶。
コーヒーを二つ入れ始める。
彼女は、コーヒーを入れながら別の話しを楠季に問うた。
「それで砂原さんの様子はどうだった?」
「実力は申し分ないでしょうね。間違いなく新人の中ではトップクラスの戦闘能力です。二丁拳銃メインですが、それ以外の技術もある程度は習得しているようでしたし」
「そうなんだ。幼い頃から修練をしていたのでしょうね」
コーヒーを入れ終わった彩耶。
一つを楠季に差し出す。
「ありがと。それで彼女は誰かを探しているんでしょ?」
「本人から聞いたの?」
「ええ、ちらっとだけどね」
「そう。半年位前にあなた達が行った沖見町の近く、泉町という所で彼女の探し人らしき人物が目撃されたそうよ」
何でそんな事を知っているのという顔をしている。
そんな楠季に苦笑する彩耶。
「新人達に事情を説明した後、彼女が立候補してきてね。後で理由を聞いたら教えてくれたのよ」
彩耶の言葉に納得した楠季。
「搬入は終わった。とりあえずの解析結果だ」
扉を開けて入ってきた藤原 王華(フジワラ オウカ)。
スーツを着崩しているのはいつもの事だ。
しかし今日は、表情も相まって萎びているように見える。
彼は彩耶に一枚紙を差し出した。
その後、勝手にコーヒーを入れて一口飲んだ。
「鎗水室長曰く、残留魔力の干渉が酷すぎるってよ。ただ計測出来た範囲では、宮の森の事件と迷宮内で見つかった結晶の破片と同一の組成の可能性が非常に高いそうだ。そしえ残留魔力の残量が多い事から、短時間で人為的に生成された可能性が高いってよ」
紙を王華から紙を受け取った彩耶。
一度目を通した後テーブルに置いた。
「王華も取り合えず座って頂戴」
何か言おうとした王華だった。
だが、彩耶の強い視線に、言葉を飲み込む。
大人しくソファーに座した。
彼が座ったのに満足したのだろう。
並ぶ楠季、王華とは対面するように座る彩耶。
「ブラッドカーリー事、真田 由加里(サナダ ユカリ)とバリュンヒルデのマユ・ヒリュには研究所からと白紙家からも感謝の意として、お礼の書状を送るわ。それで楠季、さっきの話しから行くと自衛隊は非協力的だったって事なの?」
「どうやら何処かから圧力を掛けられているような感じでした。非常に申し訳なさそうでしたね」
「やはりそうなのね。これは噂レベルの情報なんですけど、五家のうち赤魔家に何やら動きがあるようです」
「赤魔家・・・か」
「ただの噂であればいいのだけど」
「それで私達に調べろと?」
「いやまさか。諜報関係は得意なのに任せますよ。まだ周知出来る段階ではないですし。ただあなた達には教えておこうかなと思っただけです」
「わかりました。心に留めて置きます」
一度目を閉じた彩耶。
彼女が何かに躊躇しているようにも見える。
しかし楠季と王華には、その理由に皆目見当がつかなかった。
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