272.疲弊-Exhaustion-

1991年7月14日(日)PM:21:37 中央区精霊学園札幌校第一学生寮男子棟一階一○一号


 暗がりの中の三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。

 彼はベッドで静かな寝息を立てている。

 消耗し切っていた義彦。

 とは言え、生物である以上お腹は減る。


 いやむしろ、消耗し過ぎた。

 だからこその空腹なのかもしれない。

 空腹を訴え始める体の叫び。

 根負けした瞼がゆっくりと持ち上がった。


「まだ生きてるって事は無事終わったのか? ふ、それにしても空腹で目覚めるなんてな」


 上半身を起こそうと思った彼。

 だが、中々うまくいかない。

 体重が百倍千倍になったかのようだ。

 非常に重く感じる。

 油の切れた機械の如く、非常に緩慢だ。

 ギギギとでも音が鳴りそうなほどの動き。


「ぐぬぬぬ」


 意地で上半身を起こした義彦。


「眼鏡はって、そう言えばぶっ壊れたんだったな」


 徐々に暗がりに慣れ始める目。

 僅かに自分のいる場所の情報が入ってくる。

 そうは言っても、眼鏡がなければ見えない。

 周囲を判別するのがやっとの視力。


「自室・・か?」


 わかる範囲での周囲の情報。

 そこから半信半疑ながらもそう分析した義彦。


「誰だ?」


 彼は今の今まで人がいる事に気付いていなかった。

 近づいてくる人影。

 小柄で、白と赤っぽい服装なのはわかる。

 だが、義彦にはまだ距離があった。

 その為特定まで至らない。


「鬼那・・・・・か?」


「はい、鬼那です」


「悪いな。眼鏡がない状態だと、近くまでこないとお前達の区別がつかなかった」


「そうですか。とりあえず眼鏡です。無理やり修理した形なので、フレームも少し歪んでますし、レンズも罅割れていますので、見辛いかと思いますが」


 義彦に覆い被さるように近付く。

 土御門 鬼那(ツチミカド キナ)は跨る形だ。

 そっと彼に眼鏡を装着させた。


「それで、ここは俺の部屋か? という事は終わったんだな。あの後はどうなった? 俺はどれ位眠っていた? 皆は無事なのか?」


 捲くし立てるようだ。

 思わず連続質問する義彦。

 鬼那は、彼の剣幕に思わず苦笑いになる。


「そう、一度に質問しないで下さい。順を追って説明します。そうは言っても私も聞いた話しですので、疑問点は申し訳ありませんがお答え出来ないと思います。それでもよろしいですか?」


「すまん。あぁ、もちろんだ」


 焦りすぎている義彦。

 その事に少しだけ恥ずかしくなった。


「負傷者はいますが、学園職員生徒含めて全員無事です。消耗し過ぎた方々はたぶん皆眠りの淵かと」


「そうか。他には?」


「山本他数名は、暴走に肉体が耐え切れずに自滅のようです。暴走の原因は不明ですが、おそらく分不相応の力を得た為だろうとの見解。また霊装器の闇 善(ヤミ ゼン)は今も危険な状態のようです。闇 花(ヤミ ハナ)は軽症、兼光村正 黒(カネミツムラマサ コク)は重症ながらも、消滅の心配は無いとの事」


「狐女は?」


「【白銀狐】なる者は、消息不明。正体についても現時点では情報が皆無のようです」


「わかった。とりあえず皆無事なようで何より」


「動けないという意味では義彦さんが一番重症ですけどね」


 少しだけ上目遣いに見つめる鬼那。


「手厳しいな。まぁ、実際しゃべるのがやっとなんだけどな。拳を握るにも一苦労だし、力もどうやらはいらないな」


 溜息を吐き出した鬼那。

 義彦は怪訝な表情になった。


「どうした?」


 鬼那は真剣な眼差しで義彦を見る。


「義彦さん、実際あなたは死にかけてました。血の流し過ぎです。【白銀狐】に一矢報いたのも信じられないと元魅さんはおっしゃってましたよ」


「あの時は無我夢中だったからな。突き刺した後、悠斗が駄目押ししてくれた所までは覚えてるんだがな。その後また意識失ったっぽいからな」


「はぁ、あいかわらず変わりませんね。そうゆう無茶な所。もしアイラさん、クラリッサさんが対処してくれなければ、とっくにポックリいってたんですよ」


 鬼那の言葉に苦笑するしかない義彦。


「血が足りない割には貧血にもなってる気がしないな」


「どなたかまでは存じませんが、善意で輸血の為に血を提供してくれた方がいるそうですよ」


 少し強い眼差しで、睨むように義彦を見る鬼那。

 彼女の表情に、義彦は乾いた笑いになる。


「今は麻酔がまだ効いていると思いますので、そんなに体は痛くないでしょうけども、打撲多数に無数の裂傷擦過傷等。軽度ですけど、骨のヒビも数箇所あります。麻酔がなければ痛みと熱で眠れてなかったかもしれませんよ」


「あははははは・・・・」


 渇きを通り越している。

 義彦は干からびた笑いになった。


「無茶に無茶を重ねた自覚は確かにあるが」


「後詳しい話しはおそらく後日されるかと思いますが、山本が持っていた異装器の他にも黒異装器が存在する可能性が出てきました」


「黒異装器? 負の感情に捕われた霊装器、魔装器、妖装器のいずれかって事か? どうゆう事だ?」


「話してもいいですが、今すぐどうこう出来る問題でもありません。お腹空いているでしょうし、腹ごしらえをしてはいかがですか? 食事しながらお聞き下さい」


「あ、うん? はい。確かにお腹空いている」


 台所に向かう鬼那。

 しばらくして、何かをレンジで温めている音が聞こえて来た。

 彼女はトレーに料理を載せて戻ってくる。


「鮪かそれ? 後野菜炒め?」


「茉祐子さん曰く、鮪のマリネ風サラダとレバーの野菜炒めだそうです」


「鮪はいいけど、焼きレバー・・」


「食べれないとかですか?」


「いや、食べれるけど・・レバーって焼くとパサパサしていまいち好きになれない・・」


 心底嫌そうな顔の義彦。


「駄目です。今日は食べて貰います」


 トレーから片方の手を離す鬼那。

 空いた手で、椅子をベッドの側まで移動させる。

 そして、トレーを椅子の上に置いた。

 何するつもりなんだろうと、じっと見ている義彦。

 この時点では彼は鬼那の意図を理解出来ていない。


「まともに手も動かないんです。はい口を開けて下さい。あーんですよ」


 焼きレバーを一つ箸で摘んだ鬼那。

 皿の上でそのまま待機している。

 義彦が口を開けるのを待っているのだ、


「え? レバーからなの? 鮪だけで」


「駄目です」


 義彦が言い終わる前に言葉を被せる鬼那。

 彼女の決意の篭った眼差しに見つめられる義彦。

 結局彼は折れて口を開けた。


「はい。素直でよろしいです」


 容赦せず、レバーを義彦の口に放り込んだ鬼那。

 諦めた表情で彼は口を動かす。


「それで」


 不味そうな表情の義彦。

 それでもしっかり噛んでから飲み込んだ。


「はい。もともとあの三本、はいあーんして下さい」


 彼女は、鮪と玉葱を義彦の口に放った。


「三本は石黒という陰陽師の持ち物だったそうです」


「おんひょうひのいしぐお?」


「噛みながら喋らないで下さい。彼は長谷部の事件の被害者の一人です。どうやら黒異装器を蒐集していたようですね。何か目的があったのかただの趣味なのかはわかりませんが」


「ほうか。ひかひ、くうのもひとくほうだな」


「だから食べながら喋らないで下さい。詳しいお話しは動けるようになってからですからね。本日は私が護衛兼世話係です。しっかりと食べて体を休めて下さい。後筆頭菜ちゃんも後で来るはずです」


「筆頭菜? 鬼那と同室の娘か?」


「はい」


「しかし、護衛て必要なのか?」


「義彦さん、あなたを疎ましく思っている方は学園内外関わらず少ないながらもおります。お忘れですか?」


「確かにそうだが」


「筆頭菜ちゃんは、魔力を糧に虫を操るので、便利なのです。古川所長にも許可は頂いておりますので問題無しです」


「あ・・そう?」


 どう便利なのかいまいちわからない義彦。

 だが、突っ込んで深く聞く事はなかった。

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