245.挑発-Provocation-

1991年7月14日(日)PM:12:11 中央区精霊学園札幌校東通


 まるで、そこに階段でもあるかのようだ。

 宙空を下りてくる二人の少年。


 上空を見ている山中 惠理香(ヤマナカ エリカ)。

 何処かで聞いた事があるような声。

 二人への攻撃は控えている。


 攻撃された以上は敵である事は間違いない。

 感覚を研ぎ澄まして、警戒はしたままだ。

 しかし、無意識の直感と先生としての矜持。

 その二つにより、攻撃をする事が出来なかった。


 視線だけを正面玄関に向ける。

 奥のほうから、再び植物体が侵攻して来るのが見えた。

 しかし、まだ距離が少しある。

 その為、いつでもどちらにも対処出来るように注意している。

 氷の剣を自身の周囲に滞空させていた。


 下りてくる二人の顔を判別した惠理香。

 彼女は、二人の顔に見覚えがあると気付く。

 自身の記憶を呼び起こして唖然とした。


 つい最近、ほんの二週間と少し前まで赴任していた中学校。

 英語教師として授業をしていた。

 そのクラスのうちの一つ。

 他の授業は殆どさぼっていた。

 だが、惠理香の授業時には必ず登校していた問題児達。

 その中の二人が、下りて来ているのだ。


「惠理香先生、お久しぶりです」


「こんな形で再開するなんて、嬉しい限りですよ」


 遠崎 正也(トオザキ マサヤ)と西崎 佑一(ニシザキ ユウイチ)。

 ニヤニヤした表情で惠理香を見ている。


「反撃もせずに、悉く俺達の攻撃をスルーしていたから、何者かと思ってましたけど、まさか【破壊の踊刃乙女】とか言う二つ名持ちの凄い人だったなんてね」


 惠理香を嘗め回すように見つめる遠崎。


「他にも【踊る刃靭】とか【悶える刃】、後は【荒れ狂う剣】だっけか? あれ? でも悶えるって苦しいって事だよな? 刃が悶えるってどうゆう事なん?」


 西崎は自分で言いながら首を傾げた。


「俺がそんな事知るかよ? あれじゃないのか? 刃に斬られた相手が悶えるとかそんな感じなんじゃね?」


「おー、さすがだ。それなら意味もわかるってもんだな」


 遠崎の言葉に納得した西崎。

 新しい玩具でも見つけたかのような眼差しだ。

 惠理香を見始めている。


「二年生の遠崎君と西崎君・・・」


「まさか覚えてもらえてるとは嬉しいね。それでこそ壊しがいがあるってもんだ。さて先生としてかつての生徒と対峙するのはどんな気分なのかな?」


「あんたは俺達が襲いかかろうが、一度も手を出す事はなかったよな。まあ、俺達は軽くあしらわれていたわけなんだが。さっきも何で攻撃してこなかったのかな?」


 二人の遣り取りを聞いている惠理香。

 古川 美咲(フルカワ ミサキ)に誘われた。

 その時の事を思い出している。

 突然、連絡を寄越した古川。

 その第一声が、酒に付き合えだった。


 彼女が普段とは違った。

 少しだけ緊張した声。

 付き合いが長いので直ぐにわかった。


 たぶん、何か言い難い事でも言うつもりなのだろう。

 古川と十年以上の付き合いの惠理香。

 直ぐにそう感じた。

 だからこそ、合流した後に直ぐに切り出したのだ。


「それで、私を呼び出したのは何かな? ただ呑みたかっただけじゃないんでしょ?」


「あいかわらず察しがいいな。なあ惠理香、普通の先生として、そして魔術師の先生として、教鞭をふるってみる気はないか?」


「え、どうゆう事なの?」


「言葉のままさ」


 古川の表情はいつも通りだった。

 けど、声は微かに震えている。

 合流して早々に切り出される。

 そうは思っていなかったのだろう。


「惠理香、お前がお前自身を許せずにいるのかもしれない。私に相談も何もなく一線を退いた事を、今更責めるつもりはないさ。もしそのつもりならあの後に会った時に追求しているしな」


「うん」


「別に前線に復帰しろとは言わない。でも、そろそろ自分を許してもいいんじゃないか?」


 正直、古川の言葉は嬉しかった惠理香。

 その反面悲しくもあった。


 彼女は自分を許せなくて退いたんじゃない。

 自身の犯した罪から逃げただけだ。

 もし罪滅ぼしをするなら、真実を明らかにするべきだった。

 だけど、何もせず逃げただけなんだ。


 でも罪からは逃れられない。

 そう感じた惠理香。

 即答で断る事も出来なかった。

 何日も何日も彼女は悩んだ。

 そしてあの日、私を目標にしたと思しき魔術師が現れた。


 前線を退いた直後は、惠理香に挑んでくる相手もいた。

 だが、数年も経過すれば、そんな相手もいなくなった。

 でもやっぱり、一度関わったからには抜け出せないんだろう。

 だから、彼女は美咲の申し出を受ける事にした。


 しかし惠理香は、無意識に恐れている状況があった。

 その状況に直面している。

 自分で選んだ道だ。

 でも、なんて最悪なんだろう。

 彼女は、今そう考えていた。


 二人の惠理香への感情。

 彼女も理解しているつもりだ。

 おそらく更生させる事も難しい。

 理解はしている。

 それでも、二人に手を出したくはない。

 でも、二人を止める必要がある。

 堂々巡りの意識に埋没しかけている惠理香。


「せーんせーい? 惠理香せーんせーい、聞こえてますかー?」


 嘲笑するかのようだ。

 遠崎の言葉に現実に戻された惠理香。

 気付けば、遠崎と西崎はすぐ近くにいる。

 ほんの数メートルの距離にいた。


「まぁ、精々足掻いて下さいよね。じゃないと面白くないですから」


 西崎の舌なめずりするような視線。

 直後、前後左右から水の針が、惠理香を襲った。

 滞空させていた氷の剣を回転させて防ぐ。


 いくつかが、回転する氷の剣の外側から飛来する。

 しかし、惠理香はその場で体を捩らせて躱した。


「いやはや。話しだけでは信じられなかったけど、いざ目の前で見せられると信じるしかないな」


 拍手をしている遠崎。

 あっさりと防御された。

 その事に、悔しそうな表情を浮かべている西崎。


「あなた達、今ならまだ軽い罪ですむはずよ。大人しく投降してくれないかな?」


 かつて問題児だった。

 とは言え、惠理香のかつての教え子には変わりない。

 その事実と惠理香の過去の体験。

 二人に攻撃する事を戸惑わせているのだ。

 いや、戸惑わせているのではない。

 忌避しているのだ。


 精霊学園東京校を卒業。

 そのまま学園の教師となった惠理香。

 一年後に古川も学園を卒業。

 コンビで様々な事件に対応するようになった。

 それからも、平行して教鞭を取っていた惠理香。


 ある事件に関わり、調査を進めていた二人。

 結果的に、惠理香は教え子をその手に掛ける事になった。

 事件の全貌もほとんどがわからない中での出来事。


 一級危険種扱いとなった教え子。

 どちらかと言えば、才能に乏しかった。

 そんな生徒が、一級危険種扱いになる。

 どうやって力を得たのか理由もわからない。

 事件は未解決のままだ。


 公的に惠理香が罰せられる事は無かった。

 しかし、逆にその事が彼女を苦しめる。

 心を更に蝕む事になっていた。

 教え子を手に掛けたという現実。

 自分を許す事が出来なかった彼女。

 何の前触れもなく一線を退いた。


「なー、惠理香せんせー? 生徒を殴れないって噂があるんすけど、まじっすか?」


 にやにやと笑う遠崎。


「そう言われて見れば、何度俺達で取り囲んで、殴ろうとしても躱すだけで、手出された事ないな」


 西崎は、遠崎の言葉に納得したかのように呟いた。


「無言は肯定と解釈していいんすかねぇ?」


 俯く惠理香と、酷薄な笑みを浮かべる遠崎。


「かつての教え子を手に掛けたってのも、まじかもしれないっすねぇ。まじなんすか? どーなんすか? えーりーかーせーんせーい」


「え? まじなの?」


「西崎、お前・・。ブラッドシェイクの話し一緒に聞いてただろうに?」


「あれ。そんなこと言ってた? 言われてみれば言ってたような。トライヌ? あれ? トラネコ? 違うな。トラウシ? なんとかもしれないなってあいつ言ってたよね」


「犬とか猫とか牛とかなんだよ。トラウマじゃないのか? そもそも虎と馬じゃねぇぞ」


「じゃあ、何なの?」


「知らんよ?」


 二人の遣り取りを聞いている惠理香。

 どうするべきか困っていた。

 現在の状況を打破する。

 その為には二人を行動不能にしなければならない。

 しかし、惠理香の心が魂が叫んでいる。

 彼らに手を出す事を拒絶していた。


「とりあえず、俺達の目的を果たす前に、やろうぜ」


「そうだな」


 顔を見合わせた遠崎と西崎。

 即座に背後に飛び退った惠理香。

 何かが地面に衝突したような音が響く。

 同時に、西崎の周囲に集まり始めていた水。

 まるで鞭の如く惠理香に襲来した。


 前に後に、左右に、上に下に移動している。

 しなる水の鞭を躱し続ける惠理香。

 事も無げに側転やバク宙をする。

 網の目のようになりつつある水の鞭と水の鞭。

 その間を通っていく。

 彼女の動きに、遠崎も西崎も舌を巻くしかなかった。

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