203.粘液-Mucus-

1991年7月8日(月)AM:11:40 白石区ドラゴンフライ技術研究所地下二階


「ごーちそーさーまでーした」


 側に歩いて来た形藁 伝二(ナリワラ デンジ)。

 振り向いたアラシレマ・シスポルエナゼム。

 押さえ付けていた鳥澤 保(トリサワ タモツ)の拘束を解き立ち上がる。


「人間というのはやはり脆いものだな」


「そぅーだねーぃ。一気に吸い取られーる衝撃に意識喪失しちゃったーねー」


 意識の無い鳥澤の額が、かすかに圧迫される。


「透明だかーら、僕にーは見えなーいけど、はじめーたよーだねー」


 それからしばらく無言の二人。


「アラシレマ、どうやら鳥澤には白紙 彩耶(シラカミ アヤ)の式神が二匹同行していたようだ。藤原 柚華(フジワラ ユズカ)と藤原 柚季(フジワラ ユズキ)という名前。しかし、既にこの場にはいない。いけという発言はお前に攻撃するという意味ではなく、二匹の三角鬼(サンカクキ)の式神に対する言葉だったようだ」


「あーあの二匹、式神だったーんだーね」


「気付いてたなら何故逃がした?」


「僕はじーぶんがたーのしめれーばどーでもいいって知ってるでーしょ」


「今正体が露見すると、予定している楽しみも水泡に帰すかもしれんがいいのか?」


「あー、それーはこまーるな? わかったー行ってくるー」


「くれぐれも人間としての正体を明かすんじゃないぞ」


「それーじゃ、このまーま行くけーど、たーぶん騒ぎーになるんじゃなーい?」


「しょうがないだろうな」


「わかったー」


 形藁の前から消えたアレシレマ。

 扉の開く音と、何かが駆けていく音が彼の耳に響く。

 すれ違う研究員達の側。

 暴風の如く通り過ぎるアラシレマ。

 その動きにはまるで迷いは無い。


 階段を駆け上がり、一階の天井に張り付いたアラシレマ。

 一直線に外へ出る為にエントランスホールへ向かう。

 吹き抜ける暴風に、大混乱に陥るホール。

 だが誰一人、彼の存在を認識する事は出来なかった。


 外に出て、マンションの壁や屋上を走り抜けていく。

 道路と道路の間は、信じられない跳躍力を発揮し飛び越えた。

 いくつかの道路を飛び越えて対象を見つける。


「念の為、臭いを嗅いーでおーいて正解だったーねー」


 アラシレマの視界に見えた二人。

 白衣(シラギヌ)と緋袴を着ている童女。

 かなりの速度で走っている。


 しかし、思ったよりも近くにいた。

 その事にアラシレマは疑問を感じる。

 疑問は一旦脇に置いたアラシレマ。

 捕まえる為に一気に跳躍して二人の前に飛び込んだ。

 同時にアラシレマの口から紡ぎ出された言葉。


≪空間隔離(スペースクアランティーン)≫


 詠唱直前にアラシレマの耳に届いた会話。


「ここ何処だろう? 距離が離れ過ぎているようで、主ちゃんを感じる事が出来ないし」


「うん、それに何か嫌な感じのが。あ、やばいかも」


 二人が気付いた時には、詠唱は完了。

 捕らえてしまった。

 四角く切り取られているような黒い空間。

 その中に着地したアラシレマ。


「いやー、使う事なんてなーいと思ってたけーどねぃ」


「何者ですか?」


「ぼーく? 僕はアラシレマ――【四赤眼の黒狼】って言った方が有名なのかーなー? 自分で名乗ったこーとなんていーままでーなーいんだーけどねー? それで、どっちが柚華ちゃんでどっちが柚季ちゃんなんだろーねぃ?」


 相手の名乗りと、名前を言い当てられた事。

 最高潮の警戒をする二人。

 頭に三本の角が現れ、凄まじい魔力が発せられた。

 脱出する方法を模索し始めた。

 時間稼ぎの為にアラシレマの質問に答える。


「私が柚華です」


 蜜柑色の髪に瞳、白衣(シラギヌ)。

 スリットの入った緋袴の少女が答えた。

 手にはそれぞれ形状の異なる金砕棒を持っていた。

 片方は八角棒に、正方形の四角推型の棘がたくさんある。

 もう片方は無数の半円型の棘に覆われていた。


「とーなりのすこーし小さいほーが、柚季ちゃんってこーとかー?」


『この空間から脱出する方法を考えるまでの時間稼ぎに話しに付き合いましょう』


『わかったよ。柚華姉』


 アラシレマが一人納得している。

 その間に、思念のやり取りで会話をする二人。


「はい。そうです。はじめまして。柚季です」


 そうアラシレマに答えた少女。

 手に長さの異なる薙刀を持っていた。

 長い方は刀身の身幅が細く反りが少ない静型。

 身幅が広く反りの大きい巴型が短い方だ。

 短い方は、薙刀と呼んでいいか微妙。

 見る人が見れば、意見が分かれるかもしれない。


「打撃武器のダーブルと斬撃武器のダーブルって、おーもしろーい組み合わせだーね。ところで、匂いと気配はあったんだーけど。どーやって姿を見えないようにしてたーのー?」


 警戒と恐れを感じているような二人。

 その前でも、アラシレマはアラシレマのままだ。

 攻めてくる様子のないアラシレマ。

 訝しげな顔の柚華と柚季。


「光の屈折の応用です」


 柚季の言葉に、しばし考えるアラシレマ。

 しかし、思考は柚華の言葉に中断された。


「それでこの空間は、魔術で生成されているようですが? 私達を閉じ込めてどうなされるおつもりですか?」


 彼女の質問に、悩んでいる素振りを見せたアラシレマ。


「うーん? 捕まえるーのがもーくてきなんだーけどねー。たたかーいをたのしーむってのもいいかなぁ? どーせー誰も僕達に気付かないだろーしねー。やっぱーりこれってー、表のよーすわかんなーいのかー?」


「あなたとあの男、確か防衛省特殊技術隊第四師団の副師団長の形藁氏は、何故鳥澤氏を? そもそも何故彼はあそこに運ばれたんですか?」


「んー? そーだねー? イーノム曰く、こーんとーんの世界の為のてーごまーかな? 敵対すると邪魔だーけど、手駒にでーきれば、相手の戦力を減ーらせて、こっちの戦力拡充ってこーとなんじゃなーいかな」


 奪取する方法もこの状況を打開する方策もない。

 アラシレマと会話を続ける二人。


「そーそー、こーの空間は、僕のまーりょくで維持してーるから、万が一にでもぼーくをたーおせれば、脱出でーきるよ」


 会話を続ける間も、思念でのやり取りをしている二人。

 アラシレマの言葉を聞いた後の行動は迅速だった。

 一直線に突っ込む柚華と、右斜めに走っていく柚季。

 二人の行動を楽しそうに見て、微笑んでいるアラシレマ。


 柚華の一撃目が、太腿に突き刺さった。

 肉が裂け、骨が砕ける。

 がくんと左斜め下に崩れていくアラシレマ。


 垂直に振り下ろされた二撃目。

 アラシレマの右肩に打ち下ろされた。

 体中を駆け巡る痛み。

 微笑を崩さないアラシレマに恐怖する柚華。


 それでも左手の金砕棒をアラシレマの腰に突き刺した。

 渾身の一撃で振り抜く。

 踏ん張りもしないアラシレマ。

 そのまま柚季の向かっていた方向に吹き飛ばされた。


 待機していた柚季。

 二本の薙刀を器用に扱う。

 飛んで来たアラシレマに斬撃を繰り出していく。


 一撃が肉を断ち切った。

 骨を切断した二撃目の斬撃。

 飛んでいく方向を変えられたアラシレマ。

 血と肉片と骨片を振り撒きながら彼は吹き飛んだ。


 両手足を失い、大量の出血。

 普通の生物ならば虫の息という有様のアラシレマ。

 しかし、巻き戻しのように集結を始めた血や肉、骨。

 その光景に、二人は心底恐れ戦く。

 辛うじて悲鳴を上げる事はなかった。

 しかし、普通の感性ならばトラウマものの光景だ。


「ふたーりとも、いい攻撃だったーよー。ほんとーはもっとあーそびたーいけど。ざーんねん。あ、そうか。捕まえたあーとに、回復させーてからあーそこに閉じこーめてあそべーばいいんだ。うん、そーしよー」


≪酸毒腐粘液(アシッドポイズンミューカス)≫


 完全に回復したアラシレマ。

 それまで目の前の光景に動く事の出来なかった二人。

 行動に移すのが少し遅かった。


 アラシレマの言葉と共に現れた存在。

 ぐつぐつと煮え滾っている。

 緑と紫の液体に纏わりつかれた二人。

 叩いても切り裂いても、まるで意に介してない。

 柚華と柚季にくっ付いていく。


 服を溶かし、肌を焼かれる痛み。

 顔を顰め、叫びをあげそうになるのを耐える二人。

 魔力で生成した、風と火の合わせ技で二人は一度は脱出する。

 しかし、液体は徐々に増えて、限りのある空間を満たしていく。


 液体に注意を割かれていた二人。

 アラシレマの行動に即座に反応出来なかった。

 柚季の目の前に瞬時に移動した彼。

 押し出すような前蹴りで彼女を吹き飛ばす。


 手に持つ二本の薙刀で逸らそうとした柚季。

 蹴りの威力を逸らし切る事が出来ない。

 液体の中に吹き飛ばされた。

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