196.多感-Impressionable-

1991年7月7日(日)PM:12:35 中央区精霊学園札幌校北中通


「あそこだよ」


 愛菜が指差した先。

 北中通と西中通がぶつかる交差点。

 そこにはありあベーカリーと書かれている看板があった。


 表からも店内の様子が確認出来る。

 店内にたくさんいるお客。

 たぶん学園関係者なんだろうな。


 愛菜に急に手を握られた僕。

 引っ張られるように店の前に連れて行かれた。

 窓越しに見える店内は木造りらしい。

 茶色系の色合いに統一されている。

 何処かシックな印象を受けた。


「結構混んでるね」


「そうだね。たぶん大半は僕達と同じ学園の学生なんだろうさ」


 先生らしき人もいる。

 けど、僕は見た事がない人だ。

 なので、たぶん小等部か高等部の先生なんだろう。


 緑のドレスとベールの二人の少女。

 メイド服の猫っぽい耳の人等。

 様々な服装の人が入り乱れている。


「愛菜、中に入ろうか」


「うん」


 トレーとトングを僕が持った。

 店内で販売されているパン。

 愛菜と二人で見ていく。


 アンパンやウィンナーロール。

 チョココロネ、アップルパイやピザ等。

 様々なパンが並んでいる。


 昼時でお腹が空いているのもある。

 けど、どれもがとてもおいしそうだ。

 結局トレー一つでは収まりきらなくなった。

 愛菜があらたにトレーとトングを手に持ってくる。


 その間も、人の入れ替わりはそれなりに多い。

 会計を先に済ませる事を愛菜に告げた僕。

 一人で列の最後尾に並ぶ。

 そして僕の会計の順が回ってきた。


「桐原 悠斗(キリハラ ユウト)、私は拳を預けるもの。あなたなら拳を纏うものになれるかもね」


 突然囁く様に聞こえてきた声。

 全く聞き覚えがない。

 声の聞こえてきた方に視線を向けた僕。

 だけども、混雑しているこの状況。

 声の主が誰なのかはわからなかった。


 僕の突然の動き。

 レジを担当していた店員さんが首を傾げている。

 その店員さんの仕草が可愛かった。

 彼女の影響もあったのだろう。

 少しだけ恥かしい気分になったのは内緒だ。


 微妙に店員さんから視線を逸らした僕。

 奥に見えた黒髪のパン職人。

 一瞬、獲物を物色しているような眼差しに見えた。

 それは気のせいだろうか?


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1991年7月7日(日)PM:18:57 中央区精霊学園札幌校第一商業棟一階


 僕は今、学園内の中華料理屋にいる。

 ありあベーカリーの裏側。

 店の名前は龍宝貝(ロンバオベイ)。

 中国から学園に入学した学生。

 その親の知り合いがやっているらしい。


 隣では愛菜が微笑んでいる。

 テーブルには様々な料理。

 そして、向かい側に座っている二人。

 茉祐子ちゃんと古川理事長だ。


 本当は義彦と吹雪さんが呼ばれるはずだった。

 それがどう転んだのかはよくわからない。

 二人の変わりに僕と愛菜にお声が掛かった形だ。


 料理は凄くおいしい。

 だけど、何故僕達二人なのだろうか?

 怪我の事を考慮したのだろう。

 義彦が来れないのはまだわかる。

 でも吹雪さんが来れないのは謎。


 茉祐子ちゃんは残念そうではある。

 しかし一応は、納得はしているようだ。

 わかってはいても若干申し訳ない気持ちだ。

 それでも、愛菜と茉祐子ちゃんは楽しそうに会話している。

 今更考えても、どうしようもないか。


 同じクラスの山紅さんと橙蘭さん。

 店員としていたのは正直びっくりした。

 ミニスカート状で肩の露出しているチャイナドレス。

 凄くセクシーだとは思う。

 けど、視界に入ると若干目のやり場に困る。


 僕がこんな事を思ってるのを知ってか知らずかはわからない。

 時折微笑みを返してくれたりする。

 その度に、愛菜の視線が突き刺さってる気がした。

 きっと気のせいだろうな。

 うん、そうゆう事にしておこう。


 古川理事長は、僕達に何か話しがあるだろう。

 そう思ってたけど、結局そんな事はなかった。

 声が掛かった理由もよくわからい。

 僕達は中華料理をご馳走になった。

 それだけでお開きになった。

 愛菜は満足しているようだから、良かったのかな?


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1991年7月7日(日)PM:20:46 中央区精霊学園札幌校第一学生寮男子棟四階四○一号


「微笑ましい光景でしたね。悠斗さん、物凄く懐かれてましたし」


 嬉しそうに微笑む雪乃下 嚇(ユキノシタ カク)。

 彼の言葉は、先程まで悠斗一緒にいた二人。

 愛屡駄 琉早南(アイルダ ルサナ)、愛屡駄 莉早南(アイルダ リサナ)。

 その遣り取りを見ての事だ。


 彼女達の両親も一緒に訪れていた。

 心からの感謝を悠斗に述べる。

 彼に懐いている娘達。

 二人の姿を微笑ましい顔で見ていた。


 嚇は良いものを見させてもらいました、という表情だ。

 悠斗は嬉しいような恥ずかしいような微妙な気分。

 実際には迷子だった二人を送り届けた。

 それだけだと、彼は思っている。

 何故自分がそこまで懐かれているのか理解していない。


 彼女達が懐いている理由。

 迷子だったのを送り届けた。

 だがそうではない。

 また別の理由ではある。

 だが、多感になり始めた少女の心の機微。

 悠斗に理解せよというのは酷というものだろう。


「そう言えば、学園内歩いてて思うんだけど、電柱とか全然ないよな。電気とかどうしてるんだろう?」


 何気ない悠斗の言葉。

 笑顔から一転して真面目な顔になった嚇。


「そう言われてみれば、一本も見た記憶ないですね。地下に電線を埋めてるんですかね?」


「そうなのかな? でもさ。そもそもこんな山奥に電気って通ってるのかな? そうじゃなくて自家発電だとしても、これだけの規模の施設賄えるものなのかね?」


「どうなんでしょうか? 詳しい人に聞いてみるしか」


 二人、思わず思案にくれる。

 だが、真実を知る方法を見出せない。

 しばらく、そうして考えている二人。

 突然悠斗が、何か思い付いたように嚇を見た。


「義彦に聞いてみればわかるかも」


「三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)さんですか?」


「そうそう。学園開始前から度々ここに足を運んでたみたいだし。暫定風紀委員に任命する為だったんだろうね」


「そうですね。聞くだけ聞いてみましょうか」


 こうして、悠斗の案を受け入れた嚇。

 二人は部屋を出ていく。

 廊下から下の階に降りる階段に向かう。

 階段から三階を通り越し、二階、一階へと降りて行く。


 一○一号の前に辿り着いた二人。

 数秒呼吸置いてから、インターホンを鳴らす悠斗。

 しばらくして義彦の声が聞こえてきた。


 鍵を開ける音の後、開かれる扉。

 中から出てきた義彦。

 軽く挨拶をすると二人を中に促す。

 悠斗と嚇は、義彦に促されるままに中に入った。

 ベッドに腰掛ける義彦。

 備え付けの椅子に座る悠斗と嚇。


「悪いが、飲み物は飲みたいなら勝手に入れてくれ。大人しくしてろってあいつ等がうるさいからな。予備の鍵も持っていきやがったし、いつ来るかわからん。もっともコーヒーと紅茶しかないけどな」


 そう言った義彦は苦笑いだ。


「嚇、どうしようか?」


「紅茶を頂きます。悠斗さんと三井さんも紅茶でいいですか?」


 悠斗と義彦が頷いたのを確認した嚇。

 紅茶を入れる為に立ち上がった。

 彼が戻ってくるまで、他愛も無い会話をしていた二人。

 嚇が義彦と悠斗に紅茶を手渡して、椅子に座る。

 彼が座るのを見届けた義彦。


「それで、こんな時間に訪問して来るなんてどうした? 何かあったのか?」


 彼の言葉に、顔を見合わせた悠斗と嚇。

 少しの間を置いてから、悠斗が口を開く。


「いえ、たいした事じゃないんですけど。ちょっとした疑問があったので。義彦なら何か知っているかなと思ったんですよ」


 悠斗は何故か、微妙に丁寧な言葉になった。


「疑問? 答えられる範囲でなら答えるが?」


「ありがとうございます。それで疑問なんですが、学園の施設規模ってかなりありますよね? でもこれだけの施設の電気をどうしてるのかなと。覚えてる限り電柱とか見た記憶ないですしね」


「そうだな。電柱は無い。全部がそうなのかまでは知らないし、原理とか構造とかの説明も出来ないが、魔力を変換して電気を得ているそうだ」


「元が魔力なんだ。それじゃその魔力は一体何処から?」


「悪いな。それは答える事は出来ない。学園の施設維持の心臓部だからな」


「そうですか。そうですよね。電気が止まったら一大事ですし」


 二人が会話を続けている。

 その間、嚇は耳を傾けながら静かに紅茶を啜っていた。


「機密情報は知る人が少ない方が、外部に漏れる可能性も低くなるそうだ」


 明確に疑問が解決したとは言い難い二人。

 しかし、これ以上話しを聞くのは難しい。

 悠斗は、彼の言葉からそう考える。

 その後は嚇も交えて、学園の話しを少しした。


 しばらくして、話しが一段落。

 悠斗と嚇が退散していった。

 室内に一人になった義彦。

 ベッドに寝転がりながらひとりごちた。


「俺よりも優秀な人間なんて他にもいるのに、何で重用されてるんだろうかね? この能力以外、何の取り得もないのにな。俺なんかよりも悠斗達の方が向いてるだろうに」

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