161.悪夢-Incubus-

1991年6月18日(火)AM:3:33 中央区特殊能力研究所付属病院五階七号室


 時折轟く破壊音と悲鳴。

 何かが焦げ付く異臭。

 微かな鉄のような匂い。

 吐き気を催すような腐臭。

 視界はどす黒い赤に染まっている。


 私は何故?

 こんな所にいるのだろう?

 体に走る、耐え難い痛み。

 何故なんだろうか?


 私は病院のベッドで、寝ていたはずなのに?

 これは夢?

 それとも現実?


 現実なわけないよね?

 そう!?  夢、夢に決まっている!!


 誰だろう?

 何故なの?

 どうして!?


 そんなにも楽しそうなの?

 こんなにも血生臭い場所にいる。

 にも関わらず、楽しそうに笑っているの?


 お願いだから、壊さないで。

 何故、そんなにも破壊を振りまくの?

 いや・・・。


 やめて、お願いだからやめて。

 痛い・・・。

 お願いやめて。


 それ以上続けるなら、私は止めないといけない。

 この場で戦えるのは、私だけなのだから。


 でも、怖い。

 凄く、恐い。

 足はガクガクしてる。

 指先も震えている。


 それでも、私が戦わなければ、守れない。

 守る?

 誰を守るのだろう?


 わからない。

 けど、守らないとといけないんだ。

 だから、私は戦う。


 こっちに向かってくる。

 いや・・こないで。

 お願いこないでよ。


 やめてよ、やめてやめて。

 お願い、やめて下さい。

 いや、やめて。

 駄目、お願い。

 だめぇぇぇ。


「はぁはぁはぁはぁ・・・。ゆ・・夢?」


 目覚めた間桐 由香(マギリ ユカ)。

 右足はギブスをした上で釣られている。

 ギブスで、右手も動きは制限されていた。


 ネグリジェとシーツの為にわからない。

 だが、その他にも傷が多数。

 包帯が巻かれている状態だ。

 そんな彼女が、自由に動き回れるはずもない。


「ゆ・・め・・? でも、誰だろう? 何処かで見た事が、あるような気がする。それも最近のような? そんなわけないよね。夢だしきっと気のせい・・だよね?」


 体中汗だくになっている。

 カラカラに乾いた喉。

 水分を欲しているのがわかった。

 無意識に掠れた声で呟く。


「それにしても・・・なんて・・・おかしな夢。誰かを守っていたみたいだけど、誰を守っていたんだろう?」


 泣きたいわけではない。

 不思議と、由香の目から溢れてくる涙。


「あ・・あれ? また・・? おかしいな・・・? 何で・・・涙が出てくるんだろう?」


 指で涙を拭う由香。

 どんどん溢れてくる涙。

 止む気配がなかった。


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1991年6月18日(火)PM:14:17 中央区特殊能力研究所五階


 ソファに対面で座っている女性。

 ネグリジェ姿のファーミア・メルトクスル。

 少し明るめの金髪。

 今日は頭のてっぺんでまとめている。


 相対しているのは古川 美咲(フルカワ ミサキ)。

 彼女は少し右寄りの簡素なポニーテール。

 服装は淡い赤と黒のスーツ。


「怪我はどうだ?」


 コーヒーを一口飲んだ古川。

 ファーミアに視線を向けた。


「完治にはもうしばらくかかるだろうな。肉までごっそり抉られていたわけだしね。そもそも、完治するのが不思議な位さ。生物の体って奴は、案外頑丈なのかもな?」


 その割には、悲壮感を感じさせない爽やかな表情。


「そうか。障害が残る事もなさそうか?」


「そうだね。医者の話しでは、障害にはならないだろうってさ。傷跡は残ってしまうだろうけどね」


 ファーミアは少し微笑む。


「傷物にされた責任でも取ってもらうか?」


「ああ、それもいいかもね? 三井 龍人(ミツイ タツヒト)だっけ? 割と好みかもしれないし。でも、私の本当の姿を見ちゃってるから、求婚なんてしたらドン引きするかもよ?」


 彼女は意味深な微笑を浮かべた。


「その割には、何か嬉しそうだな?」


「ドン引きさせるのも、面白そうかなと思ってね」


「その時はどんな表情をするのか? 私も見てみたいな」


 そこで一度、古川は言葉を止めた。


「所で、何か話しがあって来たんじゃないのか?」


 古川の問いに、表情を引き締めたファーミア。


「そうね。報告とでも言うのかしら? 私達の今後についての報告。今の所は全員残る予定よ。最終決定は、あいつ等の話しを聞いてからになるでしょうけど、よほど無茶苦茶な条件じゃない限りは、拒否はしないと思う」


 テーブルに視線を落としたファーミア。

 自分に用意されたコーヒーカップを掴む。

 一口、二口と飲んだ。


「真実を知りたいってのもあるしね。真実を知った上で、仇討ちをするつもりよ。十年間、私達はあなたと山中 惠理香(ヤマナカ エリカ)が仇だと思っていた。だけども、イーノムと遭遇したアルマの話しで、何が正しいのかわからなくなってしまったからね」


 手に持っていたコーヒーカップ。

 ファーミアはテーブルに戻す。

 古川の瞳に視線を合わせた。


「アルマの話しは本当だと思うしね。態々嘘を言う意味がないし。少なくとも団長とアリア、アルスの仇はイーノムになるわ。古川、あなたは全てを話してくれた。正直、それが真実かどうか、今の私達に確かめる術はない。だから、自分達なりに調べるつもりよ。可能ならばイーノムに問い詰めた上で、私達はどうするか判断する。それまでは休戦というかたち、いや違うかな? 敗北したのは私達だし、捕虜という事になるのかな? それでももし、十年前の事件、あなた達が黒ならば、何を失ってでもやり遂げるつもりだから」


 視線を交錯させたままの二人。

 先に口を開いたのは古川だった。


「復讐を否定はしないさ。理性で抑え付けても、感情では、どうにもならない事もあるだろうしな。例え復讐した所で死者が戻らないとわかっていても」


 そこで一度言葉を止めた古川。

 ファーミアは、何も言わない。

 まるで、彼女の言葉を待っているかのようだ。


「ただもしそうなったら、私も全力で抵抗させてもらう」


「わかったわ。とりあえず、その時が来るまではよろしくお願いするわ」


 微笑んだファーミア。

 古川も微笑みで返した。


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1991年6月19日(水)PM:17:02 中央区特殊能力研究所付属病院五階七号室


 ベッドで寝転がっている由香。

 その側にいる二人。

 車椅子に乗っている朝霧 拓真(アサギリ タクマ)。

 彼を押してここまで来た朝霧 紗那(アサギリ サナ)だ。


「間桐さん、怪我の方はいかがです?」


 拓真も紗那も、神妙な顔で彼女を見ている。


「当分は復帰できないと思います。私の変わりに授業をして頂いているそうですね。本当、申し訳ありません」


 心底申し訳なさそうな表情。

 由香は項垂れた。


「いえ、私も楽しくやらせて頂いてますので、気にしないで治療に専念して下さい」


「そう言ってもらえるとありがたいです」


「こんな状態で申し訳ないのですが、本日はお話しというかお詫びというか?」


 言い難そうに、そう言葉にした拓真。


「本当は、もっと早めにしたかったんですけど・・・皆入って」


 拓真の言葉に呼応したようだ。

 入ってきた三人の人物。

 厳しい表情の堤 火伊那(ツツミ カイナ)。

 友星 中(トモボシ アタル)は深刻な顔。

 駒方 星絵(コマガタ ホシエ)は俯いていた。


 それぞれ手には見舞いの品。

 由香の視線から、外れないように並んだ三人。

 言葉を発する事もなく、突然頭を下げた。


「え? えっ? ええぇぇぇ?」


 余りに突然の出来事。

 呆然としている由香。

 間抜けな反応しか返せない。


「本当はもっと早く、来るべきだったとは思います。申し訳ありませんでした」


 直角に頭を下げている中。


「許して下さいとは言えません。ご迷惑おかけして申し訳ありません」


  「真実を見抜く事も出来ないまま、安易な行動に出て申し訳ありませんです」


 火伊那と星絵は、斜め四十五度。

 しかし、唐突過ぎて、由香の理解が追いつかない。

 咄嗟に言葉が出てこなかった。

 しばしの時が経過、理解が追いついた由香。


「とりあえず、頭を上げて下さい。たぶん、五月下旬の事件の事を言ってるんだと思いますけど、私はあの場にいただけですから。もしお詫びするというなら三井君とか近藤さん、元魏さんに言う事だと思いますよ」


「それでは、許して頂けると言う事でしょうか?」


 一人だけ頭をあげた中。

 由香に視線を合わせた。


「許すも何も。迷惑掛けられたなんて思ってませんよ」


 由香の言葉を受けた三人。


「ありがとうございます」


 中は再び頭を下げてしまう。

 頭を下げたままの火伊那と星絵。


「ありがとう」


「ありがとうです」


「だから、三人共頭を上げてくださいってば」


 照れくさそうな表情の由香。

 若干、居心地も悪そうだ。


 少しして、頭を上げた三人。

 一安心したのだろう。

 三人とも少しだけ吹っ切れたような顔。

 先程よりは、柔和な表情になっている。


「ご存知かとは思いますが、俺達三人も、今後、ここと学園関係で、お世話になると思いますので、よろしくお願いします」


「間桐さん、よろしくお願いしますね」


「星絵も頑張りますので、よろしくお願いします」


 予想外の話しの進展。

 思考が追いつかない由香。

 結局言えたのは一言だけだ。


「よ・よろしくお願いします」


 拓真と紗那が心配していた問題。

 その一つは解決。

 だが、一番の問題への対処はこれからだった。

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