134.喪失-Loss-

1991年6月10日(月)PM:12:52 中央区人工迷宮地下一階西ブロック


 アルス・ファン=バンサンクル=ソナーは毒に侵されたままだ。

 重い体を叱咤して、沢谷 有紀(サワヤ ユキ)を右手で抱えている。

 左手で、姉のアルマ・ファン=バンサンクル=ソナーを引っ張って進む。


 アルスの体を蝕んでいる毒。

 どうやら感覚を麻痺させるとか、痺れさせるとかの類のものだ。

 動きが鈍くなっている事と、体にうまく力が入らない。

 その事を除けば、さして異常は感じていない。


 有紀は最初のうちこそ抵抗していた。

 しかし今は、おとなしくなっている。

 意識はあるので、その真意はアルスにはわからない。


 前方から聞こえてくる複数の足音。

 最初は、仲間達が来たのかと彼は考えたが、残念ながら違った。

 現れたのは肌の色が緑で醜い顔。

 先っぽが尖った、短めの耳の小柄な人型の生物。


「何だっけ? 何かの小説で出て来た、ゴブリンとか言う奴に似てるな」


 目の前に現れた彼らは総勢十体。

 その中には、肌の色が赤のが一体。

 肌の色が青のが一体、混じっている。


「姉貴、戦えるか?」


 振り返らずにそう呟いたアルス。

 だが、アルマは聞こえているのかいないのか。

 何の反応も示さない。

 思わず唇を噛んだアルス。


「くそ、別れている間に、何があったんだよ?」


「グガ?」


「グガガガガガ!」


「グガギャ」


 何か言葉で意思疎通しているらしい。

 しかし、アルスには吼え声にしか聞こえなかった。

 何を言っているのか、さっぱりわからない。

 少なくとも友好的ではないようだ。


 赤肌と青肌以外の八名。

 その手に斧や剣などを持っている。

 全員が盾を所持、紋章らしきものが記されていた。

 何の紋章なのかは、アルスにはわからい。


 彼等は、軽装ではあるが、鎧を着込んでいる。

 それが何を意味しているのかは、わからない。

 だが今は、そんな事を考えている。

 そんな場合じゃないと、考え直すアルス。


 そのうちの青肌が、じりじりと近寄ってくる。

 アルスはアルマの方を向く。

 有紀を下ろしながら話しかけた。


「攫っといて、こんな事言うのもどうかと思うんだけどな。後ろからたぶん、お前の仲間達がこっちに向っている」


 怯えた顔で、若干恐怖の眼差しの有紀。


「こんな事、頼めた義理じゃねぇが、姉貴を、アルマを連れて逃げろ」


「グガガガガガ!!」


 背中を見せた事で、馬鹿にされたとでも思ったのだろう。

 青肌が一気に距離を詰めて、何かを振り下ろした。

 その手には、水で形作られているような剣が握られている。

 アルスの血飛沫があたりに飛び散る。


「ガ、カハッ!?」


「ヒッ!?」


 驚愕に腰を抜かしそうになった有紀。

 だが、アルマの手を取って走り出した。

 青肌達がいるのとは逆方向にだ。


「そ・・それでいい!」


 アルスの血を浴びたアルマも、微かに反応を見せる。

 光を失っていた瞳に、仄かに反応が見えた。


 突如起こった魔力の反応。

 一つはアルスで一つはアルマ。

 アルスは即座に、その原因が何か把握した。


「女、姉貴の、アルマのネックレスについてる鍵を、こっちに投げろ」


 その言葉に、咄嗟に反応した有紀。

 彼女も何か危険だと言うのは、察知しているようだ。

 しかしそれが何なのかはわからない。

 なので、言われるがままに行動するしかなかった。


「ごめんね」


 そう言うと、アルマの貧しい胸元。

 手を突っ込んだ有紀。

 ネックレスのチェーンと何かに触れる。

 それを握り締めチェーンを引き千切った。

 言われた通り、アルスへ投げる。


「そのまま逃げろ!!」


 声に言われるがまま。

 アルマを引っ張って走る有紀。

 有紀に引っ張られるているアルマ。

 無意識に追従するように、足を走るように動かした。


 アルスが鍵をキャッチする。

 それとほぼ同時に轟いた爆音。


 爆発の起きた方向。

 無意識に咄嗟に、シールドを展開した有紀。

 しかし、シールドを粉砕し衝撃が伝播していく。


 有紀とアルマは衝撃に吹き飛ばされる。

 床を転がっていく。

 シールドで幾分緩和されていた。

 とは言えども、衝撃は決して弱くはない。


 しかし、吹き飛ばされたおかげだ。

 爆炎に巻き込まれる事はなかった。


 爆風が収まった空間。

 アルマは、床にうつ伏せになったままだ。

 動く気配もない。


 呼吸音が、微かに聞こえている。

 なので無事のようだ。

 少し耳の聞こえがおかしい。

 その事を理解しつつ立ち上がった有紀。

 フラフラしながらも、爆発のあった場所。

 少年いたであろう方向にに足を進めた。


 そして辿り着いたその場所。

 焼け爛れ、原型も留めていない何か。

 合わせて十一体。


 中心にあるのが、おそらく少年なのだろう。

 形状から見て、腰から上は吹き飛んだのか存在してない。

 気付けば隣には、アルマが立っている。

 しかし、その光景を見てアルマはその場に崩れ落ちた。


 微かに戻った瞳の光も消失。

 その表情は、茫然自失を通り越している。

 まるで意識そのものが、消失したかのようだ。


 有紀も、恐怖と驚愕。

 更に、現実離れした目の前の光景。

 彼女に賭ける言葉も無い。


「アルス・・嘘・・嘘だよね?」


 アルマの呟き。

 それだけが、悲しく響き渡るだけだった。


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1991年6月10日(月)PM:12:59 中央区人工迷宮地下一階西ブロック


 暗黒の世界が終わった。

 何かの地下の区画に降り立った桐原 悠斗(キリハラ ユウト)と河村 正嗣(カワムラ マサツグ)。

 二人は、周囲に注意しながら進んでいく。


 有紀を探して歩く二人。

 ひんやりとした空気。

 どれぐらい、地下に降りたのかはわからない。

 だが、少し寒いぐらいだ。


 突然聞こえてきた何かの音。

 まるで何かが爆発したような響き。

 二人は顔を見合わせた。


「今のは?」


 不安と、焦燥の入り混じった表情の正嗣。

 悠斗も、同じような気持ちになっている。


「行ってみるしかない」


 そう言って、走り出した悠斗。

 正嗣も、抑えきれない心の動揺を抱えた。

 それでも、走り出した二人。


 この時になって、正嗣はおぼろげにわかった。

 自分の心に溢れる感情の正体。

 その一端を掴んだ。

 辿り着いた二人が見た光景。


 震えて立ち尽くしている有紀。

 その隣で崩れ落ちて座っている少女。

 更にその前方で、焼け焦げたかのようだ。

 いくつもの黒い塊があった。

 そして微かに聞こえてくる複数の足音。


「マサは有紀を。僕は彼女を」


「そいつはお前を・・・」


「そうかもしれないけど、今はそんな事、言ってる場合じゃないだろ!?」


 アルマの手を握り、強引に引っ張る悠斗。


「あ・・・・」


 彼女は微かにそう零した。

 悠斗に引っ張られるままに走り出す。

 転びそうになり、ほつれそうな足。

 反射的に無理やり奮い立たせる。

 正嗣も、有紀の手を握り引っ張った。


「有紀、来い」


「う・・うん」


 彼女も正嗣に引っ張られるままに走り出す。

 しかし、引っ張っている状態だ。

 そんなに早く移動できるわけではない。

 足音は徐々に近づいてくる。


 悠斗の背後に追いついた一体。

 振り下ろそうとする剣。

 アルマを横に押しのけ、反動で手を引き戻す。


 しかし、右手の前腕を剣の先がかすった。

 痛みに顔を顰めた悠斗。

 背後の緑肌の顔面に、右手で肘鉄をお見舞いする。


「マサ、このままじゃ追い付かれる。先に行け!」


「ゆーと!? 何馬鹿な事を!?」


「桐原君!?」


 不安げな有紀の眼差し。


「有紀、そいつを連れて先行け。戻る道はわかるな?」


「え? た・・たぶん」


「さすが優等生!」


「でも・・正嗣君どうするつもり?」


「親友置いて行けっかよ!!」


 悠斗に合図するかのように、拳を握った正嗣。


「マサ!?」


 悠斗は正嗣に何かを言おうとした。

 だが、もうそんな余裕はない状態だ。


 続々と現れる緑肌の群れ。

 そのうちの一体。

 座り込んで動かない、アルマに飛び掛った。


 飛び掛った緑肌の顔に、悠斗の左の拳が炸裂。

 狙いはアルマからそれて床を転がる。

 そこに更に、悠斗の回し蹴りが叩き込まれた。


「有紀、援軍連れて来い!!」


 正嗣の言葉に、意を決した有紀。

 アルマの手を握り、無理やり立たせて走り出した。

 引っ張られて、足をもつれさせるアルマ。


 三人共気付いていない。

 だが、アルマの瞳。

 徐々に光が戻り始めている。


 正嗣は、いまだコントロールしきれていない力を使う。

 緑肌の一体の顎に、強烈な一撃を放り込んだ。

手から零れた斧を拾い上げる。

 彼の頭には、細かな粒子が渦巻く黒い角が二本。


 悠斗も、緑肌の落とした剣を拾い上げた。

 分解して再構成。

 飾り気の何もないナックルに作り変える。

 元々の剣が短かった。  覆う事が出来たのは、右の拳だけだ。


「ゆーと!? おまえおもしろい事出来るのな!?」


「マサこそ、まさか鬼人族(キジンゾク)だったのかよ?」


「鬼人族(キジンゾク)? よくわからんが、これがそうなのか?」


 コントロールがうまく出来ない。

 その為、正嗣の角は、時折崩れたり歪んだりはしている。

 それでも辛うじて角の体裁を保ってはいた。

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