132.意味-Significance-

1991年6月10日(月)PM:13:19 中央区人工迷宮地下一階南ブロック


「それじゃ。撤収撤収。片付けよっか!」


 三巳 巴(ミツミ トモエ)は、バッグにクロスボウもどきと棒を仕舞う。

 そして一人、歩き出す。

 四鐘 白磁(シカネ ハクジ)も急いで、リュックに仕舞い彼女を追った。


 戻りの道中では、特に何にも遭遇もしない。

 あっさりと、迷宮から出る事が出来た。

 その事に少し残念そうな表情の巴。


 白磁の手を引っ張りつつ、先頭を歩く。

 そして建物の外に出た二人。

 見知った顔と見知らぬ顔の、混在した一団がいた。


「しっこ・・三井君?」


「しっこ?」


 どう考えても、間違いようのない組み合わせの言葉。

 その場でへたり込んでいる銀斉 吹雪(ギンザイ フブキ)。

 頭の中に、疑問符を浮かべた。


「火の室長は、トイレを御所望のようだな」


 三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)は、特に気にせず言った。


「え? 巴トイレ行きたいの?」


「白磁!? 後でおしおきだからね!?」


「え? ちょっ!? ちょっと待って!? な!? なんでそうなるの?」


「三井君の冗談を、間に受けたからに決まっているでしょ!?」


「え? そうなの? 三井君?」


「まぁそうだな」


「なんだ巴がトイレ我慢しているかとおもっ」


 しかし白磁は、最後まで言葉を紡ぐ事は出来なかった。

 何故なら巴の唇で塞がれたのだ。


 吹雪にエルメントラウト・ブルーメンタール、他の女性陣。

 目の前の光景から、目を離せない。

 そのまま赤面している。

 義彦でさえも、さすがに唖然としていた。


「白磁は黙ってなさい」


 白磁から唇を離した巴。

 そう言うと、義彦の方に向き直った。

 彼はと言うと、巴の不意打ちに呆けている。


「重傷者がいるって春己の爺様に聞いたけど、吹雪ちゃんか。隣の娘も、軽症とは言え怪我してるみたいね。車で研究所まで、乗せてくから乗りなさい。車はあそこよ。あれなら全員乗れるでしょ? まぁ後ろは乗り心地悪いけど、我慢してね」


「俺はここに残る」


「駄目よ!」


「だがここはどうする?」


「私が残るわ。それで文句ないでしょ? 白磁もそれでいいわね」


 巴の言葉に、現実に帰還した白磁。


「う? うん。巴がそう言うなら」


 何か言おうとした義彦。

 だが、巴が真剣な眼差しの為、抵抗するのは諦めた。

 巴からバッグを受け取り白磁は車に乗せる。

 その後、吹雪は一番衝撃の少ないだろう助手席へ乗る。

 義彦の手を借りつつ、何とか座る事が出来た。


「三井君、ちょっと」


 巴の声に呼ばれた義彦。

 エルメ達が乗っていくのを横目に、彼女の側に移動した。

 少し離れた場所に移動した二人。

 会話をしても、乗車したメンバーには聞こえない。


「なんだ?」


「あなたが吹雪ちゃんの事、どう考えているのか知らないけど、彼女はきっと凄い、心細かったはずなんだから。あんま冷たい態度とらないで、しばらくは側にいてあげなさいよ」


「それはあいつが放置すれば、暴走しかねないからか?」


「ほんとっ腹立つな。私個人的な助言よ。暴走するかどうかなんて関係ない。あんたはもっと一人の男として、あの娘の気持ちに大してのケジメをつけるべきなんだよ。実際どう思ってるのさ?」


「どう? 血の繋がらない妹、みたいな感情はあるとは思うが」


「ふん、今はそれでもいいかもしれないか。義理でも妹と思ってるなら、怪我が完治するまでは、せめて妹としてちゃんと扱ってやんなさいよ」


 あまりの巴の剣幕に、押された義彦。

 咄嗟に反論する事も出来ない。


「あ・あぁ。わかった」


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1991年6月10日(月)PM:13:27 中央区人工迷宮地下一階西ブロック


 通路の一角に転がっている、焼け焦げた何か。

 手も足も、顔も背中もグズグズだ。

 焼け焦げて、誰だったのかすら判別するのが難しい。


 左手は肩近くまで消失している。

 右手も肘から先が崩れていた。

 同様に、両足も膝近くまでが存在すらしていない。


 ちりちりと空気を焼き焦がすような熱気。

 いまだに感じられている。

 背中も、背骨や内臓ですらも、焼け焦げていた。

 所々が炭化すらしている。


 苦しんだとしても、ほんの数分の事だっただろう。

 だとしても当事者にとっては、とてつもない苦しみ。


 彼が庇ったと思われる少女。

 左の肩近くまでが焼け爛れている。

 凹んでいる左脇腹。

 その上に、その表面が焼け焦げていた。


 服もほぼ消失している。

 左足も脛の途中からは、無くなっているようだ。


 意識したのか無意識なのかはわからない。

 狼の顔だったものが、人の顔に戻っていく。

 しかし髪も燃え尽きて肌も焼け爛れていた。


 左目ですら、機能を維持しているのかどうか怪しい。

 それでも微かに聞こえてくる呼吸音。

 普通の人間ならば、死んでいておかしくない惨状。

 にも関わらず、彼女は微かに生きていた。


 そこに意識や思考、後悔、憐憫など。

 何らかの感情。

 それらがちゃんと、宿っているのかどうかは不明。

 だが、それでも生きていたのだ。


 自分の体が、どうなってるのか。

 今どんな状況なのかすら、判断出来ていないだろう。


 口から漏れるのも、微かな呻きのような声。

 嗚咽のような不明瞭な音。

 左目から流れた一筋の涙。

 その涙は、一体彼女のどんな感情を、意味しているのだろう。

 もしかしたら、彼女でさえも、それはわからないのかもしれない。


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1991年6月10日(月)PM:13:29 中央区大通公園一丁目


 黒い球から、妖魔が現れなくなった。

 それから、しばらく時間が経過している。

 白紙 彩耶(シラカミ アヤ)も、山中 惠理香(ヤマナカ エリカ)も安堵の表情だ。


 他の面々も、疲労が顔に出ている。

 しかし、とりあえず、安心したような表情になっていた。

 もちろんもう出てこないとは断言出来ない。

 その為、この場から離れるわけにはいかなかった。


 特殊技術隊の有賀 侑子(アリガ ユウコ)。

 彼女が好意で置いていった1.5リットルのスポーツドリンク。

 彩耶と砂原 佐結(サワラ サユ)の二人。

 この場で戦いに参加している面々に配った。


 何故三十本も、特殊技術隊の車両に積んでいたのか。

 それは謎ではある。

 だが水分は大事だ。

 素直に好意に甘えたのである。


 このまま、一時の休息になるのか。

 何も出ないで終わるのかは、誰にもわからない。


 しかし、場馴れしていてもだ。

 亡骸の散乱するこの光景。

 気分の良いものでは決してない。

 その為、出来ればこのまま終わって欲しい、という気持ちが強い。


 市内の混乱の状況。

 現状どうなっているのか、全くわからない。

 それも、彼女の思いに拍車をかけている。


「美咲、大丈夫かしら?」


「彩耶、美咲なら大丈夫だと思うよ。一度こうと決めたら絶対やる性格だし」


「惠理香に言われるでもなく、わかってますけどね」


「相手が何を目的にこんな事をしているのか、さっぱりわからないのは脅威だけどね」


「そうね。本当、そうよね」


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1991年6月10日(月)PM:13:33 中央区人工迷宮地下一階南ブロック


 腰まである橙の髪。

 袴と巫女服を併せたような、露出の少ない服を着ている少女。

 頭には土御門 鬼那(ツチミカド キナ)と同じような角が一本。

 先が爪状になった手甲を装備して立っている。


 彼女は、鬼那と瓜二つの顔をしていた。

 だが、髪型と表情の違いもあり大人っぽい。


 そこは、下の階へ移動する為の、階段の直ぐ近く。

 周囲には、無数の絶命した醜小鬼(アグリゴブリン)。

 彼女は手甲を中心に、返り血に染まっていた。


「外に出たら、水浴びしないと駄目ですね」


 呟くようにそう言った彼女。

 そこでひたすら、主の到着を待っている。


 近づいてくる複数の足音。

 土御門 春己(ツチミカド ハルミ)と鎧武者、他に二人いるようだ。


「鬼湯、一人戦わせてすまんのぅ」


「いえ、ご命令ですから」


「ところで、ショックうけてないかのぅ?」


「少しだけ。ですが、白磁様とはこの姿でしかお会いした事がない為、致し方ないかと思います。それに白磁様は私の事等、眼中にございませんでしょうし」


 少し自嘲気味にそう言った彼女。

 その言葉に、誰も掛ける言葉を見繕えなかった。

 春己と鎧武者の後ろの二人。

 慰めるかのように、土御門 鬼湯(ツチミカド キユ)を抱きしめる。


 二人も鬼那や鬼湯と同じような格好。

 袴と巫女服を併せたような服装。

 だが意匠が異なる。


 顔も鬼那や鬼湯とそっくりだ。

 しかし髪の色は、青と紫で異なる。

 角が頭に一本生えていた。


 青髪は一振りの刀。

 紫髪は火縄銃を一丁、所持している。

 これが彼女達の、メインウェポンなのだろう。


「さて、美咲ちゃんの依頼でも、果たしにいくかのぅ」


 四人も首肯する。

 春己に続いて階段を下りて行った。

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