095.刺繍-Embroidery-
1991年5月12日(日)PM:14:21 ベネチア サン・ジュリアーノ公園
体格の良い、三十後半に見える赤毛の男。
特に何するでもなく座っている。
男の側には、その男にはそぐわない少女。
可憐な感じで、明るい金髪だ。
そして、少女を優しげな瞳で見つめる女性。
少女よりは少し、暗めの金髪をしている。
男の名前はアグワット・カンタルス=メルダー。
表向きは傭兵団である【獣乃牙(ビーストファング)】の団長である。
側の少女はアリアット・カンタルス=メルダー。
名前の通りアグワットのただ一人の娘。
それでは女性が妻かというと、そうではない。
彼女の名前はファーミア・メルトクスル。
傭兵団【獣乃牙(ビーストファング)】副団長の一人だ。
アリアットを、実の娘の様に可愛がっている一人でもある。
まるで、その三人を目指している。
そのように歩いてくる、片眼鏡の栗毛の男。
彼はカルヴァット・マドロコシー。
【獣乃牙(ビーストファング)】のもう一人の副団長。
アグワット率いる【獣乃牙(ビーストファング)】。
表向き知名度は決して高くは無い。
特に人間社会で、彼等の名を知っている。
それは、極限られた人種に限られるだろう。
近づいてきたカルバに気付いたアグワ。
その顔からは想像も出来ない、優しい口調で話しかける。
「カルバ、どうした? 面白そうな仕事でもあったか?」
「面白い、そうですね。面白い仕事かもしれません」
カルバの表情は、話しかけられる前と特に変化はない。
ただ一点だけ、その口が僅かに、一瞬凶悪に歪んだのだ。
「カルバ、あなたが面白いというのは珍しい、というかはじめてな気がしますね」
「ファーそんな事は・・・あるか」
公園で座り込んでいる四人の周囲。
観光していると思しき、雑多な人達がいる。
観光客と思しき彼等彼女等。
十人以上の集団だったり、数人のグループだったり、カップルだったり様々だ。
四人はそんな、観光客達の事は、特に気にする事もない。
立ち上がると、歩き始めた。
公園の外に出て、いつもの街並みを歩いていく。
アリアは、アグワのごつい手に引かれながら、嬉しそうだ。
その後ろを歩くファーとカルバ。
最近のアリアの成長を、嬉しそうに話している。
遠くから見れば、何処にでもいる親子。
それと親子の友人に見えるだろう。
しかし、彼等の会話の内容。
そんな見た目とは裏腹に、とても血生臭い物だった。
たまたま、その会話を耳にしてしまった通行人。
驚きの顔で振り返り、四人を見てしまう。
しかし彼等四人は、そんな事全く気にした素振りは無い。
いくつかの角を曲がった。
人通りの無くなった路地裏。
まるで狙ったかのように、四人の前後に現れる集団。
銃器のようなものを手に持った者もいれば、刀剣類をもった者。
本当にそれが武器なのか?
と思うような物を持った者もいる。
「団長のアグワット・カンタルス=メルダー及び【獣乃牙(ビーストファング)】副団長の二人だな」
「また奴らの手先か? やれやれ面倒くせーな」
アグワと対面している先頭の男。
一瞬怯んだが、再び続けた。
「抵抗しなければこちらも危害は加えない。おとなしく投降しなさい」
「はいわかりました。って素直に従うと思うのかよ。めんどくせぇなぁ。ファー、カルバ、遊んでやれ」
「その価値もないと思いますが」
「ファーと同意見です」
「遊ぶだけ時間の無駄か。アリアちょっと待ってろ」
「えー、私は遊びたい」
「後ろにもいるんだし、遊ぶ相手に困りはしないだろ」
前に十五名、後ろに十五名のあわせて三十名。
それに対して四名、いや一人は少女だから実質三名。
常識的に考えれば、戦いになるかどうかすらも難しい人数差だ。
この状況で勝利するのはどちらか?
聞けば十人中九人は、四人が負けると答えるだろう。
十人中十人が、四人は負けて当然、と言ってもおかしくない。
「さて、ファー、カルバ、誰が一番狩れるか勝負だ」
「アグワに勝てる気はしませんけど」
「ファーの意見に賛成ですけど、一応聞きます。何を賭けるんです?」
「負けた二人が、勝った一人とアリアに夕食を奢る、ってのはどうだ?」
「ファーにカルバ、頑張ってね」
「おいおい、アリア。俺に応援はなしかよ」
「えーだって、いっつもパパばっかり勝ってるんだもん」
そう言って可愛い微笑を浮かべるアリア。
先程から、怒声を上げている先頭の男。
完全に無視して、四人の会話は進む。
「それじゃ、アリアがスタートって言ったら開始ねー」
前の十五名と後ろの十五名。
四人の会話が聞こえていたかのように身構えた。
声が聞こえてた可能性もある。
だが、三人の雰囲気が、瞬時に変わったのを感じたのだろう。
先頭の男も、怒声を張り上げるのを中止。
手に持つ両刃の剣を構えていた。
「じゃぁ、スタート」
アリアの声に弾かれるように、前に飛び出す三人。
対して前方の十五人のうち、近接武器を持っている六名も前に進み出る。
しかし誰一人として、三人の速度に反応出来る者はいなかった。
わずか数秒で、そこは惨劇の場と化していたのだ。
残りの九名と、後ろの十五名に瞬時に恐怖の表情が浮かぶ。
それでも引く事をしない残りの二十四名。
しかし前にいる九名も、すぐに最初の六名の仲間入りとなった。
いくらかの返り血を浴びた三人。
両手が最も赤く染まっていた。
内臓をぶちまけている者や、脳漿がこぼれている者。
頭や手足が欠損し絶命している者。
誰の者か、即座に判断が難しい手足が、無造作に転がっている。
十秒にも満たない時間。
繰り広げられた一方的な殺戮。
しかし、後方にいた十五名は前進。
その最も先頭の者が、アリアの首の前に片刃の剣を回している。
「そ・・・それ以上の抵抗をすればこ・この娘を・・・」
言葉の後半は、恐怖で言葉にもなっていなかった。
しかしそれでも、彼の意図している事の意味。
それは通じたのだろう。
三人が後ろを振り向く。
その表情は先程と同じで、至って普通だ。
アグワが放った一言。
後方にいた十五名は驚愕する。
もし彼ら十五名が、アリアを取り押さえて、動けないようにする。
その決断力があれば、結果はまた違ったかもしれない。
「アリア、折角だ。少し遊んでやれ」
その言葉を聞いたアリアは瞬時に動く。
アリアの手に握られた男の剣。
彼女の指を斬り裂く事も無く砕けた。
次の瞬間、砕けた剣を握ったままの男。
彼の右腕の、肘から先が宙を舞う。
更に男の腹部からは、血が溢れていた。
切り裂かれた内臓が、零れている。
アリアは既に、次の獲物をその牙にかけていた。
たった一人の少女に、蹂躙されていく残りの十四名。
それから僅か十数秒の時間。
先程と同じく、人だった者が無残に散乱していた。
「買ったばかりの服が血まみれになっちまった」
「こうなる可能性はわかっていたのに着てくるからですよ」
「アグワには言っても無駄だと思うよファー。これで何度目だと思うのさ」
「ところで賭けは誰の勝ちなんだ? アリア」
「パパが六にファーが五、カルバが四だったー」
「うわ、ファーにも負けたのかよ。ショックだ」
片眼鏡のカルバは、心底うなだれているようだ。
それを勝ち誇ったように見ているファー。
アリアの手を取り、彼女の速度に合わせて歩き始めるアグワ。
まるで、先程の殺戮などなかったかのようだ。
四人は血塗れのまま、普段通りに歩いて、その場を離れていった。
惨劇の場から少し離れた建物の一室。
椅子に座る金髪の少女。
刺繍のされた、高級そうなローブを着ている。
傍らには彼女が扱うとは思えない巨大な片刃の剣。
その場に報告にきたかのような、ローブの人物。
少女と同じような高級なローブを着ている。
だが、その顔はフードに隠れて伺い知る事は出来ない。
「予想通り全滅したようです」
「――だから忠告までしたのですけどね。とりあえず、彼らのアジトを確認してから戻りましょうか」
立ち上がった少女。
少しだけ悲しそうな表情になる。
しかしすぐに、凛とした表情に戻った。
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