第七章 光闇因子編

076.封筒-Envelope-

1991年6月3日(月)AM:8:46 中央区特殊能力研究所五階


 インスタントのコーヒーをいれてから、椅子に座った古川 美咲(フルカワ ミサキ)。

 砂糖もミルクもいれずに、ブラックのまま一口飲む。

 自分でいれて飲むと味気ないものだな。

 と、柄にもない事を感じているのに少しだけ驚いている。


 研究所は一部を除いては基本、始業九時の終業十八時。

 ただしここは、ある種特殊な会社の部類に入る。

 実際にそのスケジュールで働いているのは、受付嬢と一部の研究員。

 彼女等彼等にもある程度の護身術などは習得させてはいる。

 が、あくまでも護身の為だ。

 過去に、ここで働いている受付嬢や研究員が襲われた事もあった。


 おもむろに、昨日処理しきれなかった書類に目を通していく。

 必要なものに関しては、署名するなり判を押すなりも忘れない。

 そうして、仕事を開始してから十五分経過。

 複数の足音が近づいて来ている。

 扉の前で止まると、二回ノックをする音が聞こえた。


「どうぞ」


 扉を開けて入ってきたのは三名。

 事前に聞いている話しでは、男性二名に女性一名。

 いずれもビジネスウェアを身に着けており、少し緊張しているようだ。

 彼女の前に横一列に並んだ後、一番左の男性が一歩前に出た。


「本日付で配属になりました倉橋、紫藤、三笠原、三名出頭しました」


「そんなに緊張しなくていいぞ」


 少しだけ、心の中で苦笑してしまった古川。


「所長の古川 美咲(フルカワ ミサキ)だ。倉橋、紫藤、三笠原の三人ともこれからよろしくな。一応、倉橋から順に自己紹介してもらえるかな」


 一歩前に出たままの男性。

 そのままの状態で自己紹介を始めた。


「倉橋 元哉(クラハシ モトチカ)、主に現場での鎮圧に従事しておりました」


 短めに切り揃えられた黒髪の彼。

 真面目な表情を崩す事もなく、そう言って一歩下がった。


 彼の隣は、線が細めで、女性でも通りそうな中性的な顔。

 その人物が一歩前に出る。

 手元の資料に間違いがなければ男性のはずだ。

 が、少し長めに伸ばしている黒髪の影響もあるだろう。

 女性だと言われても、違和感は余り無い。


「紫藤 薫(シドウ カオル)です。情報収集をメインに活動していました。ちなみに一応これでも性別はちゃんと男性ですよ」


 彼はその中性的な顔で、にこやかに微笑む。

 不思議と嫌味な感じのしない、場を和ますような微笑だ。

 なるほどこれならば、情報収集も比較的容易に行えるのかもしれない。


 紫藤が一歩下がると、今度はその隣の唯一の女性が、一歩前に出る。

 長く伸ばした黒髪にヘアバンド。

 凛々しい表情には、迷い一つなく古川を見ている。

 同じ女性である古川から見ても、綺麗と思える整った顔立ち。


「三笠原 紫(ミカサワラ ムラサキ)、倉橋と同様に主に現場での鎮圧に従事しておりました」


 三笠原も一歩下がり、三人が元の位置に戻った。

 三人が古川の言葉を待つように静まりかえる。

 彼女から放たれた言葉は、三人の予想とは少々違う方向性のものだった。


「ここは軍隊とかじゃないんだし、そんな畏まらなくていいぞ。ところで観光はしてみたかな?」


 少しだけ戸惑いの表情にになる三人。

 咄嗟に何を答えるべきか迷っているようだ。

 一番最初に答えたのは、三人の中では最年少の三笠原。


「東京と比べると空気が綺麗な気がします。それに鮮度の違いでしょうか? 食事も美味しかったです」


 彼女の言葉に少し和んだのだろう。

 他の二人もそれぞれが感じた事を口に出す。

 それからしばしの間は、古川を含めた四人で、主に食べ物談義になった。

 食べ物談義も一段落した所で真面目な顔になった古川。

 三人も察したのだろう同じく真面目な表情になる。


「それでは話しも一段落したし今後の君達の仕事だが」


 一度言葉を区切り、三人に順番に視線を合わせていく古川。


「倉橋は、後日ちゃんと紹介するが、近藤と協力して事件の調査。紫藤も後日紹介するが、間桐の学園関連の仕事のサポート。三笠原は事前に聞いていると思うが、こちらで保護している猫人の二人の少女との通訳。そして二人の少女が、言語習得を希望した場合の指導。実際の仕事は明日からでいい。今日一日はゆっくりと観光でもどうだ」


「・・・その僭越ながら本日からと・・・」


 しばし顔を見合わせた三人。

 倉橋が少し躊躇しながらも代表し、古川に異を唱えた。


「そうだな。観光は言いすぎだったかもな。昨日の今日だし、まだ周囲の地理状況とか把握出来ていないだろう。一日では足りないかもしれないが、東京とはいろいろと違う事もあるだろうし。自分の生活圏内を調べるといい」


 戸惑っている倉橋。

 きっと彼は真面目な性格なのだろう。

 変わりに紫藤が、少し躊躇した後に口を開いた。


「了解しました。我ら三名は今後の為に、生活圏内の調査に向います。古川所長のご好意に感謝を」


 一礼した紫藤。

 三笠原と、若干納得出来ていないような顔の倉橋も同じように一礼をする。

 その後、倉橋と紫藤の二人がその場を辞した。

 最後に残った三笠原は、机を挟んで古川の目の前まで歩いた。


「大老よりお預かり致しました」


 鞄から出されたのは厚めの封筒。

 古川に、その封筒を差し出した三笠原。


 家紋で封がされており、更に魔術による封印がされている。

 この封印は、古川を含めて極めて一部の人間しか解除方法を知られていない。

 古川が封筒を受け取ると、三笠原は即座に振り返り、退出していった。


 一人その場に残された古川。

 頑丈に封のされた封筒。

 怪訝な顔にりながらも、一口コーヒーを飲み、呟いた。


「大老からか・・・。しかし倉橋は真面目さが特徴なのだろうが、ここでやっていくのにデメリットにならなければいいな。その点他の二人は何だかうまく立ち回りそうな気がする」


 一息ついていると鳴り始めた電話。

 この音は内線だ。

 また事件でも起きたのだろうか?

 そう思いつつ受話器を取り、内線を繋げる古川。


「古川だ」


『古川所長、大老サンからお電話デスー』


「リーザ、大老は名前じゃないぞ。それに仕事中位は言葉遣いはちゃんとしなさい」


 ちゃんとした言葉遣いも出来る。

 なのに、普段の言葉遣いになっている事に苦笑の古川。

 彼女は受付嬢の新人でハーフの園崎(ソノザキ) リーザ。

 受付として言葉遣いは問題ない。

 だがたまに、素の言葉遣いが身内限定で出てしまう。


『申シ訳アリマセン』


 声のトーンから少し項垂れているのがわかった。

 無意識に出てしまうのだろう。

 素直でいい娘なのはわかっているから、それ以上責めたりはしない。


「とりあえず繋いでくれ」


『ハーイ』


「お電話変わりました。古川です。大老お久しぶりです」


『本当、久しぶりだ。余りの忙しさに死に掛けてるとも思ったが、どうやら元気そうで何よりだ』


 電話越しからもわかる重厚な声。

 その中に含まれる、仄かに優しげな雰囲気。


「大老もご健勝のようで」


『そうさな。顔をつき合わせて、昔話にでも花を咲かせたい所だが、そうも言ってられない』


「と言うと?」


『防衛省の一部が何やらきな臭い動きをしておる』


「特殊技術隊ですか?」


『そうじゃ。全国の部隊が連携しているのか、偶然なのかはまだ何とも言えなんが』


「わかりました」


『それと監察官も動いているようだ。何か言ってくるかもしれんが無視して構わん。龍人と義彦には既に儂が直接伝えてある』


「ありがとうございます」


『それと紫からは受け取ったか?』


 主語はないが、おそらく先程の封筒の事なのだろう。


「封筒の事ですね。中身はまだ確認してませんが受け取りました」


『それが役に立つといいのだが』


「直ぐに中身を確認したほうがいいですか?」


『そうだな、確認してみてくれ』


 何かとても重要な内容なのだろうか?

 嫌な予感と不安に駆られながら、封印を解除した上で封筒の封を切る。

 中には数枚の何かの図面と、注釈の書かれている紙。

 ぱっと見た限り図面の内容は、何かの地下区画についてのもののようだ。


「大老、確認しました。図面と注釈の書かれている紙が入ってます」


『詳しい事は注釈を見れば書いてあるが、テレビ塔を中心とした地下区画の図面のようだ。それが何の目的で造られたのかはわからんが、特殊技術隊第四師団が関わっているようだ』


「第四師団・・・。貴重な資料と情報をありがとうございます」


『儂の無茶な計画に付きあわせている、せめてものお詫びだ』


「そんな事はありませんよ。私も大老のお考えに賛同したからこそ、ここにいるのですから」


『そう言ってもらえるとありがたいな。儂の天命が尽きる前に完遂したいものだ』


「微力ではありますが、今後も尽力させて頂きます」


『よろしく頼むよ。たまには電話でも構わん。声を、元気な声を聞かせてくれ』


「はい。師匠もお年なのですから余り無茶はしないように」


 最後の会話だけはお互いの本心なのだろう。

 それまでの会話の声音とは響きが異なっていた。

 大老との通話を終えた古川は、注釈を見ながら一度図面を広げてみる。

 そこに描かれているのは、古川が知らない秘密の地下区画の図面だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る